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更新日:2021年2月24日
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治水・利水文化|伝統産業|暮らしの中の水文化|とやま水マップ
とやま水マップ[治水・利水文化]|とやま水マップ[伝統産業]|とやま水マップ[暮らしの中の水文化]
黒部川扇状地の扇端部には、清澄な水に恵まれた湧水地帯が広がっています。点在する「共同洗い場」は古くから生活水として人々を潤し、また「杉沢」には湧水で育った沢スギが群生するなど貴重な自然を残しています。
[環境省選定 名水百選](外部サイトへリンク)
水で洗って冷たくしただんごにきなこをかけて食べる夏のお菓子です。
[農山漁村の郷土料理百選](外部サイトへリンク)
中国から伝来した黒茶で、飲みつづけることで食欲が増し、コレステロールを減少させるなどの効果があると言われています。
[朝日町役場](外部サイトへリンク)
愛本橋の近くにあった平三郎茶屋のお光という可愛い孝行娘が、橋の袂に住む大蛇に嫁ぎ、蛇の子を生んでいるところを親に見られ、持参した粽の作り方を残し、黒部川の川底深くへ姿を隠すという悲しい伝説。
[うなづき遊学館](外部サイトへリンク)
町無形民俗文化財のたいまつ祭り。高さ5メートル、重さ400キロの大たいまつ2本が、地区を勇壮に練り回ります。
[入善町役場](外部サイトへリンク)
黒部川扇状地は、大規模で、扇の開きがよく、勾配が急で、出来たての姿を残し、海岸線が円弧状になっている。
[黒部市役所](外部サイトへリンク)
水の王国とやまweb 2月15日更新
国指定天然記念物である杉沢の沢スギは、成長した木の枝が雪の重みで地表に着地し、そこから根が出て、一株から何本もの幹ができるという伏条現象と呼ばれる珍しい生育形態が特徴の杉林です。広さは2.7haあり、この一帯は清澄な水が湧き出しています。扇状地の末端部でこのような自然林が残っているのは全国でここだけです。
[入善町役場](外部サイトへリンク)
大岩に浮彫した5体からなる磨崖仏です。
地元では、毎年7月30日に金毘羅祭とともにお祭りを行っており、俗称五体像様といって大切にしています。
[黒部・宇奈月温泉観光協会](外部サイトへリンク)
初代富山県知事国重正文(1840~1901)の住居であったものを西田収三が購入し、現在地に移築したもので、庭園(市指定名勝)の眺めがすばらしいです。
[黒部市役所](外部サイトへリンク)
20mからなる潜流滝で二つの岩穴から水が流れる様から、その名がつきました。
[黒部・宇奈月温泉観光協会](外部サイトへリンク)
法福寺の境内にあるエドヒガンザクラで、昭和40年1月1日に県の天然記念物に指定されました。4月18日の観音会の頃が花盛りで、小枝に小集団状に花をつけ、花色は白っぽく、わずかに紅を帯びています。
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
この神社は愛本堰堤が最大洪水量7万個を目標にしてあるのに対し、昭和9年7月上旬の洪水量が11万個の超洪水で崩壊が当然視されたにも拘らず、これに堪えたことを驚き感謝すると共に将来の安寧を祈念するため建立されました。
[新川広域圏 水博物館](外部サイトへリンク)
平安時代の荘所(荘園の管理所)跡で、建物跡が確認されたのは全国初の例で、遺跡は覆土復元し、平成2年4月、遺跡公園として開園されました。
[新川広域圏 水博物館](外部サイトへリンク)
水田地帯にある約15,000平方メートルの縄文時代の遺跡です。
縄文時代の共同体のしくみや生活様式を学べるよう、3棟の住居址を復元し、遺跡公園として公開しています。
[朝日町役場](外部サイトへリンク)
加賀藩領東端の一里(36町、約4,000m)塚で、街道をはさみ、南北を一対に5間(約9m)四方の規模に榎が植えられました。南側の塚は、明治以降の国道拡張のため取り壊され、現在、北塚だけが現存しています。
[朝日町役場](外部サイトへリンク)
碑には建立者や年代等の刻記は全く認められないが、ほとんど風化も認められず、県内にある芭蕉句碑中最大なものです。なお、碑文は、旧高田藩の書家、白甫(または白梅甫)の揮毫と伝えられています。
[朝日町役場](外部サイトへリンク)
この滝は、飛騨山系の北端、二王山(標高784m)に源を発した渓流が、黒菱山の断層崖約60mを七段になって落下するものです。
滝は段を下るごとに勢いが増し、その迫力には誰もが驚嘆の声を上げます。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[朝日町役場](外部サイトへリンク)
黒部川右岸の自噴地帯における代表的な湧水で、清冷で豊富な量に恵まれています。県内外、他市町村からも多くの利用者があります。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[新川広域圏 水博物館](外部サイトへリンク)
