更新日:2021年2月24日

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縄文時代

縄文土器が使用されていた時代をいいます。縄文土器は今から約1万2千年前頃に出現し、弥生土器が出現するまでの約1万年間使用されていました。縄文土器の形はさまざまで複雑ですが、基本的には深鉢形と浅鉢形の2種類に分けられます。また、土器の形や文様の特徴から縄文時代を6期(草創期・早期・前期・中期・後期・晩期)に区分することができます。

<参考>縄文土器の出現 縄文時代の石器(遺跡が語る富山の歴史)

富山県の主な縄文土器

住まいについて

竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)

大地を掘りくぼめて床面(土間)を作り、その中に数本の柱を立て、その上に屋根をのせ、周りを茅等で覆ったものです。遺跡で発見される住居の代表的なもので、この形式は縄文時代から平安時代まで続きました。時代・地域・使用の目的等より、平面形や柱の数等が異なり、様々な住居が発見されています。なお、旧石器時代の住居は、円錐形の屋根をつけたテント式の簡易ものであったと考えられています。

洞窟住居跡(どうくつじゅうきょあと)

自然により形成された洞穴・岩陰等を、居住空間として使用したもので、特殊な住居跡です。

富山県内の例

大境洞窟住居跡(国指定 氷見市)

おおざかいどうくつ
大境の白山社の後にあるの大きな洞窟(高さ8m、幅16m、奥行34m)から、大正7年、縄文時代から平安時代までの多量の遺物が発見された。この発見により、縄文時代と弥生時代との新旧関係が決定づけられた。

北代遺跡(国指定 富山市)

北代遺跡

縄文時代全般にわたって営まれた遺跡で、70棟以上もの竪穴住居、高床建物、穴等を発見した。最も栄えたのは縄文時代中期ころ(約4千年前)。住居内から、土器や石器の遺物と供に多くの「土のかたまり」が出土した。これらは、屋根を覆っていた土が屋根の崩壊とともに落ち、埋まり、かたまったと考えられる。調査結果をもとに、復元された住居はすべて土葺きである。

不動堂遺跡(国指定 朝日町)

不動堂遺跡

縄文時代中期の住居と食糧等を貯蔵したと考えられる深い穴、多量の石器や土器を発見した。中でも普通の住居の3倍もある、楕円形の巨大な住居(長軸17m、短軸8m)には、石組みの炉が4箇所、内部を2部屋に間仕切りできるなどと特殊な構造であることから、一般的な住居ではなく、集落の集会場、作業場等として使用されたと考えられる。復元された巨大住居は迫力がある。

お問い合わせ

所属課室:教育委員会生涯学習・文化財室 

〒930-8501 富山市新総曲輪1-7  県庁南別館4階   

電話番号:076-444-3434

ファックス番号:076-444-4434

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