更新日:2021年3月17日

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教算坊

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教算坊

教算坊の概観
(教算坊の概観)

教算坊は、1820年(文化・文政)頃に宿坊として建てられました。
昭和7年に佐伯宗義氏の所有になってからは、昭和7年頃と昭和26・27年頃の2回にわたり改造がされました。
同氏が鉄道会社の経営者であり、衆議院議員も勤めた人物であったため、佐伯氏の存命中は、中央政界の重要人物たちが度々ここを訪れています。
同氏の没後、昭和57年度に富山県に寄付され、昭和60年度に旧態に復元されました。

この教算坊は、建築面積263.02平方メートルの木造平屋建で、中央列が宗教建築であり、右側が生活空間、左側が接客空間の座敷が並ぶ典型的な宿坊建築の配置になっています。

  • 古文書に記録されている名称
    • 〔享和元年芦峅寺衆徒書上〕
      • 1710年頃→教算坊
      • 1801年頃→教算坊
    • 〔芦峅寺復元配置図〕
      1840年頃→教山坊

教算坊の構造

教算坊の構造

(復元図)

教算坊平面図(復元図)

 

平面間取りは復元によりますと大仙坊によく似た3列6列型で、規模は間口8間、奥行き6間となっています。
大仙坊と同様「おーと」(内向きの玄関)の部分が全面に突き出していました。背後への突き出しはよくわかりませんが、多分あったものと推察されます。
前面サヤノマは幅1間となり、大仙坊より深く、座敷の前室として利用され、座敷の格が高くより進歩した形となっています。
構造は和小屋で、前の「さやのま」上部だけはつなぎ梁で延ばし、桔木を入れ、二重繁垂木にしています。普通の垂木は一重の繁垂木にするぐらいで、二重繁垂木というような例は他になかったといわれています。表構えも三斗、木鼻、正面紅梁のくり形、その下の絵柄等はきわめて豊かで、他の三宿坊の中でもきわだっていました。

これらの構造から考えて、教算坊の建設は寛政期の大仙坊と天保期の善道坊の間頃に建てられたものといわれています。

(参考)教算坊の現在の間取り

(参考文献)
「立山芦峅寺宿坊建築と教算坊の調査」(S59.3)金沢工業大学地域計画研究所

お問い合わせ

所属課室:生活環境文化部立山博物館 

〒930-1406 中新川郡立山町芦峅寺93-1 

電話番号:076-481-1216

ファックス番号:076-481-1144

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