黒部川の清流や、自然をそのままの形で生かした河川敷に広がる約22haの公園であり、水と緑に親しみ、自然観察する格好の場所となっています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[入善町役場](外部サイトへリンク)
JR北陸本線生地駅前、清水の里と呼ばれるこの湧水は、黒部川の清冽な水が自噴したもので、「冷たくておいしい水」 として乗降客や市民に親しまれています。(環境省の名水百選選定「黒部川扇状地湧水群」)
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
黒部川扇状地の豊富な湧水を利用し、あちこちで、主婦たちが洗い物にいそしみます。自然発生的にできたといわれるこの共同洗い場は、人々の格好の語らいの場ともなっています。(環境省の名水百選選定「黒部川扇状地湧水群」)
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
黒部漁港前にあるこの公園は、くろべ漁協直販施設『魚の駅「生地」』にも隣接していることから、毎年多くの人々が訪れており、おいしい水が飲める公園として親しまれています。また、生地地内の清水を巡るまち歩きの出発点にもなっています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[黒部・宇奈月温泉観光協会](外部サイトへリンク)
新治神社の境内にある月見嶋の池に湧き出す清水。12世紀ごろ、付近一帯は、「越之湖」が広がっていました。その後、湖は、黒部川、片貝川の大洪水により、一部は泥土に埋まりましたが、月見嶋の池は、その名残とされています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[黒部・宇奈月温泉観光協会](外部サイトへリンク)
黒部扇状地にある豊富な水量と水温の低さ(平均10℃前後)を誇る自噴井で地域住民に愛され、大切に保全・整備されています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[黒部市役所](外部サイトへリンク)
江戸時代に北陸街道を行き来した旅人ののどを潤した休憩所を復元しており、水琴窟の音色を聞くことができます。現代人の身心を潤す憩いの場です。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[黒部・宇奈月温泉観光協会](外部サイトへリンク)
地元住民はもちろん近隣市町からも多くの人が霊水として水を汲みに訪れます。付近一帯は、とやま森林浴の森に指定され、自然観察学習の場としても利用されています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定
[黒部市役所](外部サイトへリンク)
駒洗い池は、黒部市の南東鋲ヶ岳(標高861m)山麓の嘉例沢森林内にある湧水の池です。戦国時代に武将たちが馬を洗い清めた「強者どもの憩いの場」として伝えられ、今も、冷たくてきれいな清水をたたえています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[黒部市役所](外部サイトへリンク)
片貝川上流国有林での植樹・間伐や四季を通じての自然体験活動をしています。
[片貝川の清流を守る会](外部サイトへリンク)
布施谷近くの人々は、この僧ケ岳の残雪の形を農作業の目安としています。その他県内の雪形には、人形山、牛嶽等があります。
[県民カレッジ](外部サイトへリンク)
龍が水を噴くと必ず火事があるとかという言い伝えがあります。
[魚津市役所 魚津の文化財ガイド](外部サイトへリンク)
地域文化の特色を示す貴重な行動であることから、県の無形民族文化財に指定されました。東布施の中陣地区で開催されます。
[黒部市役所](外部サイトへリンク)
魚津市は、蜃気楼(しんきろう)が見える街です。
[魚津市役所 うおづ映像ライブラリー](外部サイトへリンク)
黒谷橋の橋詰には、万葉の家人・大伴家持が片貝川を歌った歌碑があります。
[魚津市役所 魚津の歴史と文化](外部サイトへリンク)
この龍石祠は、片貝川水系の農業と電力事業の守護神をお祀りしています。御霊代の石は「龍石」または「蛇石」と称し、雨乞いの石として有名です。現在も北陸電力と地元が共に春秋2回おごそかに祭礼をとり行っています。
[魚津商工会議所](外部サイトへリンク)
「可多加比の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通り見む」万葉の歌人、大伴家持も、清冽な雪どけ水が走る片貝川を 歌いました。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[魚津市 農林水産課](外部サイトへリンク)
