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更新日:2025年7月24日

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富山県美術館-TAD Press ReleaseToyama Prefectural Museum of Art and Design

【富山県美術館】デザイン・コレクション展第2期開催について

発表日 2025年7月24日(木曜日)

富山県美術館では、令和7年7月24日(木曜日)から10月7日(火曜日)まで、「デザイン・コレクション展 第2期」を開催しておりますので、ご案内いたします。

概要

会期:令和7年7月24日(木曜日)~10月7日(火曜日)

場所:富山県美術館3階 展示室5、6

  • 展示室5:デザイン・コレクション
  • 展示室6:瀧口修造コレクション
  • 展示室6:シモン・ゴールドベルク&山根美代子コレクション

休館日:毎週水曜日(ただし8月13日は開館)

展示内容と見どころ

展示室5 デザイン・コレクション

ヒロシマ・アピールズ 1983―2025

デザインコレクション2期

「ヒロシマ・アピールズ」は、人類最初の原爆の惨禍を体験した街、広島の祈りと願いを、言葉を超えて広く訴えていくポスターのシリーズです。JAGDA(日本グラフィックデザイナー協会。現在の日本グラフィックデザイン協会)広島地区、および一般財団法人広島国際文化財団、公益財団法人ヒロシマ平和創造基金の主催により、1983年の第1回以降、毎年1名の指名されたデザイナーがポスターを制作、発表しています。

第1回の「ヒロシマ・アピールズ」から遡る時代、デザイナーたちの中では商業目的だけではないポスターの役割を模索する動きが生まれていました。1960年代には安保闘争、1970年代には豊かさの代償としての公害問題やオイルショックとの対峙などの社会の状況に対して、問いを投げるポスターが数多く生まれています。そして経済が活況に向かう中で生まれた「ヒロシマ・アピールズ」は、デザイナーが中立的な立場から「ヒロシマ」を通じて世界に平和を訴える事業として、JAGDA広島地区会員の要望、広島国際文化財団の申し出を受け、構想されました。

1983年、第1回の「ヒロシマ・アピールズ」ポスターは、当時JAGDA会長を務めていた亀倉雄策が手がけました。広島の側からこの事業に参画した人々からは、悲惨な光景ではない美しい表現を通して、原爆の恐ろしさや抗議の姿勢を伝えることを求められたといいます。これに応えて、亀倉が選んだのは、自由に舞う蝶たちが燃え落ちるイメージでした。横山明に依頼した緻密で幻想的なイラストレーションの上に「HIROSHIMA APPEALS」の文字を掲げたポスターは、蝶たちの美しい光景が一変する瞬間をドラマチックに提示することによって、戦争の愚かさを伝えています。

今回の展示では、当館のポスター・コレクションから、争いへの抵抗や平和への願いをテーマとしたポスターも併せて紹介します。

展示室6 瀧口修造コレクション

瀧口修造とタケミヤ画廊の作家たち

瀧口コレクション2期

1951年、東京神田、駿河台下(現在の東京都千代田区神田小川町)に戦前からあった竹見屋洋画材店が再建されました。店舗の大部分を改装し、展示スペースも新設され、タケミヤ画廊が誕生したのです。店主の筧正人は、作家たちに無償で発表の場を提供するという構想のもと、鶴岡政男、阿部展也らの推薦により、瀧口修造に展示作家の選考と交渉の一切を依頼し、始まりの1951年6月から1957年4月の閉廊まで、208回の個展・グループ展が開催されました。

タケミヤ画廊が始動した1950年代初頭、作家たちの作品発表の場は公募団体や所属の美術団体を通しての展示が主流でした。その一方、1949年からは無賞・無審査による読売アンデパンダン展が開催され、既成の枠組みにとらわれない作家が登場します。団体展よりも個展での発表を重視すべきと考えていた瀧口にとって、タケミヤ画廊は、作家たちが生み出す新しい表現の実験的な場であり、発生の現場に立ち会うことのできた重要な場だったと言えるでしょう。瀧口は、タケミヤ画廊において、有名無名にかかわらず、真摯に作家と向き合い無償でプロデュースを引き受けました。自身の目で作品を選び、作家と語り合い、テキストも執筆しました。当初は阿部展也(芳文)、浜田浜雄、瑛九、難波田龍起、鶴岡政男など、戦前から活躍している作家の個展が中心でしたが、その後は、瀧口自身が命名者となった若手表現者の集団「実験工房」や無名の若手であった靉嘔、池田満寿夫、草間彌生、野見山暁治など、後の日本の美術を牽引する作家たちが名を連ねています。

