韓国経済の現状と韓国ベンチャー(その1)
富山国際大学地域学部地域システム学科 助教授 高橋 哲郎


【目次と概要】

1.アジア金融危機以降の韓国経済
 比較的順調に先進国化の道を歩んでいた韓国経済が、1997年のアジア金融危機でにわかに苦況に追い込まれた。この危機の実態を明らかにしていくと、韓国の経済システムの問題点が見えてくる。これまでの経済システムであった政府主導型の開発方式の転換が求められる。
2.財閥中心経済から「知識基盤経済」へ
 金融危機を乗り切るため、韓国政府はIMFが示した融資条件を受け入れる。ここでは金大中政権の下、進行中である経済構造改革のうち、企業改革を中心に説明する。同改革の進展とともに、財閥に変わる新しい経済主体であるベンチャー・ビジネスへの期待が高まっている。【以上、今月号】

【以下次号(仮題)】
3.韓国ベンチャーの実態
4.富山県産業との交流可能性

1.アジア金融危機以降の韓国経済

 韓国は1960年代以降、政府主導型の輸出指向工業化政策により経済発展をなし遂げた。1996年10月にはOECD(経済協力開発機構)入りを果たし、経済開発の成功例としての地位を確立してきた(表1参照)。しかし、1997年7月にタイで勃発したアジア金融危機は同年末には韓国にまで波及しIMF等による国際支援を仰ぐことになった。融資条件として経済構造の根本的な調整を求められるに至った。

表1 経済成長の主要指標(単位=%)
  1960-64 65-69 70-74 75-79 80-84 85-89 90-94 95 96 97 98 99
GDP成長率 5.6 9.8 8.4 8.8 6.1 9.0 7.5 8.9 6.8 5.0 △ 6.7 10.7
1人当たりGDP増加率 △ 1.6 15.2 20.0 26.1 5.7 18.8 11.7 20.3 5.3 △ 9.3 △ 34.1 27.2
消費者物価上昇率 - 11.4 13.9 16.6 12.6 4.2 7.0 4.5 4.9 4.5 7.5 0.8
輸出増加率 38.9 39.6 50.2 28.4 14.4 17.1 9.1 30.3 3.7 5.0 △ 2.8 8.6
輸入増加率 7.7 35.9 32.9 24.9 8.9 15.6 11.0 32.0 11.3 △ 3.8 △ 35.5 28.4
出所:『アジア経済2000』、経済企画庁調査局編、2000年

(1)韓国における金融危機発生の直接的原因
 韓国における金融危機発生の最初の契機は97年初に発生した財閥企業の相次ぐ倒産であり、これがすでに東南アジアで進行していた金融危機に連鎖して外貨流動性不安を惹起するという形で広がっていった。1997年10月以降、韓国に波及した金融危機は以下のような経過によるものであった。

金融危機の背景1―恒常的赤字である貿易収支―


 韓国における金融危機発生は、第一に韓国の国際収支構造に求めることができる。表2からわかるとおり、貿易収支の赤字は恒常化し、赤字分を海外からの資金調達に依存する構造ができあがっている。これは開発戦略として採られていた輸出指向工業化による構造的な問題であった。すなわち、製品輸出のための中間財・資本財は日本等の工業先進国からの輸入に依存せざるを得ない構造が形成されてきた(対日貿易赤字恒常化)。輸出製品構造が高度化し、機械工業へシフトが進むほど、一定水準の品質の確保が輸出競争力の前提となる。韓国の産業はより優秀な素材、より自動化された機械、精密加工部品を輸入に依存せざるをえなかった(注1)。

(注1)韓国国内に部品産業を育成するために「中小企業系列化促進法」や「中小企業事業調整法」などを制定し、日本の下請け系列にあたるものを上から制度的に組織化しようとしたが、成果をあげるに至らなかった。

表2 貿易収支、経常収支(暦年、100万ドル)
  貿易収支 経常収支
60年代平均 △ 536 △ 146
70年代平均 △ 1,848 △ 1,159
80年代平均 314 1,855
90年代平均 △ 370 874
90年 △ 4,828 △ 2,003
91年 △ 9,655 △ 8,317
92年 △ 5,144 △ 3,943
93年 △ 1,564 990
94年 △ 6,335 △ 3,867
95年 △ 10,061 △ 8,508
96年 △ 20,624 △ 23,005
97年 △ 8,452 △ 8,167
98年 39,031 40,558
99年 23,933 25,000
出所:『アジア経済2000』、
経済企画庁調査局編、2000年

 特に第3次5ヶ年計画(1972-76年)以降は、輸出の重点を従来の繊維等の軽工業品から鉄鋼・船舶・電子製品・部品等の重化学工業へ移したことに伴い、少数の製品に的を絞り、規模の経済効果を最大化する戦略を採用した。輸出指向と重化学工業化を両立させるには規模の経済を生かすほかないが、これは膨大な資金を必要とする。資金源は政府支払い保証に基づく借款融資と政策金融に依存した。
 こうして、規模の経済は企業の借金体質を強化する一方、大規模投資の必然的な副産物として少数企業への産業の集中という傾向を促進した。
     【規模の経済:生産規模を拡大したとき、産出量が規模の拡大以上に増大すること】

