更新日:2021年3月18日

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雄山神社中宮祈願殿

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雄山神社中宮祈願殿

雄山神社の写真

おやまじんじゃちゅうぐうきがんでん

芦峅寺の中宮寺は、古くから武将の崇敬を受け、富山城主佐々成政も、天正11年(1583)芦峅寺うば堂に燈明銭として66俵分を寄進し、翌天正12年に中宮寺の寺領として芦峅寺、本宮の領有と守護の不入をみとめました。

しかし、天正13年8月、富山城主佐々成政討伐のため軍をすすめた豊臣秀吉により、当芦峅寺がことごとく焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失っています。
このことについては、『東は立山ウバダウつるぎの山の麓まで令放火候』と、秀吉が藤掛三蔵ら5名の近畿大名に送った文書が高野山に残されています。
また、「続群書類抄」には『至リ越後界二、立山、劔、祖母堂、廻シ人数ヲ』と載せられています。

佐々氏の後に越中を治めた加賀藩においても初代藩主前田利家が、うば堂に米百俵の地を寄進し、社地4260歩と神輿2基・神器を寄進したほか、歴代藩主の崇敬保護が深かったことは数々の遺品古文書から明らかです。

しかし、長きにわたった立山信仰も、明治維新の「神仏分離令」により、うば堂や帝釈堂等の建物は、取り払われました。

お問い合わせ

所属課室:生活環境文化部立山博物館 

〒930-1406 中新川郡立山町芦峅寺93-1 

電話番号:076-481-1216

ファックス番号:076-481-1144

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