再開された日韓自治体交流
■北陸3県企業短期経済観測調査について
■統計でみる「富山県民のくらし40年」(2)
■富山県の中学校、高等学校卒業者の状況―学校基本調査より―



富山県の中学校、高等学校卒業者の状況
―学校基本調査より―


はじめに
 高校や大学等への進学率は、戦後、急速に上昇した。これは、昭和22年の教育制度改革により、男女共学が徹底され女子にも進学の機会が広く開かれたことに加え、高等学校や大学が激増し、高度の教育を受け易くなったことが大きく影響している。
 先月号では、学校基本調査結果をもとに、昭和30年以降の富山県の園児、児童、生徒、教員数等の推移をみた。
 今月号では、昭和30年以降の中学校および高等学校卒業者の進学率、就職率を中心にみていくこととする。


1.中学校卒業者


表1 中学校卒業者の進路別推移(富山県) (単位:人、%)

 各年
3月

卒業者総数

高等学校
等進学者

専修学校等進学
・入学者

就職者

左記以外の者、
死亡・不詳

BCのうち
就職している者
(再掲)
 進学率
B/A
 就職率
(D+F)/A
昭和30年 19,194 9,772 8,692 730 1,153 50.9 51.3
35年 22,159 12,459 8,683 1,017 1,070 56.2 44.0
40年 26,924 20,365 4,815 1,744 1,167 75.6 22.2
45年 17,230 15,325 980 925 580 88.9 9.1
50年 14,826 14,286 168 372 169 96.4 2.3
55年 15,432 15,068 179 117 68 105 97.6 1.4
60年 16,955 16,588 120 174 73 82 97.8 1.5
平成2年 18,385 18,125 46 146 68 72 98.6 1.2
7年 14,353 14,177 20 80 76 18 98.8 0.7
12年 12,590 12,432 8 56 94 4 98.7 0.5
13年 12,039 11,863 11 61 104 4 98.5 0.5
(注1)昭和40年以前は、国立を除いた数値である。
(注2)昭和50年以前の「専修学校等進学・入学者」は、「左記以外の者、死亡・不詳」に含まれている。

(1)進学者
   ―高校進学率は昭和40年頃から全国上位をキープ―
 全国における昭和15年の旧制中学校への進学率は約7%で、高等女学校等を含めても約25%にすぎなかったが、新制高等学校に対する進学需要は高く、昭和25年には進学率が40%に達し、その僅か4年後の昭和29年には50%を超えた。それ以降の高度経済成長期には進学率が更に上昇し、昭和49年には90%を超えた。その後も進学率は緩やかに上昇を続け、平成13年には96.9%に達している。このように、高等学校等進学者(※1)の増加は、直線的な増加であった。

 全国と同様、富山県においても進学率は急激に上昇した。富山県における昭和30年の高等学校等進学率は全国平均を0.6ポイント下回る50.9%であったが、昭和36年には全国平均を1.6ポイント上回る63.9%となった。その後も進学率は全国平均を上回るかたちで更に上昇を続け、平成13年では98.5%となっている。

 なお、富山県の高等学校等進学率は、昭和40年に全国第10位となってから常に上位に位置しており、平成13年の調査では全国第1位となっている。
 また、昭和30年には男子の進学率が女子を大きく上回っていたが、その差は年々小さくなり、昭和44年には女子の進学率が男子を上回った。その後、現在に至るまで、僅かな差ではあるが女子の進学率が男子を上回る状態が続いている(図1の下の表)。

(※1)高等学校等進学者とは、中学校卒業者のうち高等学校の本科(全日制、定時制及び通信制)及び別科、中等教育学校後期課程の本科及び別科、高等専門学校、盲・聾・養護学校高等部の本科及び別科へ進学した者を指す。


(2)就職者
―女子の就職率が高かった高度成長期―
 昭和30年代から40年代は、若い中学校卒業者が「金の卵」と呼ばれ日本の高度経済成長の一翼を担った時代であった。富山県においても、多数の中学校卒業者が就職している。昭和30年の就職率は全国平均を9.3ポイントも上回る51.3%であった。当時の就職者を職業別にみると、製造修理業従事者が就職者全体の39.0%と最も多くを占め、次いで農林業従事者が20.5%となっている。製造修理業従事者3,839人のうち、紡織従事者が1,516人と最も多く、そのうち男子は僅か48人で、残りの1,468人は女子であった。こうしたことから、当時、女子の就職率は男子を大きく上回っていた。

 その後、高度経済成長がもたらす所得水準の上昇とともに進学率が急速に高まると、就職率は急速に低下していった。就職率は、10年後の昭和40年には22.2%、さらにその10年後の昭和50年には僅か2.3%となった。その後も少しずつ低下し続け、平成13年には0.5%となっている(全国平均1.0%)。

 また、男女間の就職率の格差は次第に小さくなり、昭和59年には男子の就職率が女子を上回った。その後、現在に至るまで、僅かな差ではあるが男子の就職率が女子を上回る状態が続いている(図2の下の表)。

 なお、昭和30年代から40年代にかけては、中学校を卒業して就職した者のうち進学しながら就職している者(就職進学者、表1のF)も多く、昭和30年には卒業者のうちの6.0%、昭和40年には卒業者のうちの4.3%が就職進学者であった。しかし、進学率の急速な上昇と就職率の急速な低下により、かつては大勢いた就職進学者も減少し、平成13年は4人にすぎない。

