安全・安心情報
トップページ > くらし・健康・教育 > 健康・医療・福祉 > 医療 > イタイイタイ病資料館 > バーチャル展示室 > バーチャル展示室(HTML版) > イタイイタイ病の発生と被害の実態 > 農漁業被害とイタイイタイ病
更新日:2021年3月25日
ここから本文です。
明治時代中頃から神通川流域で発生した農業被害や漁業被害は、徐々に神岡鉱山の鉱毒による被害として新聞などに取り上げられるようになりました。
また、大正時代頃からこの流域で多く見られるようになったイタイイタイ病は、一部で、地方病や業病[ごうびょう](※)と考えられていましたが、昭和30年代まで多くの県民はその存在さえ知りませんでした。
※業病:悪業の報いでかかると考えられていた難病
大正時代には、神通川流域の農業団体が、神岡鉱山から神通川上流の高原川へ流される鉱毒の影響で、稲の生育が悪く完熟しないなどの鉱毒被害を訴え、国や県に対して神岡鉱山の廃水対策の改善を求めるようになりました。
また、昭和初期からは、漁業団体からも神岡鉱山に対して同様の申し入れを行うようになりました。こうした要望は、戦後の補償要求に発展していきました。
神通川流域の農漁業被害とともに、そこに暮らす人びとへの健康被害も徐々に広がっていました。
イタイイタイ病と呼ばれるようになったその病気は、神通川本流水系の流域の富山市婦中町(旧婦負郡[ねいぐん]婦中町)と神通川をはさみ、その対岸を含む地域で主に発生しており、患者はその流域に長年住んでいる35歳以上の女性がほとんどでした。
お問い合わせ
関連情報
目的別情報
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください