経済指標の見方・使い方

 

国勢調査からのメッセージ
第3回 人口の社会移動と世帯規模の縮小

とやま国際センター研究員  浜松 誠二


少ない人口の社会移動

 前号では、県内で人口が富山市に向かって集まりながら、その周辺に拡散し、都市地域の人口密度が低下していることを見た。今回は、人口の社会移動とその背景にある世帯規模の縮小について見よう。

 国勢調査には、5年前の住所を問う項目があったが、これが、現住所、同一市町村内の他所、その他の県内、他都道府県、国外の5要素に分けて集計されている。
 幾つかの要素に分かれるものの構成比を検討したい場合、3つの要素に集約すると、分かりやすい三角図を描くことができる。下図は、現住所、県内、県外に分けて描いてみたものである。
 慣れていないと若干戸惑うが、図の説明は要らないと思う。このような図が簡単に描けるとは言わないが、点と線で構成される図で必要な座標の計算さえできれば、ともかく描写可能なことは理解できよう。さらに、一度描けば、以降はそれをワークシートとして何時でも気軽に描けるようになる。統計分析を業とする人には、このような技法を自分のものとして欲しい。

 富山県で5年前と住所が異なる人は約2割に留まり、全国でも定住性が高い県となっている。
 都道府県での移動率の差異については、県境を越える移動より、県内移動の格差が大きい。この移動が多い地域には、大都市圏のようにしばしば転居する層がいる場合と、北海道、九州などのように過疎地域から地域の中心都市に向かって移動している場合とがあるようだ。
 富山県の移動率が低いことは、前号のDID人口密度の急速な低下と一見矛盾するように見える。しかし、移動する際には郊外の広い住宅を求める場合が相対的に多いことが、一層、浮き彫りになっているとも解釈できよう。

グラフ




急速に縮小する世帯規模

 人口の社会移動が少ないことは、それだけ世帯の変動も少ないと予想されそうだが、これも富山県の場合、反対の状況が起こっている。
 世帯の変動は、既に当月報3月号で詳細に分析されており、ここで蛇足を加える必要はないが、各都道府県の経年変化を一覧することによって新しい知見が得られるので触れておきたい。
 実は、世帯規模の縮小の趨勢が、前号で言及した富山県で多々見られる「なで斬り」グラフとなりそうな例であり、全国でも世帯規模の縮小が進んでいるが、富山県の縮小速度は、一層大きい。
 さらに詳細に見ると、その縮小速度は、'90年代に加速しているように見られる(1995年から2000年までの縮小幅が全国でも2番目に大きかったことは、当月報3月号でも触れられていたとおりである。)。
 '90年代は、団塊ジュニア世代が結婚、新世帯形成期に入り、一層の核家族化、世帯分離を起こす時期にあった。特に、富山県では、若い時期から家を持つ習慣があり、また、家族に関する意識がかつてと比較して180度転換しており、世帯分離に拍車を駆けたものと見られる。(これらの事実の詳細については、総務省「住宅土地統計調査」やNHK「全国県民意識調査」などによって分かるが、ここでは深入りしない。)

グラフ


 2000年の国勢調査では、富山県の世帯規模は、既に福井県を下回り全国3番目となっている。この勢いで進むと2005年には佐賀県、岐阜県を下回り新潟県と並ぶものと予測される。
 それでは、今後さらにどのように推移していくのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所によって将来予測がなされているので、国勢調査の結果ではなく蛇足ではあるが紹介しておきたい。また、このような公的機関の調査分析の報告もその多くがインターネットから入手できるようになっていることも知っていただきたい。

 世帯規模の将来予測では、その急速な縮小がさらに続き、他の都道府県の趨勢をなで斬りにしていくと予想されている。これによって、大き目の世帯で支え合ってきた足腰の強い富山県の世帯の位置付けも大きく変わっていくこととなろう。

 なお、世帯規模の縮小が続くにもかかわらず、総人口の減少が次第に急速になり、総世帯数のピークがは2015年頃にあるとされている。この事実は、いろいろな意味を持つ。特に、都市の拡大余力がなくなり、都市構造の変革が困難となっていくことは、都市の再活性化のための時間がほとんど残されていないことを意味するのではなかろうか。

グラフ

とやま経済月報
平成14年6月号