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■北陸3県企業短期経済観測調査について
■統計でみる「富山県民のくらし40年」(2)
富山県の中学校、高等学校卒業者の状況―学校基本調査より―



とやま経済月報創刊40周年記念
統計でみる「富山県民のくらし40年」(2)


 前月号では、おもに三種の神器などの電化製品の普及状況からこの40年間で豊かになった県民の消費生活についてみてきました。
 今月は三種の神器に続く40年代以降の豊かさの象徴であり、暮らしを大きく変えた自動車の普及とその影響について、とやま経済月報に所載された当時の研究論文を織り交ぜながらみていきたいと思います。

1.自動車の普及

 富山陸運支局の資料から富山県の自家用車(普通、小型、軽四乗用)台数の推移をみると、昭和40年の2,347台が45年には19,869台、50年には94,765台となり、この10年間で実に40.4倍に増加しました。自家用車はその後も増加し、13年3月末には597,957台となり、1世帯当たりの自家用乗用車の台数では全国平均(1.09台)を大きく上回って全国トップの1.67台となっています。今では県民にとってもはや必需品となっていることがわかります(表1、図1)。

表1 自家用車台数の推移(台)
  自家用車 所有台数 世帯当たり自家用車数
富山県 富山県 全国
S30 454 0.002 0.006
35 2,347 0.01 0.02
40 19,869 0.09 0.09
45 94,765 0.38 0.29
50 193,527 0.72 0.51
55 258,671 0.89 0.64
60 292,650 0.97 0.71
H2 361,394 1.15 0.86
7 495,451 1.47 1.00
12 597,890 1.64 1.08
13 597,957 1.67 1.09
(資料)陸運統計要覧、富山県陸運概況 各年度末数値

 全国消費実態調査から勤労者世帯(世帯主が会社、官公庁、学校、工場、商店などに勤めている、いわゆるサラリーマン世帯)の家計支出額のうち、自動車等関係費(自動車購入・維持費・ガソリン代)の支出額をみると、44年は1,480円で全国平均(1,446円)の1.02倍であったのが、49年には6,642円と全国平均(5,151円)の1.29倍の支出額にもなっており、40年代に自家用車が急速に普及したことがわかります。なお、富山県の自動車等関係費はそれ以降も一貫して全国平均を上回っています。


S36 自家用1トントラックの前でポーズ S46 お父さんのマイカー洗車のあとは水遊び

2.農家における自動車の急速な普及

 とやま経済月報昭和46年11月号『富山平野におけるバス交通の変貌と問題点』(中山実、北林吉弘両氏による)から抜粋した左図をまず見ていただくと、郡市別にみた自動車一台当たり世帯数(35年、40年、45年)は富山市、高岡市よりも上新川郡・婦負郡・東西砺波郡・砺波市・小矢部市など比較的農村の色彩の強い地域の普及率が高いことがわかります。とくに砺波市では45年には0.9世帯に一台と最も高い普及率となっています。

 また右図の輸送機関別旅客輸送分担割合の推移からは、鉄道・バスなど公共輸送機関から自動車へと県民の足が大きく変わっていくことがわかります。とやま経済月報昭和43年5月号掲載の富山県信用農業協同組合連合会参事 藤村源一氏による『農家経済と消費動向』をみると、40年代初めにおいて、すでに本県の農家は全国の農家と比べても自動車の普及率が高かったことがわかります。


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『農家経済と消費動向』
最近の農村は消費ブームといわれている。…住宅の新改築、自動車や電気製品のような耐久消費財などの購入は、金融引締めなどどこ吹く風という有様である。…県内1500戸の農家を対象に、本会がおこなった農家の消費動向調査によると…耐久消費財については調査全品目の保有率が、大半全国農家の水準を上回り、なかでも38%という自動車の保有率は注目に値し、計画でも調査対象農家の20%が購入を希望している。

3.自動車が40年代から50年初めにかけて急速に普及した理由

S41 トヨペット コロナ
 なぜ本県、とりわけ農家世帯では、当時自動車が急速に普及したのでしょうか?

