更新日:2021年2月25日

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境A遺跡出土品

重要文化財・境A遺跡出土品

境A遺跡は、富山県の東端の朝日町にあります。北アルプスから続く山地が背後に迫る海岸段丘にあり、目の前には日本海が広がっています。眼下の宮崎・境海岸は、別名「ヒスイ海岸」と呼ばれ、ヒスイ(硬玉)の転石が打ち寄せられ、今でもヒスイを拾うことができます。

遺跡は、北陸自動車道の建設に先立ち、昭和59年・60年に発掘調査され、縄文時代中期から晩期(約4800~2500年前)の集落跡であることがわかりました。住居跡・墓穴等の遺構から、土器・石器類などの大量の遺物が出土しました。中でもヒスイの玉製品と蛇紋岩(じゃもんがん)製の磨製石斧は、加工過程を示す原石や未成品が数万点出土し、加工の道具類も発見されました。このことが高く評価され、これらの出土品は平成11年に国の重要文化財に指定されました。

ヒスイの産地は全国で10か所知られていますが、ごくわずかを除き全国の遺跡から出土するヒスイ製品は、新潟県南西部から富山県東部で産出されるヒスイで作られたことが明らかとなっています。これらのヒスイの玉製品は交易によって北海道から沖縄に至る日本各地の縄文集落へ運ばれました。「玉作りのムラ」境A遺跡は日本のヒスイ文化のふるさとと言えます。

出土品の特徴

ヒスイ玉類(JPG:643KB)
ヒスイ等玉類

ヒスイ製玉類

ヒスイを加工して玉類を製作し、身を飾ることは縄文前期からあったようで、近くの豊富な資源を背景に、境A遺跡でも縄文時代中期以降に、大珠、勾玉、丸玉、垂玉といったヒスイ製玉類の製作が盛んに行われました。そのため、遺跡からはヒスイの原石、加工品、製作途中の未成品などが大量に出土しました。

ヒスイの玉類は縄文時代でも日本中から出土していますが、その大多数が境A遺跡など富山県東部から新潟県西端部のいくつかのムラで製作され、全国に流通したことが明らかとなっています。境A遺跡から出土したヒスイ製玉類製作関係の遺物は、縄文時代のヒスイ文化を明らかにする上で絶好の資料と評価されています。

磨製石斧と砥石(JPG:415KB)
磨製石斧と砥石

磨製石斧の製作

境A遺跡出土品のもうひとつの特徴が、蛇紋岩類を素材とした磨製石斧製作関係遺物です。蛇紋岩は硬度は2~4と低いものの、粘り強く割れにくいという性質をもっており、鋭い歯先を研ぎ出すことができます。

遺跡からは35,000点にも及ぶ大量の蛇紋岩製磨製石斧の未成品と加工道具が出土しています。この量は一集落での使用量をはるかに超えており、作られた磨製石斧の多くが、北は青森県から南は和歌山県まで、全国各地の遺跡から出土しており、縄文時代における地域特産品ともいうべきものが広い範囲で流通していた実態を明らかにしました。

多彩な縄文土器

境A遺跡の集落は縄文時代中期にはじまります。この頃の北陸地方の土器は天神山式、古府式土器と呼ばれています。器面全体を渦巻状の隆起線で埋め尽くし、華やかでダイナミックな文様が特徴です。器形の種類も一般的な深鉢・浅鉢台付鉢に加え異形土器(台付双子土器)・有孔鍔付土器・釣手土器など変化に富んだ土器が見られます。

また、信州地方の曽利式土器、東北地方の大木8b式土器や新潟信濃川流域の火焔型土器(馬高式土器)の影響を受けたとみられるものも出土しており、当時の人々が日本の各地と交流があったことを物語ります。

お問い合わせ

所属課室:教育委員会埋蔵文化財センター 

〒930-0115 富山市茶屋町206-3 

電話番号:076-434-2814

ファックス番号:076-434-2859

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