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更新日:2025年11月25日
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「今、赤ちゃんが生まれたよ。赤ちゃんもお母さんも元気だよ。」
一学きのしゅうぎょうしきの日のあさ、父から聞きました。
「やったー赤ちゃんに早く会いたいな。」
わたしは、うれしい気もちで学校へ行き、おともだちに弟が生まれたことをつたえました。
弟が生まれた日、母と弟に会いにびょういんへ行きました。
「お母さん、赤ちゃんを生んでくれてありがとう。」
と母につたえると、母は、
「ありがとう。」
とにっこりわらってくれました。しかし母はまだ体がいたそうで、あるくのも大へんそうに見えました。生まれたばかりの赤ちゃんは、足も手もかおも小さくてかわいかったです。母と弟がたいいんしてきたら、二人のことをいっぱいたすけたいと思いました。
弟が生まれてからしばらくのあいだ、父もいく休をとることになりました。父が母のかわりに、りょうり、せんたく、そうじ、かいものなどをします。そのあいだに、母には、ゆっくり体を休めてもらいます。弟のおせわは、家ぞくみんなでぶんたんします。わたしは、おむつこうかん、きがえ、ねかしつけ、ミルクをのませたりしています。弟のおせわをする時には、やさしく声をかけます。弟と目があうと、
「あーうー。あーうー。」
と声を出したり、手足をバタバタさせたりします。くびがすわっていないので、だっこする時はくびのうしろをしっかりささえます。弟のおせわをすると、弟のかわいいようすを見られるし、父や母にいっぱい「ありがとう」と言ってもらえるので、とてもうれしいです。
父と二人でスーパーに行ったときは、おかいもののおてつだいをします。カートをおしたり、かったものをふくろにつめたりします。この前は、父がどのなっとうをかおうかまよっていたので、母がいつもかっているなっとうをおしえてあげました。
「あやねがいてくれて、たすかったよ。」
と父に言われて、父をたすけられたことがうれしかったです。
弟が生まれて、うれしくて、たのしいまい日だけれど、父と母はとてもいそがしそうで、一しょにあそべる時がへって、すこしさみしい気もちもあります。弟が生まれてくれたおかげで、家ぞくみんなですごす時かんがとてもたのしくて大せつな時かんだということがわかりました。
「わたしのかわいい弟へ 生まれてきてくれてありがとう。これからもいっぱいおせわさせてね。いっぱいあそぼうね。」
れい和7年3月29日、わたしは悲しい気持ちでいっぱいになった。
大好きなばあばが天国に行ってしまったとママが泣きながら話してくれた。わたしは、あんなに泣きじゃくるママのすがたを見るのは初めてだった。
ばあばは、8年間びょう気とたたかいつづけていた。すごくすごくがんばった。いたい事もくるしい事もつらいことだって、「大じょうぶ。」と言ってのりこえていたとっても強いばあば。
でも本当はまぎゃくだった事をわたしは後から知った。ばあばは、お見まいに来るわたしたちまごや、大好きなママの顔を見て、『生きよう』と思い、つらさにたえていただけだった。それをママから聞いたわたしは、少しでもばあばの力になれる事をひっ死で考えた。
そこで、わたしのとくいで大好きな絵と手紙を組み合わせたプレゼントを作ることにした。きれいな色のペンや、おり紙、びんせんを使って目で楽しめるとくべつなお手紙を作った。
ばあばにそのプレゼントをわたした日、ばあばは目をなみだできらきらさせて目がくしゃっとしたやさしいえ顔を見せてくれた。わたしはばあばのよろこぶ顔が本当にうれしかった。ばあばのためにと思ってした事だったけれど、それを見たママもわたしにありがとうと言ってくれた。その時、わたしのしたことで、みんなが一しゅんでもあったかい気持ちになれたのだと分かった。わたし一人の小さな行動が、人の気持ちを大きく左右させた事は自分にとってもかけがえのないしゅん間だった。わたしはたくさんの気持ちを学んだことの日々をぜったいにわすれない。
