所得分布の変化を測る指標 −ローレンツ曲線とジニ係数を用いた比較−
富山大学経済学部教授 中村和之 |
1 はじめに
政府は、私たちが得た所得を配りなおすことによって、所得格差の是正を図ります。この所得再分配政策の効果を考えるために、4月号ではローレンツ曲線やジニ係数を用いて所得格差を測ることを考えました1)。5月号では租税や社会保障給付といった政府の所得再分配政策の累進度を測る指標として集中度曲線やカクワニ係数を考えました2)。今月はこれらの指標を総合して、政府が所得の分布をどれだけ、どのような手段で変化させているかを測る方法について考えます。
2 再分配前後の所得を比較する
−レイノルズ・スモレンスキー係数−
私たちが給料や事業所得といった形で得る所得を再分配前所得と呼ぶことにします。私たちは再分配前所得の中から租税や社会保険料を政府に支払うと共に、年金や生活扶助などの現金給付、医療や介護といった現物給付を政府から受取ります。政府による所得再分配が行なわれた後の所得を再分配後所得と呼ぶことにします。再分配前所得と再分配後所得との間には、以下のような関係があります。
|
再分配後所得= | 再分配前所得−租税負担額−社会保険料 +社会保障給付(現金)+社会保障給付(現物) |
所得再分配政策の効果は、再分配前所得と再分配後所得のローレンツ曲線を比較することによって知ることができます。図1-Aのように再分配後所得のローレンツ曲線が再分配前所得のローレンツ曲線よりも上方に位置するならば、政府の所得再分配政策によって所得格差は縮小しています。逆に、図1-Bのような場合には所得格差は拡大しています。 |
図1 再分配前後のローレンツ曲線
実際のデータで考えましょう。表1は厚生労働省による『平成14年 所得再分配調査報告書』(以下では所得再分配調査と略します)から得た所得階級別の世帯分布を示しています3)。 |
表1 再分配前所得と再分配後所得でみた世帯数の分布
資料:厚生労働省『平成14年 所得再分配調査報告書』第1表に基づき作成
図2は表1の値をもとに、再分配前所得と再分配後所得のローレンツ曲線を描いています4)。ここから、政府による所得再分配政策は所得格差を縮小させる方向に働いていることがわかります。 |
図2 再分配前所得と再分配後所得のローレンツ曲線
資料:所得再分配調査に基づき作成
このような再分配効果の大きさを定量的に測る指標を考えます。再分配前所得のローレンツ曲線と再分配後所得のローレンツ曲線に挟まれた三日月型の部分の面積が大きい程、所得再分配政策が強く機能していると考えられます。この大きさを表す指標を「レイノルズ・スモレンスキー係数」(以下ではRS係数と略します)と言います。RS係数は再分配前所得と再分配後所得のジニ係数を用いて、以下のように求めることができます。 |
RS係数=再分配前所得のジニ係数−再分配後所得のジニ係数
RS係数の値は、再分配前所得のローレンツ曲線と再分配後所得のローレンツ曲線に挟まれた三日月型の部分の面積を2倍した値になります。図2の例では、再分配前所得のジニ係数が0.498、再分配後所得のジニ係数が0.381になるので、RS係数は、0.117(=0.498-0.381)です。
あるいは、RS係数を再分配前所得に対する比率の形で、 |
ジニ係数の改善度=RS係数÷再分配前所得のジニ係数
として表すことができます。図2の例では、ジニ係数の改善度は、0.235(=0.117÷0.498)になります。
RS係数やジニ係数の改善度を求めることによって、政府による所得再分配政策が所得格差の縮小にどの程度貢献しているかが分ります。
3 所得再分配政策の効果を個別の政策と関連付けて考える
RS係数を先月の本欄でお話ししたカクワニ係数と関連付けて考えることによって、どの政策手段が所得再分配で大きな役割を果たしているかを考えることができます。詳細は省きますが、RS係数とカクワニ係数の間には以下の関係があります5)。 |
RS係数= |
{1/(1−g1−g2+b1+b2)}×(g1×租税のカクワニ係数
+g2×社会保険料のカクワニ係数
+b1×社会保障給付(現金)のカクワニ係数
+b2×社会保障給付(現物)のカクワニ係数)−E ・・・・・・・(1) |
(1)式のgやbは個々の再分配政策の規模を表します。まず、g1
とg2は課税前所得の総額に対する租税や社会保険料負担の大きさを表しており、租税もしくは社会保険料負担の総額÷課税前所得の総額、です。同様に、b1とb2は課税前所得の総額に対する社会保障給付の規模を表し、社会保障給付(現金もしくは現物)の総額÷課税前所得の総額、です。(1)式の右辺の最後にあるEは、所得再分配前と後の所得でみた世帯の順位が入れ替わる効果を表しており、ゼロよりも大きい値をとります6)。
(1)式は、政府の所得再分配政策の効果が、カクワニ係数で表される租税や社会保障給付の累進度と、gやbで表される再分配政策の規模によって決まることを意味しています。このような分解によって、個々の再分配政策が全体の所得格差の縮小に与えている効果を知ることができます。
再び、所得再分配調査に掲載されているデータを用いて考えましょう。表2は再分配前所得の階級別にみた世帯あたりの負担額と社会保障給付額です。
|
表2 再分配前の所得階級別にみた世帯あたり負担額と給付額
資料:厚生労働省『平成14年 所得再分配調査』第2表に基づき作成
表2のデータと再分配前所得のジニ係数をもとにそれぞれの政策手段のカクワニ係数や負担率(g)、給付率(b)を求めると表3のようになります7)。 |
表3 負担率(g)と給付率(b)、カクワニ係数
資料:表1、表2に基づき作成
この結果を、(1)式に当てはめると、政府の所得再分配政策の効果が以下のように表されます。 |