2.高等学校卒業者


表2 高等学校卒業者の進路別推移(富山県) (単位:人、%)
 各年
3月

卒業者総数

大学等
進学者

専修学校
専門課程進学者

専修学校一般課程
等入学者

就職者

左記以外の者、
死亡・不詳

BCDのうち
就職している者
(再掲)
 進学率
B/A
 就職率
(E+G)/A
昭和30年 8,134 1,549 4,506 2,079 15 19.0 55.6
35年 10,966 1,805 6,961 2,200 23 16.5 63.7
40年 15,506 3,992 9,751 1,763 74 25.7 63.4
45年 15,982 4,255 9,863 1,864 78 26.6 62.2
50年 14,043 4,920 6,390 2,733 134 35.0 46.5
55年 13,319 4,619 1,193 1,576 5,776 155 136 34.7 44.4
60年 12,818 4,334 1,618 1,365 5,359 142 124 33.8 42.8
平成2年 17,253 6,080 3,138 1,782 5,991 262 129 35.2 35.5
7年 15,346 6,959 2,835 1,500 3,877 175 132 45.3 26.1
12年 11,934 5,919 2,210 1,022 2,419 364 28 49.6 20.5
13年 11,797 5,888 2,335 969 2,271 334 24 49.9 19.5
(注1)昭和40年以前は、国立を除いた数値である。
(注2)昭和50年以前の「専修学校専門課程進学者」「専修学校一般課程等入学者」は、「左記以外の者、死亡・不詳」に含まれている。
(注3)昭和55年以前の大学等進学率には、大学・短期大学の通信教育部に進学した者は含まない。

(1)進学者
―進学率は男女間でかなり異なった傾向で推移―
 高等学校等進学者の増加と歩調を合わせ、大学等進学者(※2)も増加している。全国における昭和30年の大学・短期大学への進学率は18.4%であり、当時の高等教育は一部の者が受けるにとどまっていたが、それ以降の高度経済成長期を通じて進学率は上昇し、昭和50年には34.2%となった。しかし、その後は緩やかに下降し、昭和59年には30.0%を下回った。その後しばらくは31%前後で推移したが、平成2年からは再び上昇を始め、平成12年の進学率は45.1%となった。このように、大学等進学者の増加は、高等学校等進学者とは異なり、直線的な増加ではなかった。

 富山県の進学率は、全国と同様の傾向を示しながら、ほぼ全国を上回る率を保って上昇してきている。富山県における昭和30年の大学等進学率は19.0%であったが、昭和50年には35.0%となった。その後しばらくは同水準で推移したのち、平成2年からは再び上昇し、平成13年は過去最高の49.9%となっている。

 大学等進学率の推移を男女別、大学学部(4年制)・短大別に分けてみると、次のことがいえる(図4)。まず、高等学校卒業者の大学等進学率は、男女でかなり傾向が異なっていることがある。男子の場合、大学学部への進学率が短大本科への進学率を圧倒的に上回っており、この傾向は昭和30年から現在まで変わっていない。これに対し、女子の場合は、昭和30年から平成5年までは短大本科への進学率が大学学部への進学率を上回り、平成6年以降は逆転している。

 次に、女子の大学等進学率がほぼ一貫して伸びているのに対し、男子の大学学部への進学率は変動が大きく、社会情勢の影響を受け易かったとみられることである。特に目立つものとして、男子大学学部進学率は、50年代以降平成2年にかけ、15年間程低下傾向が続いたことが挙げられる。これは、昭和51年の学校教育法の改正により専修学校制度が発足し、専修学校専門課程(専門学校)が新たに高等教育機関として位置付けられたため、専修学校へ進学する者が次第に増加したことが原因のひとつだと考えられる。

 また、男子大学学部進学率について、40年、50年のピーク(グラフには表わされていないが、年別にみると40年、41年、50年がピーク)は、40年不況、オイルショック後の不況が影響を与えたものと考えられよう。

(※2)大学等進学者とは、高等学校卒業者のうち大学(学部)、短期大学(本科)、大学・短期大学の通信教育部及び放送大学、大学・短期大学(別科)、高等学校(専攻科)及び盲・聾・養護学校高等部(専攻科)へ進学した者を指す。



(2)就職者
―銀の卵、全国平均を大きく上回っていた高度成長期の就職率―
 昭和30年代から40年代、高等学校卒業者は「銀の卵」と呼ばれ、日本の高度経済成長を支えた。富山県における昭和30年の就職率は、全国平均を8.0ポイントも上回る55.6%であった。当時の就職者を職業別にみると、事務従事者が就職者全体の27.3%と最も多くを占め、次いで製造修理業従事者が16.6%、農林業従事者が12.8%となっている。

  中学校卒業者の場合には1,516人(うち男子48人)と最も多くを占めていた紡織従事者が、高等学校卒業者については100人(うち男子70人)にすぎず、逆に、中学校卒業者の場合には235人(就職者全体の2.4%)であった事務従事者が、高等学校卒業者については1,235人と大変多かった。それ以降の高度経済成長期には、就職率は高い水準で推移し、特に昭和32年から昭和45年は就職率60%以上という状態が続いた。しかし、高度経済成長が終わりを迎えるのに併せて、就職率は徐々に低下し、平成13年には19.5%となっている。(図5)

 なお、中学校卒業者の場合と比べて、高等学校を卒業して就職した者のうち進学しながら就職している者(就職進学者、表2のG)は大変少なく、昭和30年は卒業者のうちの0.2%、昭和40年は卒業者のうちの0.5%、最も多い昭和55年でさえ僅か1.0%であった。

(寺嶋 直美)


平成14年2月号