故池田弥三郎氏が日本一うまいと折り紙をつけたのが魚津の水です。
JR魚津駅前に設けられた水飲み場は、豊富でおいしい魚津市の水のシンボルとなっています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[魚津商工会議所](外部サイトへリンク)
魚津市街地の中心部を流れる鴨川では、川底から透き通った清水が湧き上がっています。
片貝川の清冽な伏流水が湧き出ているもので、盛り上がって湧き出る形から「てんこ水」と呼ばれ、大切で身近な水として市民に親しまれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま未来遺産事務局](外部サイトへリンク)
難病に効く霊験あらたかな霊水とされ、日々参詣者が訪れています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[環境省選定 名水百選](外部サイトへリンク)
早月川の上流、早月谷の折戸という村に伝わる話です。
[上市町 むかしばなし]→神様仏様(外部サイトへリンク)
厄除け、無病息災を祈願するためのみそぎ
としたのが始まりといわれています。
[ネブタ流し](外部サイトへリンク)
大伴家持が伏木の国府から越中国内の巡視に出て、馬で早月川を渡渉したときの詠といわれています。
その雄渾な歌いぶりは、峻険な立山連峰の山容と雪どけの急流がほとばしる早月川を彷彿させます。
[魚津市役所](外部サイトへリンク)
名刹立山寺の参道の並木で計47本あります。「とが」はモミと同一の種に属する木ですが、これほどの巨木の並木は県内では立山寺にしかありません。高さは約20m前後で幹回りは3m前後、発育は極めてよいです。明治時代、寺院改築の際、伐採されかかったが信徒の反対で今日まで残ったものと伝えられています。
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
早月川扇状地の扇端部に当たる湧水地帯で、北アルプス剱岳から流れる清冽な水が各所に湧き出しています。湧水はいくすじもの小川を作り、一帯に約6.7haの湿地性の林が形成されており、四季折々の草花が清水に映える公園は、市民の憩いの場として親しまれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[環境省選定 平成の名水百選](外部サイトへリンク)
上市町の中心から北東へ8km、東福寺野公園の奥、護摩堂地区は富山湾と富山平野が一望できる高台にあります。地名の由来は、弘法大師が村民の幸せを祈って護摩をたいたことによるものとされています。
この高台に湧く清水は地元の人々に「頭がよくなる弘法清水」といわれており、現在でも、大切に保存されています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
北アルプスの剱岳を源に持ち、全国屈指の急流河川となって、富山湾に注いでいます。
その河口の海は、春から初夏にかけて、ホタルイカ漁でにぎわうところです。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[上市町役場](外部サイトへリンク)
霊峰立山の主峰雄山直下からの湧水で、多くの登山客や観光客ののどを潤しています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[環境省選定名水百選](外部サイトへリンク)
常願寺川は、立山の山中に『常願寺』という寺社があり、これから名付けられたという説があります。
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
大洪水で流された大石が、大正4(1915)年、護岸の神として、上に水神の碑を立てて、今でも毎年例祭をしています。
[国土交通省地方整備局](外部サイトへリンク)
富山市大場地区の川ぞいには、「安政5年の大洪水」の時に上流から流れてきた高さ8m以上の巨石があります。
[パレットとやま]かわの情報→常願寺川フィールドミュージアム(外部サイトへリンク)
常西合口用水には桜堤や遊歩道等があり、水の流れと合わせて四季の変化が楽しめます。
[水の王国とやま]
大岩に浮かびあがる忿怒の不動尊が魂を射ぬき、ほとばしる滝が六根を打つ、大岩山日石寺です。
[上市町](外部サイトへリンク)
天正7年に越中四郡の守護職となった佐々成政は、天正8年秋の大洪水によって氾濫した常願寺川の沿岸を自ら指揮し、天正9年に堅固な石積護岸を築堤しました。その底には成政の名を刻んだ「成政身代わり石」を埋め安全を願ったとされています。
[常願寺川フィールドミュージアム(パレットとやま)](外部サイトへリンク)
立山マリモは、昭和62年に立山町広明正一方で発見され、当初は阿寒湖のものと同類と考えられてきました。しかし、近年DNA鑑定などから、立山マリモのみが系統を異にすることが示されました。また、立山マリモは阿寒湖のマリモ以外では唯一球形化し、本州日本海側で最南端に分布するものです。