ここから、租税負担が累進的であること、社会保険料の負担は逆進的であるが公的年金や医療といった給付面と併せて考えると大きな再分配効果をもっていることがわかります。
4 分析の拡張
これまで、ジニ係数やローレンツ曲線、カクワニ係数、RS係数といった指標を用いて政府の所得再分配政策の効果を測ることを考えてきました。この連載の締めくくりとして、幾つかの拡張を考えます。
4.1 世帯人員の違いを考慮する−等価所得−
これまでは所得の格差を世帯単位で考えてきました。しかしながら、私たちが本当に知りたいのは、世帯を構成する各個人の生活水準やその格差です。世帯単位で見た年収が同じでも世帯の構成員の数が異なればそこで暮らしている人々の生活水準は異なるはずです。
世帯単位で集計した所得をもとに、世帯の構成員の生活水準を表すように調整した所得を「等価所得」と呼びます。もっとも単純な調整方法は、世帯の所得を世帯構成員の数で割って、ひとり当たりの所得を求めることです。しかしながら、たとえば共に年収が800万円の単身世帯と4人家族の世帯では、前者のひとり当たりの所得が後者の4倍になるから、単身者の方が4倍豊かな生活を送っているとは言えません。水道光熱費や耐久消費財のように世帯内で共通に消費される財やサービスに要するコストを世帯員ひとりあたりで見ると、世帯規模が大きくなるにつれて低下する傾向があるからです。
このことを考慮して、所得再分配調査や全国消費実態調査、国際機関の統計などでは、 |
と言う形で等価所得を算出することがしばしば行われます8)。この算出方法に従えば、共に年収が800万円の単身世帯、4人家族世帯に属する世帯員の等価所得はそれぞれ、800万円と400万円になります。
所得再分配調査では、上のような調整を施した等価所得に基づくジニ係数も報告されています。これによれば、等価所得ベースでみた再分配前所得と再分配後所得のジニ係数はそれぞれ、0.419と0.322となり、調整を行なわない場合と比べて小さくなっています。すなわち、もとのデータによって求めた所得分布には世帯規模の違いによる格差が含まれていたことがわかります。
4.2 平均所得の違いを考慮する−一般化されたローレンツ曲線−
ローレンツ曲線やジニ係数は、社会全体の福祉(経済厚生)をもっぱら所得の格差(たとえて言えばパイの分け方)だけによって判断する指標です。しかしながら、経済厚生は所得の格差だけでなく所得そのものの大きさ(たとえて言えばパイの大きさ)にも依存します。このことを考慮してローレンツ曲線を描く方法もあります。
表4は家計調査より得た1983年と2002年の標準世帯(勤労者)における所得累積比を表しています。 |
表4 年間収入五分位階級別の所得累積比
(1983年・2003年の勤労者・標準世帯)
資料:総務省統計局『家計調査年報 昭和58年』、『家計調査年報 平成14年』、の第12表より作成。*家計調査に掲載のデータをGDPデフレータ(1995暦年基準)で実質化。
上のデータをもとに、ローレンツ曲線を描くと図3のようになります。図3のふたつのローレンツ曲線は殆ど重なり合っていますが、表4で確認できるように、厳密に言えばこれらのローレンツ曲線は交差しています。4月号の本欄で申し上げたとおり、この場合にはローレンツ曲線だけで社会の状態を判断することはできません。 |
図3 ローレンツ曲線により比較(1983年と2002年)
資料:『家計調査年報 昭和58年』、『家計調査年報 平成14年』に基づき作成
しかしながら、表4を見ると、1983年から2002年にかけて標準世帯の実質年間収入の平均値は 567万円から713万円に上昇しています。つまり、全体として人々の生活は豊かになっています。このような所得水準の相違を考慮して所得分布を評価するために、通常のローレンツ曲線に変更を加えることを考えます。
平均所得の相違を考慮して描かれたローレンツ曲線を「一般化されたローレンツ曲線」と言います。通常のローレンツ曲線は縦軸に所得累積比をとりますが、一般化されたローレンツ曲線では、所得累積比×平均所得、の値を縦軸にとります。
一般化されたローレンツ曲線には社会の状態を考えるためにふたつの要素が反映されています。一つは曲線の膨らみ具合が表す所得の格差であり、もう一つは曲線の高さが表す平均的な所得水準です。一般化されたローレンツ曲線を用いて社会全体の福祉(経済厚生)を判断する方法は、基本的に通常のローレンツ曲線と同じです。すなわち、交差することなく上方にあるローレンツ曲線で表される所得分布の方が望ましいと考えることができます9)。 |
図4 一般化されたローレンツ曲線による比較
資料:『家計調査年報 昭和58年』、『家計調査年報 平成14年』に基づき作成
図4は、表4のデータに基づき、一般化されたローレンツ曲線を描いています。ここからわかるように、1983年と2002年を比較すると、相対的な所得格差におおきな変化は見られないが、平均的な年収が増加した分だけ社会全体の経済厚生(この場合は特定の世帯だけの比較なので注意が必要ですが)は上昇したと判断できます。
5 おわりに
3ヶ月間にわたって所得格差を考えるための指標について解説してきました。これまでわが国は先進国の中でも比較的平等な社会だと考えられてきました。しかしながら、就業・雇用形態の変化や人口の高齢化などに伴って、所得格差には変化の兆しが見られます。同時に、高齢化社会の到来や財政赤字の累積といった要因によって、政府の所得再分配政策は見直しを迫られています。ローレンツ曲線やジニ係数といった指標は、現在の所得分配を評価し、これからの社会のあり方を考えるとき、有用な情報を提供してくれます。読者の皆様にとって今回の連載が所得再分配政策の現状と将来を考える手がかりとなれば幸いです。 |