金融危機の背景2―高負債である企業の財務―
 94年以降、OECD加盟に向けて金融・為替・資本市場の自由化・開放を進めた結果、海外からの借り入れが容易となった点も危機を増幅させた。金融危機発生前まで韓国国内企業の資金需要が旺盛であった。証券投資および融資等の短期・投機的な性格の強い資金の流入が急速に増加、対外債務全体の約4割、外貨準備との対比では2.5倍の水準に達している。
 韓国企業の財務体質は弱化し、負債比率(総負債/自己資本)が97年は約400%に達した。自己資本比率(自己資本/総資産)も90年代に入り悪化し、25%以下となった。

金融危機の背景3―財務内容の不透明性―
 この高負債を乗り切るため、財閥内に相互保証の慣行をつくって政府支払い保証に代わる信用補強をした。このため、財務内容が不透明となり、国際的信認度を低め、財閥の経営破綻の影響を広範化させた。


(2) 韓国の経済システムについて

政府主導型輸出指向工業化
 韓国の経済システムの特徴として政府の広範な市場介入があげられる。政府は輸出部門に対する総合的なインセンティブ・システムを作りあげ、公共借款の直接導入および民間企業の外国借款導入に対する許認可とともに、政府は支払い保証を提供した。輸出指向工業化における韓国政府の積極的な介入はおおむね資源配分の効率を達成するのに寄与した。
 政府がわずか30余年のあいだに工業化を達成するのに決定的な貢献をしたのは確かである。しかし、この開発モデルが財閥をつくりだし、金融危機を招いてしまった。

政府の経済への関わりは各政権期に形を変えながら継続してきた。

朴正煕政権(1963-79) 「政府主導経済」の名のもとに導入され定着した。1970年代の「重化学工業計画」はその頂点に位置するものであった。国内資金の調達と配分、外資導入の認可、重点企業の選択、労組活動規制など、その介入は経済システムの広い部分にわたった。

全斗煥政権(1980-87) 1980年代、都市銀行の民営化と政策金融の縮小、対内外取引に対する規制緩和が進められるなかで、政府の市場介入は次第に選択的、間接的な方向に推移していった。朴政権の膨張主義的開発政策に制動がかかり、1970年代に顕著だった新興財閥の成長がほとんどみられなくなり、既存財閥中心の開発体制が再整備されることになった。

盧泰愚政権(1988-92) 「業種専門化政策」を推進し、財閥の膨張を抑えにかかったが成果をあげられなかった。しかし、そのとき制度化された「総与信規制」政策がそれ以降の政権による財閥牽制の主要な武器となった。

金泳三政権 (1993-97) 主要財閥に対して総与信規制政策によって成長を抑制する一方、下位財閥の資本調達に手を貸して放漫な投資を見過ごした。「権威主義体制」の打破をスローガンに改革を進めたが、労働運動の激化を放任する姿勢をみせた。


 韓国政府の経済への関わりは当初の直接的な市場介入から間接的な誘導方式へ、開発のためのリーダーシップから内外の経済摩擦に対するコーディネーションへと、韓国経済の成熟にそった役割転換を果たしてきたことは確かである。しかし、そのやり方は、強大な権限を集中する大統領制にもとづいた「裁量的」性格を当初から受け継いだままであった。

2.財閥中心経済から知識基盤経済へ

(1)IMF等の支援
 韓国政府は外貨流動性不安の深刻化を受け、1997年11月22日にIMF(国際通貨基金)へ支援を要請した。同年12月3日にはIMF、世界銀行、ADB(アジア開発銀行)といった国際金融機関の他、日・米・欧等の主要国の参加も得て、総額550億ドルの支援融資を実施する旨の当初合意が行われた。その後の新たな決定分を含めると583億5 千万ドルに達している。

構造改革の概要と金融部門の構造調整
 韓国政府は前述のような金融支援を受ける条件として、経済の根本的な構造改革に取り組むことをIMF等国際機関と合意した。その基本的な柱は1.マクロ経済の安定化、2.金融部門の構造調整、3.企業部門の構造調整、4.労働市場の柔軟性向上、5.資本市場等の自由化・開放の促進、6.政府部門のスリム化、である。
 なかでも金融部門の構造調整が最優先された。経営状態の悪い2行が国有化の上、海外の銀行に売却された。またBIS基準(8%)未達の12行のうち、5行が資産・負債を健全行に譲渡した上で閉鎖、7行が条件付きで存続した。
 組織・制度面では、金融機関と企業間の不採算の悪循環を断つため、「金融監督委員会(FSC)」を創設、金融機関における各種管理基準の強化措置を打ち出した。

