更新日:2021年2月24日

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墓の変遷

はかのへんせん

埋葬の方法は旧石器・縄文時代の土坑墓、弥生時代の甕棺墓や方形周溝墓、古墳時代の各種の古墳へとおおまかに変遷し、奈良時代になると仏教の影響のもとに火葬墓(かそうぼ)が広まりました。火葬骨は甕や壷などの蔵骨器(ぞうこつき)に埋納されましたが、魚津市の吉野中世墳墓(よしのちゅうせいふんぼ)では古瀬戸(こせと)の壷が用いられていました。また、朝日町の馬場山D遺跡では、北陸で初発見の身と蓋からなる石櫃(せきひつ)が発掘されました。大きさは60cm×50cmで四角い形をし、身に直径約10cmの彫り込みがなされ、中には薄い漆の膜が残っていました。
氷見市の藪田薬師(やぶたやくし)中世墓は急斜面の中腹に掘られた横穴で、奥行き約3m、高さ2.2mの半ドーム状をし、床面には盤石が敷かれていました。中には五輪塔(ごりんとう)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、板石塔婆(いたいしとうば)、石仏など多くの石製品や銅銭などがありました。14世紀から15世紀にかけて営まれた、近くの村落の共有墓地として考えられます。
また、魚津市の印田(いんでん)近世墓からは、蔵骨器とともに江戸時代の寛永通宝(かんえいつうほう)がでており、三途の川の渡し賃の意味と思われます。


おもな埋葬遺構のうつりかわり


藪田薬師遺跡の中世墓

印田遺跡の近世墓
 
柳田遺跡の中世墓 馬場山D遺跡の石櫃

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