更新日:2021年7月1日

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基金活動大島町[鳥取]

大島町鳥取

未来の夢に向かって
白鳥のように羽ばたけるまちへ。

鳥取地区は大島町の中央部に位置する田園地帯で、37戸・122名の住民が暮らしいます。稲作と大麦栽培を中心とするのどかな農村風景が広がり、東には立山連峰、西には二上山を望む風光明美な地区です。鳥取は「白鳥伝説」ちなんだ地名で、大島町絵本館のあるところとしても知られています。

 

子どもたちの夢を育む
大島町絵本館

[作成:平成17年3月]大島町=現射水市

歩きながら、見て、感じて、再発見!

「住んで良かった」をテーマに整備を続けてきた大島町鳥取地区。まずは集落点検を通して「もの知り地図」を作成し、住民が実際に見て感じた良いところ、悪いところ、そして今後何が必要なのかを確認しあいました。

鳥取の「へぇ〜!?」にたくさん出会った歩こう会

集落点検でつくったものしり地図

  • 富山県と大島町の指導を受け、集落点検「歩こう会」を実施したところ、参加者は小雨にもかかわらず、小学生からお年寄りまで35名!
  • 同じルートを歩いていても世代によって感じ方や意見が違うところも多くあり、子どもたちは年配の方が解説する史跡の話を興味深そうに聞くなど、大変意義深い体験となりました。
  • 各班のグリーンカード、レッドカードから集約された意見は、むらづくり協議会でまとめ、拡大集会に提案。何度も話し合いを重ねながら、鳥取地区の「もの知り地図」を完成させました。

歴史の勉強にもなりました。

白鳥伝説ゆかりの地で、未来の夢を描いていこう!

  • 現在、鳥取地区では土地改良基盤整備もほぼ完了し、恵まれた自然環境、農村の生活環境整備、地域の美化運動などへの取り組みが、今後の課題となっています。
  • また「鳥取の里」としての大きな夢は、集落の歴史や民話の集約。鳥取の名称は、日本最古の書物「古事記」にも記されている歴史ある土地です。由来については鳥取八幡社の境内に記されていますが、江戸時代の国学者・本居宣長は、著書「古事記伝」のなかで、「古事記」の中巻に出てくる白鳥物語の舞台を“鳥取という地名が残る射水平野の中心・三島野”と想定しています。未来を託す子どもたちにとつくられた大島町絵本館は、この鳥取の里に建てられています。これらの地域性をいかし、子どもたちが新しい夢に向かって白鳥のように羽ばたけるような風土と環境づくりにチャレンジしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

みんなの思いをたくしたチャレンジ構想

歩こう会で見つけました魅力いっぱい「鳥取の里」

鳥取の里「白鳥伝説」の由来

今から約2000年前、生まれつき言葉が不自由な垂仁天皇(すいじんてんのう)の皇子・誉津別名(ほむつわけのみこと)が、大空を飛ぶ一羽の白鳥を見て「あれは…」と初めて言葉を発しました。天皇は大変喜び、白鳥を捕まえるよう命令。命を受けた湯河板誉(ゆがわたな)は各地をめぐり、捕まえた場所が鳥取集落の周辺だったことから、「鳥取の里」と呼ばれるようになったと伝えられています。

開拓通水記念に植えられた八幡杉

養老元年(717年)、先人が開拓通水記念に植えたとされる御神木。かつては、大空高く羽ばたく鳥にも似た見事な枝振りで、中央部には天狗の巣があり、深夜に神楽の調べが聞こえたという伝説も。しかし、昭和55年、落雷と環境の変化で枯れてしまいました。

盤持地蔵(ばんもちじぞう)とナゾの大きな石!?

地蔵の横には100キロ以上ある大きな石があります。これは昔、力競べに使われた石で、お地蔵さんは、この力競べの時にケガのないよう無事故を祈る守神として造られました。一説には弘法大師の作ともいわれています。

開運の神・土蔵の大黒(遠藤彰さん宅)

遠藤さん宅の前を流れる鳥取用水路が別名大黒川と呼ばれていたことから、福笑いと開運の神として、また五穀豊穣・無病息災の祈りを込められた大黒さまです。今から60年ほど前に1ヶ月あまりをかけて彫り上げられました。

お問い合わせ

所属課室:農林水産部農村振興課 

〒930-0004 富山市桜橋通り5-13 富山興銀ビル4階

電話番号:076-444-3380

ファックス番号:076-444-4427

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