更新日:2021年2月24日

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八郎坂

むかしあったとぉ~(立山のちょっと昔の話)

1.八郎坂

八郎坂は、大正13年(1924)に、当時の第九師団富山連隊(歩兵第35連隊)によって開かれました。
今は、平和な弥陀ヶ原付近ですが、当時は、一時的に軍隊の演習場に利用されていました。明治の後期から大正にかけて雪の多い山岳地域が演習に利用された例としては、小説や映画で有名な青森県八甲田山系などがあります。シベリア出兵などがありましたから、積雪地や寒冷地での演習が重視されていたのかもしれません。

千寿ヶ原から草生坂・材木坂を通る立山禅定の道では、大砲などの重火器が運搬できなかったため、称名滝から直接、弥陀ヶ原へ登る道が必要とされていました。元は、とても急坂のために「胸突き八丁」から”八丁坂”と呼ばれていました。その後、登山者から、「立山の谷や尾根には、有名なガイドの名前が付いている、”八丁坂”にも、名前を付けたらどうか」との話があり、当時有名な山岳ガイドであった佐伯八郎さんの名前をとって、「八郎坂」となりました。

昭和29年(1954)千寿ヶ原から美女平までケーブルが開通したために、「八郎坂」は、一時荒れて通行できなくなくなっていたのですが、昭和52年(1977)に整備されて現在に至っています。

今では、毎年夏に行われる立山登山マラニック(全行程65km、高度差3,003mの山岳マラソン)の一番の難所にもなっています。軍隊によって開かれた道が、市民の楽しみの道になっていったのも、神聖な立山の道になったからかもしれませんね。

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