ばあばがいのちをかけて教えてくれたことをむねにぎゅっとだきしめながら大人になっていきたい。
ママがばあばをなくしてすごく悲しかったように、わたしもママがいなくなることをそうぞうするだけでとってもつらい。
だから元気でいる毎日に感しゃをして大好きな家ぞくのみんなにたくさんのありがとうをつたえていこうと思う。
思うだけではなくて、相手にしっかりと気持ちをつたえること。行動することの大切さをばあばはわたしに教えてくれた。
「ばあばずっとずっと大好きだよ。たくさんがんばったからゆっくり休んでね。ママのことはわたしにまかせてね。本当にありがとう」
と、毎日心の中でばあばに話しかけている。
いつも親の一言で「カチン」と頭に来る。そして無性に腹が立ち反論する。そこからぼくと母との壮絶なバトルが始まる。毎日あきもせず繰り広げられるバトルが。
ある日の事だ。ぼくの反抗タイムは解しゃくの違いで大笑いに変わった事があった。母にうるさく何度も、
「勉強しなさい。」
と言われた。あまりにもうるさくしつこいので、
「うるさいな。ほっといて。うっとうしい。」
とキツイ口調で言ってやった。さすがにブチギレた母が、
「今から9時までゲーム機を没収。タチナサイ。」
と言い放った。うるさいと思ったぼくは、
「何で立たないけんの。うるさいなー。ほんまに。むかつく。」
と悪態をつきながら、仕方なく漢字の宿題を持ってソファーから立ち上がった。すると今の今まで鬼の形相をしていた母の表情が緩み始めた。いや今にも吹き出しそうなのをがまんしている様にも見えるといった方が正しい。するとどこからか、
「アハハ。」
と姉の大笑いと、
「クックックッ。」
と必死に声を押し殺して腹を抱えて笑う父。
「エッ、何なん。何がおかしいん?オカンは立ちなさいって意味わからん事を言うし。腹立つわ。」
ってぼくが真剣な顔をして言うと父が、
「お母さんが言った『タチナサイ』ってスタンダップの『立つ』じゃなくて断絶の『断つ』だよ。本当に立つ崇央君かわいすぎ。」
これを聞いてさっきまで顔を真っ赤にして繰り広げられていた、ぼくVS母のバトルだったのが一瞬にして腹を抱えての大笑い対決に変わった。相変わらずお互いの顔は真っ赤なままだけど。ほんのちょっとの言葉の解しゃくの違いでここまで大笑いし空気が変わりいつもの仲良しに戻ったのだ。もちろん、父に、『かわいすぎ』なんて言われたから照れ臭くなって、
「うるさ、キモイ。」
って思わず思ってもない事を言ってしまった。
ぼくは今、反抗期なのだろうと思う。親の言う事が多分正しいだろうけど、素直に聞きたくないという気持ちの方が勝っている。その度に衝突する。その度にイライラしたり、「言い過ぎたな」とか「うちの親、子供相手にそこまで言わなくても」と思う事もある。だけどこの関係、ぼくは嫌いじゃない。むしろ相手がこの親だからできる事なんじゃないかと思う。こんな反抗的な事ばかりしているぼくだけど不思議な事に誰にでも反抗は決してしない。祖父母にすら自分の気持ちを押し殺して良い子を演じているのだ。
拝啓 両親へ
もうしばらくはぼくの反抗期は続くと思う。いや続く。正直どこまで続くんだろう?どこまでも続くのかな?終わりは来るのかな?と自分でも思う。こんなぼくに付き合い当たり散らされる親はきっと辛いんだろうなと頭ではわかっている。でも今は我慢できない。だけど本当の事を言うと安心して反抗できるのは紛れもなくぼくの親だけなんです。だからぼくの反抗期にもう少しだけお付き合い下さい。そしてお酒を一緒に飲める様な大人になった時に、
「あの頃は本当に大変だった。自分の息子じゃなかったらぶん殴ってた。」
っていつものしょうもないいたずらを考えている時のような顔で笑いながら反抗期の仕返しの様な嫌味を言って下さい。その時はしっかりと反論せずに聞きます。そしていつか来るその日を楽しみにしております。
敬具



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