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更新日:2023年10月31日

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「第58回(令和5年度)とやま県民家庭の日」に関する作品コンクールの受賞作品紹介

富山県知事賞受賞作品(作文の部)

「おばあちゃんのかんれき」:亀井 陽太さん(高岡市立福岡小学校2年) 

 7月29日におばあちゃんが60さいになりました。60さいになることをかんれきと言います。とてもめでたいことなので、みんなでおいわいをしました。

 オードブルやお子さまランチ、ケーキをいっしょにたべました。おかあさんといっぺいおじちゃんがプレゼントのバッグをあげていました。おばあちゃんはそのバッグでお友だちとりょ行に行くとうれしそうに言っていました。そのにっこりわらっているかおを見てぼくもうれしくなりました。ごはんをたべているときにおばあちゃんが、

「60さいになったら赤ちゃんにもどるからできることができなくなるからね。たすけてね。」

と言いました。妹もおとうともわらっていたけど、ぼくはなんで赤ちゃんにもどるんだろうとふしぎに思いました。おとうさんに聞いてみると、

「年をとると、はしれなくなったり、うんてんがむずかしくなったり、すこしずついろんなことができなくなるよね。それが赤ちゃんにもどるっていうことだよ。」

と教えてくれました。なるほどとなっとくしました。90さいのひいおじいちゃんも赤ちゃんに近づいているんだなと思ったからです。ひいおじいちゃんは耳が聞こえにくいから、ぼくはすこし大きなこえでゆっくり話しています。じてん車やさんのしごとは、すこしずつやってつかれたらすわって休んでいます。

 今から10年たったら、おばあちゃんは70さいになります。今よりももっと赤ちゃんに近づきます。そのときぼくは18さいになるから、おばあちゃんのできなくなったことができるようになるはずです。そうしたらぼくのうんてんする車でおでかけしたり、おばあちゃんをおんぶしてはしることもできます。  

おばあちゃんはいつもぼくの手つだいをしてくれているからありがとうという気もちでおかえしをしたいです。ぼくが小さいころはいっぱいだっこをしてくれました。それにいつもおいしいおかずをつくってもってきてくれます。ほかにもたくさんのたのしいことやうれしいことをいっしょにしてくれます。おばあちゃんに元気でわらって長生きしてほしいです。

「家族のきずな」:村上 心咲さん(氷見市立宮田小学校4年) 

 私の家族は私と父と母と妹の4人家族で、当たり前に元気に生まれてくるとだれもが思っていた8才の妹はねたきりの重度の障害を持っている。妹とはいっしょに公園で走り回ったり遊具で遊ぶことができず、友達の兄弟のように話すこともできないし、けんかをすることもできない。そして、食べることもトイレに行くことも着がえることも1人でできず全ての日常生活において介助が必要であるため、妹に父と母がとられる気がしてやだなと思うことがたくさんあった。先日妹がショートステイに行き、その間は父と母をひとりじめできてうれしかったけれど、妹の姿がないと、いつもとふんい気がちがいさみしかった。家に帰ってきた妹をみるとほっとして、やっぱり家族4人そろって元気に過ごせることが何よりうれしく感じた。

 公園に遊びに行くと妹はいつも父か母とバギーに乗って私の遊ぶのを見ているが、最近インクルーシブ公園ができ妹もふくめて家族で遊ぶことができた。私と同じようには遊べないが家族そろって遊具で遊べることによろこびを感じた。

 ねたきりの妹がいて不安や戸まどいや大変なこともたくさんあり、まわりとくらべてつらくて、くやしくて、ちょっと切ない気持ちになり、くちびるをぐっとかみしめたくなることもあるけれど、妹は私たち家族にとって大切なそんざいであり、日ごろからたくさんのことを妹から教えられている。そして日々の当たり前に感しゃできるようになったのも妹のおかげである。妹は、ね返り1つするにも大変な思いをしており、日々リハビリをがんばっている。ね返りを上手くできた時は、妹もうれしそうな顔をし、家族みんなが手をたたいてよろこんでいる。出来ないことにばかり目がいくけれど、出来ないことより出来ることに目を向け、出来ることによろこびを感じたい。しゃべれないことや歩けないことがちっぽけに思えるほど妹は自分の気持ちにただただ真っ直ぐに生きている。

 妹は話せないけれど、うれしいことや悲しいことを表じょうで伝えてくれる。妹が笑っていると私もうれしく、そんな妹を見ていると家族の気持ちがおだやかになり、みんな自然と笑顔になれる。私は妹の身体を変えることは出来ないけれど、妹の毎日を変えることがはいくらでも出来るから、ハンデを忘れるくらいの楽しい毎日にしてあげたいと思っている。日々の小さな幸せにも感しゃし、家族との時間を大切にし、笑顔あふれるあたたかい家庭をきずいていきたい。