[立山町観光協会](外部サイトへリンク)
この石仏は、真言密宗の総本山日石寺の本尊として全国の信者の帰依を集めています。また、巨岩に半肉彫りで彫り出されており、中部地方における最高傑作として高い評価を得ています。室町時代、上杉勢の兵火に、また、昭和42年に火事にあったが、ほとんど損傷を受けることなく今日まで残っています。
[富山県デジタル文化財ミュージアム]
日石寺は「大岩の不動さん」として全国にその名を知られ、多くの信者が訪れます。不動明王の回りから出るこの霊水は、 昔から、眼病に霊験があると言われています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[富山県デジタル文化財ミュージアム]
標高2,400m、立山黒部アルペンルートにある、神秘的な湖。水面に映える立山の雄姿は美しく、訪れる人々の心をなごませてくれます。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
長さ56km、万年雪を頂く立山・薬師岳に源を発し、富山湾に注ぎます。我国屈指の急流河川で、その清流は四季を通じて豊かで、ほとりは美しい自然に恵まれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
立山連峰の水を集めて大瀑布となって落ちる称名滝。日本一の落差350mを誇ります。霧に浮かぶ滝は飛竜となり、光をうけて7色の虹を吐く姿は壮観です。なお、この滝は、国の名勝天然記念物に指定されています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[立山町役場→立山町要覧→ここが日本一](外部サイトへリンク)
白布を垂らしたような岩室の滝は落差24m、両岸は40mに及ぶ岩壁をなし、その中ほどの柱状の割れ目から突然姿を見せた水が、まっすぐ落下し、岩壁をえぐり、滝つぼを作っています。
県の天然記念物に指定されています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
富山市上滝の街並みに並行して大川寺段丘が続き、その中段のうっそうとした杉林の茂みの中に祠があります。
この祠の下から年中枯れることなく湧き出す水は、昔から弘法大師の水と呼ばれ、地元の人々に親しまれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[常願寺川フィールドミュージアム(パレットとやま)](外部サイトへリンク)
風の盆で知られる坂の町八尾には、「エンナカ」と呼ばれる火防・流雪用水路があります。
[環境省選定残したい日本の音風景100選](外部サイトへリンク)
神通川の船橋には、夜になると、それはそれはおそろしい七化けたぬきが出たそうです。
[国交省北陸地方整備局](外部サイトへリンク)
川音が大きく、仙人が唱えたお経が聞こえなかった時に、竜王の神通力によって川音が消え、神通川と呼ぶようになったと言われています。
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
平安の雅を現代に再現した祭りです。
[富山市観光ガイド](外部サイトへリンク)
日本庭園の技法のひとつ。洞窟内に水滴を落としたとき発生する反響音を庭園内で楽しむものです。
[富山県民会館 内山邸](外部サイトへリンク)
長慶寺境内の木立ちの中に呉羽山の中腹を背にして建ち並び、一基一基の間に石燈籠をはさんでいます。各尊像は坐像・立像と変化に富みながらも高さが統一されています。
この五百羅漢は、江戸時代の羅漢信仰や北廻りの交易船航路と流通経済圏の問題を考えるうえで貴重な史跡であり、市内の代表的な観光名所です。
[富山市観光ガイド](外部サイトへリンク)
その名の通り、光彩鮮やかな虹をたたえる四つの滝群です。
[富山市観光ガイド](外部サイトへリンク)
いたち川の川べりにある延命地蔵の御手洗い水は、万病に効く霊水ともいわれ、各地から水を求めてくる人々が後を絶ちません。
地元の人々は、毎日御堂内を掃除したり花を供えるなど、町ぐるみで管理に努めています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやままちかどデータベース](外部サイトへリンク)
昔、御蔵番の殿様が好んで飲んだことから、この名が付きました。殿様はこの湧き水を飲んだお陰で、一生無病息災であったといわれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
かつて、八木山の村人たちは、岩肌の間から流れ出てきた湧水を、飲み水や田畑に利用していました。そして、年中絶えることなく湧き出るこの水に対する感謝のあかしとして祠を建立し、不動尊を祭りました。現在は、滝となり、絶えることなく落ちています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[富山市役所](外部サイトへリンク)
