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記事/美食地質学創始者・ジオリブ研究所所長・巽好幸
2024年5月21日
富山の寿司は確かに美味い。そしてそうである最大の理由は、「天然のいけす」富山湾が目前に広がリ、新鮮かつ絶品の寿司種が手に入ることだ。
水深が1000mを超える富山湾は、背後に屹立する標高3000m級の立山連峰と併せて、僅か50kmほどの距離に4000mもの高低差を造りだす。このダイナミックな地形こそが、天然のいけすが成立する原因だ。
立山連峰、そして飛騨高地の深い森の栄養分をたっぷりと含んだ水が、河川と伏流水となって富山湾へ流れ込む。その結果海ではプランクトンが沸き立つ。この豊かな「富山湾浅層水」が、対馬海流に乗って富山湾へ入ってくる生き物たちを滋味深くしているのだ。
富山湾には、もう一つ豊かな水が存在する。「日本海固有水」だ。日本海には、シベリア寒気団によって強烈に冷やされて重くなった海水が300mを超える深さに広がっている。水温は年間を通じて0~1℃と低温かつ一定で、表層水に比べてシリカ、リンやカリウムが豊富だ。このような固有水の特性が、深海系の富山湾魚介を育むのである。
「天然のいけす」富山湾。それは4000mの高低差が作り出す。そしてこの急峻な地形形成の鍵となるのが、立山連峰である。
では、なぜ立山連峰は3000m級にまで高くなったのだろうか?
その原因は「マグマ」にある。
立山連峰を含む北アルプスは、地球上の火山の約1割が密集する「火山大国日本」の中でも、とりわけマグマの活動が活発な地帯なのだ。
太平洋プレートとフィリピン海プレートが地球内部へ潜り込む場所にあたる日本列島。この列島では、プレートから絞り出された水によって多量のマグマが発生し、多くの火山が作られる。太平洋プレートが沈み込む東日本には、乗鞍・鳥海火山帯と富士・那須火山帯と呼ばれる2列の火山帯が形成されている。
立山連峰を含む北アルプスは乗鞍火山帯に属し、立山を始めとして5つの活火山(約1万年前以降に活動した火山)や10座を超える第四紀火山(260万年前より新しい火山)が密集する。これらの火山は地下深くで発生したマグマが地表へと噴き上げたのだ。しかし全てのマグマが地表に達する訳ではない。むしろ大部分は、地下数kmの深さで固まってしまうのだ。
北アルプスには、マグマが地下で固まった深成岩の一種である花崗岩が点々と存在する。例えば黒部川中流域の祖母谷温泉から黒部ダムにかけて露出する「黒部川花崗岩」は、今から僅か80万年前に出来上がった、地球上で最も若い花崗岩である。つまりこの地域は、たった80万年という地球史スケールでは極めて短い間に、数km以上も隆起したのだ。だからこそ地下深部で固まった花崗岩が、地表に顔を出しているのだ。その隆起速度は年間1cm近くにも及ぶ。地殻変動の激しい日本列島の中でもダントツの隆起量だ。
なぜ北アルプスは、こんなに激しく隆起しているのだろうか?
その原因の一つは、これらの若い花崗岩がまだ十分に冷え切っていないことにある。もちろん地表に露出する岩体は十分に冷え切っているのだが、元々1000℃ほどもあった岩体の内部は今でも高温状態にある。この辺りの至る所に温泉地帯が湧き出すのは、高温岩体が熱源になっているからだ。このような熱い岩体は周囲の冷たい岩石や地層と比べると軽いのが特徴だ。その結果岩体は浮力によって上昇して、地盤の隆起を引き起こすのだ。
またこのような活発なマグマの活動で多量の岩体が形成されると、その分だけ「地殻」が厚くなる。地殻は重い岩石からなる「マントル」の上に浮いているので、地殻が厚くなると働く浮力が大きくなって浮き上がるのである。この「アイソスタシー」と呼ばれる現象で、北アルプスは日本の屋根となり、立山連峰は屹立しているのだ。
「寿司の富山」を生み出す4000mの高低差。屹立する立山連峰とともにこの急峻な地形を作っているのが、水深1000mの深海富山湾である。
では、なぜこのような深海が陸の近くまで迫っているのだろうか?