企業の構造調整
 金融危機発生の発端は財閥企業の経営破綻にあっただけに、構造改革においては、借入依存度の高い財務構造やグループ企業間の相互債務保証などに代表される不透明な経営体質に対しても徹底的にメスが入れられることになった。
 まず、1998年2月に財閥の構造改革に関する5大課題が発表され、5大財閥(注2)およびその取引先銀行はこの方針に沿って構造改革を進める方向で合意している。具体的には企業透明性の増大、相互支払い保証の解消、財務構造の改善、業種専門化、経営陣の責任強化である。こうした方針を確定した上で、金融機関と同様、企業についても存続の可否を政府が選別することとなった。
(注2)5大財閥とは現代、三星、大宇、LG、SKを指す。このうち大宇は99年8月にグループは倒産・解体した。

 特に注目すべきは基幹産業における過剰設備・重複投資を解消し、効率化を図る観点から、5大財閥における事業の再編成(通称ビッグディール)である。財閥間で重複している事業を交換・集約し、過剰設備投資の解消を図っている。1998年9月には設備過剰等が著しい7業種(半導体、石油化学、自動車、航空機、鉄道車両、発電設備・船舶エンジン、石油精製)の事業再編成の第1次案が発表、同12月には5大財閥傘下の系列264社を2000年末までに約130社へ半減させると発表した。

 ビッグディール現状は以下のとおりである。
(1)半導体では、現代電子がLG半導体を予定通り吸収合併した。新会社の名称は現代半導体となり、1999年10月14日に発足した。

(2)石油化学は、現代石油化学と三星総合科学を統合し、外資を誘致する予定であった。外資企業としては三井物産が期待されていたが、焦点の出資額で調整がつかず、実現の可能性が遠のいた。

(3)航空機では、現代、三星、大宇の3社を統合して韓国航空宇宙産業という新会社を設立したが、外資の誘致が遅れ、運転資金に問題があり、系列企業の整理統合が未解決である。

(4)鉄道車両では、現代精工、大宇重工業、韓進重工業の3社が統合、1999年7月12日に新法人の韓国鉄道車両が発足した。しかし、負債の圧縮が遅れている。

(5)発電設備と船舶エンジンでは、現代重工業と三星重工業が、同部門を韓国重工業に譲渡し、韓国重工業は新会社設立後に民営化される予定である。

(6)石油精製は、現代がハンファの同部門を予定通り吸収したので同業界は、SK、LG、現代、双龍の4社体制になった。

(7)最も注目された自動車産業は三星自動車が大宇グループの家電事業部門である大宇電子との事業交換を撤回し、1999年6月30日に日本の会社更生法にあたる法定管理を釜山地裁に申請して倒産したため白紙となった。

(2) 知識基盤経済がめざすもの
 一国の経済システムは、単純化すれば市場と非市場的要素の二つの部分からなると考えられる。IMFの処方箋は煎じ詰めれば、市場メカニズムを重視し、非市場的要素を経済システムからできるだけ排除しようとするものである。
 前述したように、韓国の産業は非市場的要素の最大の存在である政府の役割なしには考えられない。金融危機以前、韓国における産業競争力の形成は、財閥を中心とする大量生産型の重化学工業に政策金融が集中的に供給され形成されてきた。従って、今回の構造調整はこれまでの韓国経済システムそのものの否定であり、極めて困難な改革である。
 金大中政権が構想している知識基盤経済では、実物資本は産業資本から人的・知識資本へ、また経済主体は国家・企業(大企業)から個人・企業(中小企業)へ移行されるとしている。現実的には優れた人材と技術が結合したベンチャー企業の活性化が期待されている。
 韓国では現在ベンチャーブームが巻き起こっている。急激な景気回復、情報通信革命の進展が大きく寄与しているが、それとともに政府の手厚いベンチャー支援がその背景にある。「政府主導型」のベンチャーブームという限界も感じられる。


 次号では韓国ベンチャーの現状を紹介したい。


主要参考文献
谷浦孝雄編『21世紀の韓国経済』アジア経済研究所、2000年
金 華東『韓国の規制緩和』アジア経済研究所、2000年
高 龍秀『韓国の経済システム』東洋経済新報社、2000年
姜 英之『韓国経済 挫折と再挑戦』社会評論社、2001年
深川由起子『図解 韓国の仕組み』中経出版、2000年(入手しやすくお薦めです
安 忠栄『現代東アジア経済論』岩波書店、2000年
(財)環日本海経済研究所編『北東アジア経済白書 2000年版』毎日新聞社、1999年
アジア経済研究所編『アジア動向年報 2000』アジア経済研究所、2000年
経済企画庁調査局編『アジア経済2000』大蔵省印刷局、2000年
北東アジア社会資本調査委員会『北東アジアの社会資本』(社)北陸建設弘済会、2001年

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