タケミヤ画廊での活動を通して出会った作家たちとの交流は、タケミヤ画廊の閉廊後、1960年代以降、瀧口が批評活動の第一線から退き、デカルコマニーなど造形作品の制作が活動の中心になってからは、それぞれの展覧会において、言葉を贈ったり、時には共同で作品を制作したりと、表現の本質を探るようにかたちを変えて、晩年まで続きました。

本展は、瀧口修造コレクションよりタケミヤ画廊の出品作家の作品をご紹介する第2期です。(第1期は、会期:2025年4月17日~7月21日)。また、令和6年(2024)度の新収蔵品である瀧口修造と阿部展也(芳文)による詩画集《妖精の距離》12点組のうち後半の6点を特別展示します。

展示室6 シモン・ゴールドベルク&山根美代子コレクション

ユダヤ系ポーランド人として生まれ、二度の大戦を体験し、富山で亡くなるまで激動の20世紀を生きた天才ヴァイオリニストにして指揮者、シモン・ゴールドベルク(1909―1993)。ゴールドベルクが愛蔵し、美代子夫人から2006年に寄贈された美術作品を展示しています。

巨匠の部屋⑴
異文化へのまなざし―アジア・オセアニア編

ゴールドベルクコレクション2期

今年度は、当館のゴールドベルクコレクションとともに、東京藝術大学音楽学部音楽総合研究センター所蔵のゴールドベルク旧蔵品の中から、主に彼が身近に置き愛でた品々を、シリーズ3回に渡ってご紹介します。

初回は、アジア・オセアニア地域に関する遺品を取り上げます。ジャワ島やバリ島の伝統的な芝居で使用される仮面や人形の頭部、宗教的な目的で作られたと推測される木彫りの像、パプアニューギニアの祭礼具――数々の収集品は、ゴールドベルクがこの地域の文化に大きな関心を寄せていたことを物語っています。

ゴールドベルクと同地域の接点は、太平洋戦争の頃にさかのぼります。ナチスの台頭するヨーロッパを去り、演奏旅行をしながらアメリカを目指す途中、立ち寄ったジャワ島で、日本軍の捕虜となったのです。終戦を迎え解放されるまで、拘留生活は3年近くに及びました。

自由の身となったゴールドベルクは、しばらくオーストラリアで過ごします。まだシドニーにあの有名なオペラハウスがなかった当時、オーストラリアや近隣諸国で演奏活動に勤しんだ彼は、訪れた先々でその土地の文化と音楽に触れ、好奇心で目を輝かせていたのかもしれません。自宅の様子を写した写真は、ゴールドベルクが後年もずっとこれらの収集品をそばに飾り、大切にしていたことを証言しています。

観覧料

コレクション展:一般300円(240円)
()内は20名以上の団体料金

次の方はコレクション展の観覧無料

  • 小・中・高校生と大学生、70歳以上の方
  • 学校教育、社会教育活動としての児童・生徒の引率者(観覧料免除申請書の提出が必要)
  • 各種手帳またはミライロIDをお持ちの障害者の方(付き添いは手帳をお持ちの方1人につき1名まで無料)

(※)詳しくは、富山県美術館ご利用案内(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)をご覧下さい。

コレクション展について

富山県美術館のコレクション展では、前身の富山県立近代美術館から現在までの収蔵作品を展示しています。年4回程度さまざまなテーマによる展示替えを行い、多彩なコレクションを紹介。当館2階の展示室1では絵画・彫刻を中心とし、3階の展示室5と展示室6ではポスターや椅子、富山県ゆかりの瀧口修造やシモン・ゴールドベルクのコレクションを展示しています。

 

 

 

お問い合わせ先

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生活環境文化部 富山県美術館

076-431-2711

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