それは富山湾が「断裂帯」、つまり地盤の裂け目にあたるからだ。
日本海の海底は決して平坦な訳ではない。ほぼ中央部には、短径約20km、長径約130kmに及ぶ最大比高3000m近い巨大な台地、「大和堆」が存在する。また沿岸部にも、白山瀬、佐渡海嶺と呼ばれる地形的な高まりがある。一方でこれらの台地や海底山脈の周りには、日本海盆、大和海盆、そして富山トラフなどの低地があり、深海を作っている。深海富山湾は、このような海底低地である富山トラフの延長にあたる。
これまでの調査によって、このような複雑な地形は、元々一つであった地塊がいくつかの海底台地に分裂したこと、そして富山湾を含む深海低地はこの断裂帯の跡であることが分かっている。
そしてこの日本海特有の地形を作った断裂運動こそが、太平洋へと弓形に迫り出す日本列島の形を作り上げたのだ。
天然のいけす「富山湾」の実態は、大地の巨大な割れ目「断裂帯」であった。
ではこの断裂帯はどのようにして生まれたのだろうか?
断裂帯誕生のストーリーは、今から2500万年前に遡る。
今から3000万年前、アジア大陸の東縁部には太平洋プレートが沈み込んでいた。しかしこの時にはまだ日本列島の姿はない。つまり、現在の日本列島はアジア大陸の一部だったのだ。
そして2500万年前に大事件が勃発した。アジア大陸の大地が裂け始めたのだ。その原因はまだよく分かっていないが、私たちは地下深くまで潜り込んでいた太平洋プレートの比較的軽い部分が浮力で上昇したことがきっかけだと考えている。ほぼ同じ時期に、現在の伊豆・小笠原・マリアナ諸島を形作るような断裂運動も起きているのだ。
やがて大陸から分裂した地塊は、回転を伴いながら太平洋へと迫り出し、約1500万年前にはその大移動を終えた。このようにして、ほぼ現在の日本列島の形が出来上がった。
一方でアジア大陸が裂けて日本列島が分裂・移動すると、大陸と列島の隙間には巨大な窪地ができることになる。つまり日本海は、大地の裂け目が拡大して誕生したのだ。そしてこの拡大した窪地の中には、大陸と日本列島が分裂した際にできた大陸の破片が散らばっている。それらが先に述べた大和堆海底台地やその他の高まりであり、富山トラフや富山湾などの深海低地が日本海拡大時の断裂帯に相当するのだ。
富山の寿司を支える深海富山湾は、日本列島大移動の「化石」なのである。
「天然のいけす」を生み出す4000mの高低差。この稀に見るダイナミックな地形は、激烈なマグマ活動によって隆起した立山連峰と、日本列島の大陸からの分裂と日本海誕生時の断裂帯が残る富山湾が織りなす。
さらにもう一つ、富山湾が豊饒の海となる理由がある。それは富山湾が能登半島と佐渡島に囲まれていて、そのために沖合を流れる対馬海流に乗って北上する、あるいは逆に南下する魚たちが、富山湾へ誘い込まれることだ。言い換えると、富山湾は自然が仕掛けた巨大な「定置網」なのである。
先に述べたように、富山湾は日本海拡大時の断裂帯の名残であるために深く、一方で能登半島や佐渡島は大陸の破片であるために海底から盛り上がっている。しかし例えば能登半島は、日本海が誕生した当時は現在ほどの高まりではなく、まだ海が広がっていた。珪藻土と呼ばれる海底に堆積した地層が広く分布しているのだ。
つまり、能登半島が日本海に突き出したり、佐渡島が海上に顔を出しているのは、日本海の形成以降、比較的最近になってこれらの地帯が隆起したことに原因がある。日本列島の大移動に伴って沈降して窪地となった日本海にあって、なぜこのように特定の場所で隆起現象が起きているのだろうか?