 これには農工一体化政策のもとで、農村部への企業進出が積極的に進められ、農家から多くの人たちが製造業労働者として働きにでるようになったことが関係しています。これにより農業以外の安定した収入が得られ、自動車購入が可能となりましたし、農村部は公共交通機関が都市部ほど整っていないことや富山県の地理的環境もあり全国的にみても自動車の普及が急速に進んだものと考えられます。
地理的環境 富山県は県庁所在地を中心として半径50キロメートルの円内にほぼ完全におさまってしまう。自動車だと50キロメートルという距離は1時間〜1.5時間圏内であるから、県全域が通勤圏内に入ることになる。
 45年から55年にかけて、とやま経済月報には農村地域に進出した企業の立地に伴う地域社会の変容についての事例研究が多数掲載されています。
 ここでは、40年代の富山県の農業から工業への移行の様子がわかる部分を抜粋してみました。

  • 高度成長後の富山平野でも、農工一体化政策のもとに、富山、高岡、新港の既存の工業地帯を避けて、周辺部農村への企業進出が積極的にすすめられた。

  • 昭和44年〜45年前後は、富山平野では、鈴木自動車工業富山工場(小矢部市)、住友化学工業富山製造所(新湊市)をはじめ、大型企業の進出が目立ち、農村における米の生産調整、水田の基盤整備事業の実施とあいまって、農村労働力の流出がはじまり、労働力再編成の動きが、胎動をはじめた時期である。(以上、S49中尾俊雄「新規工場進出に伴う労働力の再編成について」より)

  • 昭和46年に制定した「農村地域工業導入促進法」は、農業と工場との均衡ある発展を図るとともに、雇用構造の高度化に資することを目的としている。…この法律にもとづく地域の認定は、46年度に福光町と滑川市、47年度に福岡町と入善町、48年度に砺波市と福岡町となっている。…一般的に県西部では高岡市に本社を持つアルミ関連企業が砺波平野へ分散立地する傾向が大きな特色といえる。(以上、S48北林吉弘、中山実「富山平野における農村地域工業導入の現状と問題点」より)

S35 一列に並んで手さばき鮮やかに苗を植える光景はすっかり過去のもの S46 動力耕うん機(牽引型)にのって農作業のお手伝い?

 東洋経済新報社「都市データパック1999年版」によると世帯当たり乗用車保有台数の上位50市のなかに、12位に砺波市(1.43台/世帯)が、19位に小矢部市(1.39台/世帯)がランキングされています(平成11年3月末現在数値)。現在でも砺波平野一帯は全国有数の自動車社会を形成しているといえます。


4.公共交通機関の衰退

 前月号でみた便利な家庭電化製品の普及が、主婦を家事労働から開放させた台所革命であったならば、自動車の普及は人々の暮らしだけでなく、社会のありさままで変えた交通革命であったといえます。
 昭和30年以降のバス総輸送人員の推移をみると、30年から40年に急激に増加したものの40年をピ−クに減少の一途をたどり、平成4年度には昭和30年度の水準を下回っています(図2)。

 バス利用者の激減はバス交通に大きな影響を与えました。とやま経済月報昭和46年11月号『富山平野におけるバス交通の変貌と問題点』(中山実、北林吉弘両氏による)には、30年、35年、40年、45年の富山県内のバス路線網が掲載されています。以下の文と路線図は一部抜粋したものです。

 昭和30年におけるバス路線密度は極めて低く疎らであった。ルートは地方中心都市から周辺部へ放射状に伸びる型がもっとも一般的である。氷見地方の山間部と黒部川扇状地面上ではルートの密度が極めて低い。…これは山間部の道路網の改修や整備が遅れていたことや山間部から平野部への交通量がそれほど多くなかったことを暗示している。

昭和30年
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 昭和35年のバス路線図を見て、もっとも注目されるのは県内全域にわたって密度が高くなり、山間部へより深くルートが伸びていったことである。地域別にみると、富山市を中心とした放射状の路線網が急速に増大している。…昭和35年前後は、いわゆるバス交通の黄金時代であり、今日のバスルートは、ほぼ35年から40年の間に完成したものとみてよい。