神通峡は県下でも屈指の景勝地で、県定公園となっています。
春の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧と四季おりおりに人々の目を楽しませてくれるこの峡谷は、自然が作り上げた芸術と巨大な人工ダムが不思議に調和して、豊かな景観をかもし出しています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[神通峡](外部サイトへリンク)
この地方では、桂の木の根元からは、必ず水が湧き出ると言い伝えがあります。
大玉生八幡社横に、樹齢1,000年ともいわれる桂の大木がそびえており、桂の清水はその根元から湧き出す清らかな水です。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[富山市観光ガイド](外部サイトへリンク)
常楽寺の参道から、石段を登ると観音堂があり、国の重要文化財の聖観音菩薩が安置されています。
この聖観音が山田村宿坊の一末寺から常楽寺観音堂へ遷されたときに、境内の樹林の中に霊水が湧き出てきたと伝えられています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[神通川フィールドミュージアム(パレットとやま)](外部サイトへリンク)
不動明王が祭る清幽の地に豊富な清水があり、多くの参詣者に親しまれています。
花山寺本坊が奥の院として水かけ地蔵を建立し、この清水を霊水としています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[富山市役所](外部サイトへリンク)
この滝は、霊験があり不治の病も治すといわれ、親しまれてきました。江戸時代中期~後期には、全国から大勢の参拝者が訪れ、参道には、茶店や旅籠も立ち並んでいたといいます。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[富山市役所](外部サイトへリンク)
花嫁が、玄関で婚家と実家の水を一つの素焼きのカワラケに注がれ飲む水のことです。
[富山県民カレッジ](外部サイトへリンク)
合掌造りでは、屋根から下ろした雪を始末するための融雪池を設けています。
[富山県民カレッジ](外部サイトへリンク)
流刑で五箇山にやってきたお小夜は、この地若者たちに唄や踊りを伝えました。
しかし、悲恋を苦に庄川に身を投げてしまいます。
この塚はそのお小夜を偲んでつくられたました。
[北陸地方整備局利賀ダム工事事務所](外部サイトへリンク)
正月、厄年にあたる男女が、鯉の生命力にあやかり御神酒を飲ませ庄川に放流しています。
[富山県砺波市観光情報](外部サイトへリンク)
水のヒンヤリ感が欲しい真夏に、流木乗選手権大会などの水に関したイベントが満載です。
[富山県砺波市観光情報](外部サイトへリンク)
アシツキノリは、帯褐緑色、寒天質の塊りで襞の多い嚢状の固体、大きいもので10cm程に成長します。生存には13℃~14℃前後の清烈な流れと陽光が必要条件ですが、発生にはまだ不明の点が多いです。
[高岡市生涯学習センター](外部サイトへリンク)
越中五箇山にある、合掌造り集落の相倉集落は、昭和45年に国の史跡に指定され、合掌造り集落の原型を永久に保存することになり、平成7年12月には、岐阜県白川村の萩町集落、菅沼集落とともに、世界遺産の「文化遺産」に指定されました。
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
江戸時代に天に立つ石として天柱石の名称が生まれたと考えられ、伝説を生み神聖視されてきました。
高さおよそ32m、周囲およそ75m、安山岩質の巨大な一個の岩塊が突き立つ景観に人々は圧倒されます。口碑と信仰を伝えるとともに地理学および地質学の見地からも貴重な意義を担っています。
[水と緑といのちの回廊]
越中五箇山にある合掌造り集落の菅沼集落は、昭和45年に国の史跡に指定され、平成6年に重要伝統的建造物群保存地に指定されました。平成7年12月には、岐阜県白川村の萩町集落、相倉集落とともに、世界遺産の「文化遺産」に指定されました。
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
約600年前、法華宗の開祖日隆聖人が誕生の折、清泉が湧き出したといわれています。この霊水が聖人の産湯とされたことから、これを誕生水と名付け、今も、地域の人々や全国の信者に親しまれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[きららか射水観光NAVI](外部サイトへリンク)
木曽義仲が、平家との戦いのとき、部下の進言により、弓でがけ下に矢を射ったところ、そこから清水が湧き出たと伝えられています。地元の人々が保存会を結成し、大切に守っています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[環境省選定 名水百選](外部サイトへリンク)