その原因を探るために、もう少し広い範囲の様子を眺めてみることにしよう。
北陸から東北地方の沿岸域、つまり日本海東縁部には能登半島や佐渡島(佐渡海嶺)と同じような隆起域がある(図の赤線領域)。例えば、男鹿半島や粟島、それに飛島などを含む地帯である。そしてこれらの隆起帯を挟むように、図で黄色の線で表した活断層が多数走っている。
これらの断層は「逆断層」と呼ばれるもので、地盤に強烈な圧縮力が働くことによって地殻変動が起きている。つまりこの地殻変動によって、日本海東縁部には隆起帯が発達しているのだ。
これらの断層付近の地下構造を調べると、興味深いことが分かってきた。現在は圧縮によって隆起を伴う逆断層として活動しているのだが、いずれの断層もかつては陥没性の「正断層」であったのだ。日本海東縁部はまさに、2500万年前から1500万年前にかけて日本海が陥没しながら広がっていった地域である。したがって、この正断層は日本海拡大時に形成されたと考えられる
現在は逆断層運動を起こす日本海登園の断層群は、かつての正断層がある時に逆断層へと「反転」したものなのである。言い換えると、この地域は、あるときから強烈な圧縮を受けるようになったのだ。
そして「ある時」とは今から「300万年前」、そして「強烈な圧縮」は「日本海溝の西進」が引き起こしている。
なぜこんなことが起きたのだろうか?
それは、300万年前に起きた「フィリピン海プレートの大方向転換」に原因がある。
1500万年前に、アジア大陸から分裂して現在の位置まで日本列島が移動してきた頃には、フィリピン海プレートはほぼ北向きに沈み込んでいた。そして当時も太平洋プレートは現在と同じように東から西へと日本列島の下へ沈み込んでいた。
1500万年前以降このように2つのプレートが沈み込んでいた日本列島では、現在の関東地方の地下で必然的にこれらのプレートが衝突することになる。この衝突が起きても、地球上で最大規模の太平洋プレートは全く動じることなく沈み込みを続けた。しかしはるかに小さいフィリピン海プレートは巨大な太平洋プレートに押し負けてしまい、衝突を回避するために、その運動方向を北向きから45°、すなわち北西方向へと変えざるをえなかったのである。
この大事件が起きたのは、今から300万年前のことだ。この時期は、房総半島の地層を調べることで明らかになった。フィリピン海プレートの沈み込みによって、堆積した地層の向きが300万年前に急変しているのだ。
このフィリピン海プレートの大方向転換は、それまで比較的静穏であった日本列島を、「世界一の変動帯」へと一変させた。
西日本では、フィリピン海プレートの斜め沈み込みによって西向きに引きずるような力が働くようになった。その結果、日本列島で最大級の「横ずれ断層」である「中央構造線」が発現した。その大きなずれによって瀬戸内海が形成され、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)や熊本地震などの直下型地震が多発するようになった。
一方東日本では、フィリピン海プレートの西向きの運動の後を追うように日本海溝が西向きに動き始めた。これは、フィリピン海プレートと太平洋プレートの沈み込む3つの海溝(南海トラフ、伊豆・小笠原海溝。日本海溝)が交わる「三重会合点」(上の左図)が、300万年前以降も存在していることから導き出される現象だ。
この日本海溝の西進によって東日本には強烈な圧縮力が働くようになった。その結果、日本海溝沿いでは東北地方太平洋沖大地震(東日本大震災)のような海溝型巨大地震が多発するようになり、さらに陸域では奥羽山地や出羽山地が圧縮によって隆起を始めた。そして日本海東縁部では、日本海拡大時にできた正断層が逆断層へと反転して、断層に沿って隆起運動が起きたのである。
富山湾が日本屈指の豊穣の海である要因の一つは、能登半島と佐渡島が隆起することで「定置網」の如き地形を作っていることにある。この富山湾の美味なる魚介、そしてそれらを用いた富山の寿司は、まさに日本列島で起きてきた大変動の「恩恵」である。この素晴らしき恩恵に感謝すると同時に、日本列島は能登半島地震のような「試練」を我々に与えていることも忘れてはならない。