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更新日:2021年2月24日
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史跡とは、昔の人が食べた貝を捨てた「貝づか」、偉い人のお墓である「古墳」、戦争のときに味方を守るために作られた「お城」、人の住んだ家の跡である「住居跡」などのことです。昔の人々の政治、経済、生活、宗教などあらゆる活動によって作られ、現在も地面に残されている跡なのです。古いものでは何万年も前の旧石器時代の生活跡から、新しいものでは戦争の砲台跡まで実にいろいろなものがありますが、なんといっても昔の人々が使用していたそのままの場所ですから、昔の姿を簡単に思い起こすことができる貴重な地面です。しかし、史跡の場合、地面ばかりで、地面の上に建っていた建物は残っていません。そこで、県や市町村では建物を復元してわかりやすく見せるための整備をしています。このように、多くは広い敷地で保存され、公園や博物館などとして見学できるよう整備されたものが多いのでぜひ見に行ってみて下さい。
小杉町・大門町流通センター内の一角にある、飛鳥時代後期(7世紀後半)の瓦、須惠器を焼いた窯や、粘土の採掘穴、工人たちの住居など当時の瓦や土器作りのようすが全貌できる遺跡です。
復元された登り窯の長さは、どれくらいだろう。また、土器を焼くために必要な温度は何度だろう。
婦中町井田川沿いにあり、発掘調査したところ、三つの曲輪とそれをとりまく堀、土橋などが発見されました。
この戦いで勝ったのはだれでしょうか。
氷見市で発見された、日本海側で最大、全国でも十指に入る大型の前方後方墳です。発掘調査により、全長107.5m、古墳時代前期前半(今から約1700年前)に造られたことがわかりました。
前方後方墳といいますが、どちらが前で、どちらが後ろでしょうか。
富山平野の中央部にある呉羽丘陵には、数多くの遺跡が確認されています。中でも丘陵の北側にある北代遺跡は、縄文時代中期後半(約4000年前)ごろの大集落遺跡です。
復元された竪穴住居の屋根は何で覆われているのでしょうか。
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