昭和35年
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 昭和40年のバス路線網図をみると、この40年前後は、いわゆる生活路線から観光路線への発展期とも言うべき時代であり立山・有峰を中心とした山岳観光開発に交通企業が積極的に参画していった。また、これまで立ち遅れていた県東部の開発が進み、県都富山市と東部の結びつきは一段と強化されてきた時期である。
 昭和45年の路線網図でもっとも注目される現象は、山間部のみならず平野部でも路線の廃止が出てきたことである。石動山系に沿って小矢部市の山間部から氷見市の丘陵地帯一帯にかけてと八尾町・大山町では路線の廃止がとくに顕著にあらわれてきた。40年の図まで伸び続けてきた路線が45年の図で初めて減少に転じた。

昭和40年 昭和45年
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S34 開設したての富山地鉄バス八尾営業所にて、ボンネットバスと S35 堤防回りの地鉄バス

 バスだけでなく、私鉄軌道においても乗車人員の減少は著しく、47年加越線廃止、50年笹津線廃止、55年射水線廃止と廃線が相次いでいます。

 とやま経済月報昭和47年2月号『富山平野における鉄道交通の変化』(中山実、古川春夫両氏による)には、35年と45年の各一年間の旅客輸送量と貨物輸送量の相関図が掲載されています。以下の文、図は一部抜粋したものです。

 図に示した笹津線、射水線、加越線、立山線は昭和35年に比べ、旅客数貨物量は著しく減少している。これら私鉄の沿線人口は停滞から減少傾向を示し、運行回数もそれに伴って減少している。

A 旅客輸送中心で貨物扱いのほとんどないグループ(射水線、笹津線、加越線、黒部線(44年で廃止)、立山線、国鉄城端線)
B 旅客輸送中心だが、貨物扱いがAより多いグループ(地鉄本線)
C 貨物輸送中心で、旅客輸送の少ないグループ(国鉄富山港線、氷見線、高山線)
D 貨物、旅客輸送量がともに多いグループ(北陸本線)

第1図 現在の主要交通網 第2図 県内鉄道路線の旅客輸送量と
貨物輸送量の相関図
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5.乗用車の価格

 家電製品の急速な普及には所得の上昇とともに価格の低下が大きな役割を果たしたことは前月号に述べましたが、耐久財の中でもとりわけ高価である乗用車はどうでしょう。

表2 乗用車の価格
  660cc未満 1500cc未満 初任給(男)
昭和45 377,000 654,000 26,700
50 543,000 829,000 67,300
55 718,000 989,000 89,100
60 625,000 880,900 106,200
平成2 660,500 946,600 160,400
7 693,190 1,500,710 183,800
12 879,025 1,603,700 187,000
(資料)
乗用車の価格(全国統一価格)は総務省「小売物価統計調査年報」
初任給は厚生労働省「賃金構造基本調査」富山県数値
S45〜S60は高校新規卒業者初
H2以降は大学新規卒業者初任給任給

S41 三菱初の軽自動車「三菱360」ほろつきの荷台、前開きドアがレトロです。

 昭和33年にはスバル360、昭和35年にはマツダ・R360クーペ、トヨペット・コロナ、昭和36年にはトヨタ・パブリカと、各自動車メーカーから続々と国民大衆車が発売されました。その価格と当時の初任給を比べると、昭和45年では660cc未満の軽乗用車で初任給の14.1倍、1500cc未満の小型乗用車で24.5倍とまだまだ簡単には手に入らないものでした。それが昭和50年には3.6倍(軽四)、5.5倍(小型乗用車)になり、わずか5年間でかなり割安になっています。5年前までには夢のまた夢であった乗用車が、ちょっとがんばれば買えるものになってきたのです。55年には日本の自動車生産台数は年間1,100万台を突破し、アメリカを抜いて世界一の自動車生産国となっています。

 現在(平成12年)では乗用車の価格は昭和45年の2.3倍(軽四)、2.5倍(小型乗用車)程度であり、標準装備や性能が数段向上していることを考えればかなりコストダウンしていることがわかります(表2)。

 3月号では、消費支出構成の変化と本県の特徴についてみていきます。

(西野 芳恵)


平成14年2月号