「『カセキ』はわが家のほこり」:山﨑 雅将さん(富山大学教育学部附属小学校6年) 

 「ごはん、できたよ―。」

 午後6時45分。待ちに待った楽しい時間が始まる。自分の部屋から居間に全員集合するのだ。そこは、ぼくの大好きな場所だ。全員がそろうと、だれからともなく今日あった出来事をいっせいに話し出す。そこはまさしく戦場だ。ぼくは、だれにも負けないように会話の連射を打つ。家族は、祖父と父と母とぼくの4人。母以外はみんな男なのになぜかうるさい。世代のちがう4人が持論を語り出す。会話がはずむと食事がすすむ。あっという間に、ご飯を2はいおかわりしてしまった。

 いつもの夕飯の様子をクラスメイトに言ったら、

「おまえん家は、カセキみたいだな。」

とドン引きされた。化石?それってぼくの家は化石ぐらいに古くてめずらしいということなのか。自分の家はふ通だと思っていたのでおどろいた。友達の1人は、じゅくや習い事で帰りがおそいので作ってもらった弁当を食べたり、1人で食たくにある食事を電子レンジで温めてから食べたりしていると言っていた。また、他の友達は家族との会話が面どうだから、必要最小限しか話さないと言う。不思議に思ってインターネットで調べると、親の仕事と子供の習い事や部活で遅くなるために食事の時間が合わない。思春期で親より友達と話した方が楽しいと思う子供が多いと書いてあった。だから、夕飯を子供だけで食べる人や、親と話をしない子供が増えてきているのだろう。では、1日あったたくさんの出来事はいったいだれに話すのだろうか。言いかけた言葉に「カセキ」の文字が引っかかって、それ以上声を出すことはできなくなってしまった。

 家に帰るとかならず大好きな場所へ行く。自分の部屋はあるが、学校であったことをだれかに話す。大好きな場所にはだれかいて、絶対顔をみて話をする。ある日、相談したいことがあって思い切って話してみた。すると、自分の仲間のようにあれこれ話すうちにぼくの心にある苦しみや辛さが半分になっていくのを感じた。ちがう日にテストの点数がよくて話すと、まるで自分がとったように、喜びが2倍3倍にもなっていた。そんな家族がいるからがんばろうと思うのだ。それに、マナーやきまりを破るとみるみるおにに変わって、真けんにおこってくれる。最近、こんなにおこるのは家族しかいないなと思い始めた。だから自分の心を素直に打ち明けられるのだろう。しかし今までぼくが教わっていたのに、少しずつ変わってきたことがある。祖父がスマートフォンの使い方や、母がパソコンのそう作に困っていると、ぼくは先生になるのだ。すばやくそう作して、的確に説明をして問題を解決すると、まん丸な目をして喜んでくれる。いつもぼくは助けられているが、知らないうちに家族も助けられていて、持ちつ持たれつの関係になっていた。

 前まで家族を「カセキ」と言われていやな気持ちなっていたが、最近はほこりに思うようになってきた。ただの化石ではなく、かけがえのない大切な存在。古いではなくき重で、どこの家にないものがぼくの家にはある。それをずっとふ通だと11年間思ってきた。だから、人はぼくの話を聞くとおどろくのだろう。しかし、今は胸を張って「カセキ」を自まんできる。ぼくのことを一番に喜んでくれて、一番に心配してくれる安心で大切な家族。それがわが家のほこりだ。

「ごはん、できたよ―。」

ほら、いつもの楽しい時間が今日も始まる。

「夏のしあわせな時間」:井上 媛乃さん(富山市立五福小学校2年)

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「初めての魚釣り~大きいの捕ったよ~」:赤江 彩羽さん(片山学園初等科5年)

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富山県知事賞受賞作品(ポスターの部)

笹嶋 夕愛さん(高岡市立福岡中学校3年)

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図画・ポスターの部受賞作品一覧

図画・ポスターの部の受賞作品一覧は、以下のリンクからご覧いただけます。

図画の部受賞作品一覧(PDF:1,468KB)

ポスターの部受賞作品一覧(PDF:738KB)

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所属課室:厚生部こども家庭室こども未来課こども育成推進担当

〒930-8501 富山市新総曲輪1-7 県庁本館2階

電話番号:076-444-3136

ファックス番号:076-444-3493

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