初代増山城主が築城の折、家臣の山名又兵衛が発見したと伝えられる湧き水です。現在、戦国のロマンを秘めた城跡を訪れるハイカーたちに親しまれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
「水神様の水」とも呼ばれ、村の祭神「水波廼女神」を祭った社の床下から湧出している神聖な水です。昔から、地域住民が生活や五箇山和紙生産に利用してきました。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
合掌造りの民家で知られる秘境・五箇山。その山あいに建つ寺の境内に、湧水の池があります。この池には、五箇山に浄土真宗を広めた赤尾道宗にまつわる故事があり、今も涸れることなく湧き出ています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
脇谷橋の手前にあるお地蔵さまの祠からでる湧水で、古くから村人や旅人に利用されてきました。
現在も、地元の人々に親しまれ、大切に保全されています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
水の冷たさで瓜が裂けたことから、「瓜裂清水」と命名されたと言われています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[環境省選定 名水百選](外部サイトへリンク)
山野地区では、今でも「芋洗い水車」が活躍しています。
[山野さといも組合](外部サイトへリンク)
標高830m、高清水山の山腹にある縄ケ池。
周囲約2kmの池の周辺に原生林が生い茂り、竜が住むという伝説と相まって、どこか神秘的な雰囲気を漂わせています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[なんと-e.com](外部サイトへリンク)
清流の里として知られる宮島峡には見どころがいっぱいです。
[小矢部市役所](外部サイトへリンク)
土用の入りから3日目(土用の三番)、福光地域荒木地区では、五穀豊穣を祈る奇習「ねつおくりまつり」が行われています。
これに合わせて福光地域商店街を中心に行われるのがねつおくり七夕祭りです。
[南砺市役所](外部サイトへリンク)
氷見市には、国指定天然記念物指定の淡水魚イタセンパラが生息しています。氷見市海浜植物園で見ることができます。
[富山県教育委員会文化財課]
「万葉集」に詠まれている射水川は、小矢部川であると言われています。
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
高岡の開祖前田利長の菩提寺曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさには圧倒されます。山門、仏殿、法堂が県内で初めて国宝の指定を受けました。
[瑞龍寺](外部サイトへリンク)
本堂は寛政5年(1793)に西本願寺本堂を模して建設されたもので、約40m四方の巨大な建造物で、地方においては破格の規模です。本坊は中世から近世にかけて確立された住宅建築様式である「書院造り」です。
[勝興寺](外部サイトへリンク)
オニバスの発生地は多数あるが、氷見市十二町潟のように巨大で、しかも生育株の多いのは他に類がなく、大正12年に「十二町潟鬼蓮発生地」として天然記念物の指定を受けました。
[キトキト旅ゲーター氷見](外部サイトへリンク)
瓢箪石は、灰色で硬く、表面は、石英や長石の粒でザラザラしており、普通は楕円形、または球形をしているが、まれに紡錘形のものがあります。しかも、それらが重なり合い、瓢箪が重なり合っているようです。
[氷見市役所](外部サイトへリンク)
長坂に生育する暖地性常緑樹である大イヌクスは、クスノキ科に属し、県内随一の巨樹です。
この木の高さは約12m、目通幹周6.91m、地上約2.5mの高さで8本の太い枝に分かれて天空に広がっています。
[氷見市役所](外部サイトへリンク)
高さは3mぐらいで余り高くはないが、川幅いっぱいに落下する様は、あたかも小ナイヤガラ瀑布の観があります。滝壺の付近は上流から流れてきた砂礫が落ちて渦巻くうちに軟らかい岩床に穴をあけたポットホール(甌穴)が数多く見られます。
これは、昭和40年に富山県の天然記念物に滝とともに指定されました。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[富山県デジタル文化財ミュージアム]
一の滝とともに、宮島峡を代表する滝です。
一の滝と比較して流れが緩やかで幅が広いです。
[小矢部市役所](外部サイトへリンク)
砺波チューリップ公園横にある水車苑は、砺波地方に昔から利用されていた農業揚水水車をヒントに再現した「五連水車」や、動力源として使われていた「らせん水車」などを設置して、水車のおもしろさや先人の知恵を知ってもらえるように整備してあります。
[砺波市役所](外部サイトへリンク)
かつては山田川東岸に2、3本自生していましたが、戦後蒔用として南側の桜を伐採したため、現存するものはこの木のみとなりました。幹は根元で9つに分かれ、花は、ほかの桜より早く満開になるといいます。
[城端観光協会](外部サイトへリンク)
戦前、陸軍省は、この地に立野ヶ原陸軍演習場を設置しました。この監的壕は砲兵の実弾射撃訓練の着弾効果を観測するためにいくつか建造された最後の構築物で、昭和10年代の遺構として、当時を偲ぶ唯一の遺産となっています。
[南砺市役所](外部サイトへリンク)
昭和9年に建築された旧加越線の駅舎で、中央に楼閣及び千鳥破風をもつ複雑な屋根,欄間彫刻や蟇股を用いた細部等の仏閣風の意匠に特徴がある木造建築です。現在は町の観光物産館として活用しています。
[富山県デジタル文化財ミュージアム]
富山県に於る真宗寺院中最古の建造物として県指定建造物となっています。総欅造り、間口11間6寸(20.2m)奥行8間3尺3寸(15.56m)、総丈57尺3寸(17.36m)の入母屋重層造りです。
[真宗大谷派 井波別院 瑞泉寺](外部サイトへリンク)
越中一宮高瀬神社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、天活玉命(あめのいくたまのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)を祀り、越中国延喜式内社三十三座の神々を奉斎しています。
[越中一ノ宮高瀬神社](外部サイトへリンク)
明治36年4月、富山県立農学校校舎として施工されました。
木造の和洋折衷二階建で床が高く、片側廊下式の明治期を代表する洋風建築物であり、昭和62年「富山の建築百選」に選定されました。
[富山県立南砺総合学校 福野高等学校](外部サイトへリンク)
気多神社は、深い杉の木立に囲まれて建っており、越中一宮として歴代国守から手厚い崇敬をうけた古社です。
境内に入る鳥居の手前の坂道に、しめなわが張られた清泉があり、同神社が建立される以前から、湧き出ていたといわれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[高岡市役所](外部サイトへリンク)
200年以上も前に、親孝行の六兵衛が掘ったと伝えられています。どんな日照りの夏にも涸れないという言い伝えがあり、市民によって大切に保存されています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[高岡市役所](外部サイトへリンク)
この清水は上日寺開創のころ千手観音菩薩を安置したところ湧き出したものとされ、この水で本尊を沐浴し、その霊木としてイチョウを植えたといわれています。古くより、無病長寿に効く霊水といわれ、近年では茶道にも珍重されています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[氷見市役所](外部サイトへリンク)
源平合戦の頃、木曽義仲が倶利伽羅山へ兵を進めた際、水場がなく困っていたところ、空から白鳩が飛来し、山中にある滝まで案内したとの言い伝えがあります。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[小矢部市役所](外部サイトへリンク)
古くから、付近の人々の生活に密着した清水として親しまれてきました。池には、市の天然記念物に指定されているアシツキが自生しています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[小矢部市役所](外部サイトへリンク)
古くから、旱魃を救った霊水として大事にされてきました。今も、四季を通じ清冽な岩清水が噴出しています。この一帯は、多くの場所から水が湧き出ているため、古来から竜神が棲む神秘の場所と伝えられています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[環境省選定 平成の名水百選](外部サイトへリンク)
安居寺の下を流れる御手洗川の川沿い、切り立った岩壁の割れ目から湧出しています。
町内の茶の愛好家による野点に利用されるなど、多くの人に親しまれています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[福野観光協会→観光スポット→憩いの広場](外部サイトへリンク)
南砺市中河内から小矢部川上流約2kmにかけての峡谷。奇岩がそそり立ち、岩肌には松や桧が盆栽のように生え、水墨画を思わせる景勝の地です。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
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