富山の家庭は、昆布、いか、ぶり、たらの
消費額が日本一(2)
― 家計調査にみる結果とその要因・背景を探る ―

はじめに

 本号では7月号の「昆布」に続き、「年間支出金額日本一」の魚介類のうち、種類別にも年間支出金額が3年間連続日本一である「ぶり」「たら」「いか」について、その理由・背景を探ることとする
 先ず、このような魚を好む県民のし好には「さかなの宝庫富山湾」が深く関わっていることを述べたい。

・富山湾はさかなの宝庫 ―富山湾で魚が豊富なわけ ―

 富山湾は、本州の中央に位置する日本海側最大級の湾であり、日本有数の漁場である。それは、以下のような理由からである。


1. 沿岸から一気に深くなる1000mを超える特徴的な海底谷を多く持ち、その谷頭は「あいがめ」とも呼ばれ、魚が集まり、格好の漁場となっていること

2. 北に向かって流れる対馬暖流とその下層には日本海固有水(深層水:水深300m以深で水温が2℃以下で安定している)から成っており、上層は暖流系(ぶり、まぐろなど)、下層は冷水系(たら、かれいなど)の両方の魚類が生息していること

3. 湾の西側に位置する能登半島に囲まれているため、回遊魚が入り込みやすい。また、陸地から多量の栄養分を含んだ河川水が流入し、豊かなえさ場が作られていること


このようなことから多種多様な魚のたまり場となっており、”天然のいけす”とも呼ばれている。


ぶり

 家計調査年報の結果(図1)では、ぶりの支出金額がずば抜けて多いのは富山市で、5位までの県庁所在都市をみても、すべて西日本に属している。

1 出世魚として富山湾に名前を変えて登場
 
ぶりは成長とともに、名前が変わり、値打ちも上がる出世魚の代表格である。全国で100以上の名前があるが、富山では一般的に以下のように呼ばれている。

 また、回遊魚であるぶりは、夏にはつばいそ・こづくら、南下する秋にはふくらぎがんど、そして冬にはぶりに成長して富山湾にやってくる。図2からも、秋にふくらぎ、12〜1月はぶりが獲れることがわかる。

2 ぶりと富山県とのかかわり
(1)ぶりと富山湾
 富山湾のぶりは、落語でも語られるほど名高い。文禄四年(1595)年、加賀藩初代藩主 前田利家は、氷見灘浦で獲れたぶりを歳暮用に京都へ送るように指示している。また、正保4年(1647)に出た俳書「毛吹書」には、「越中ぶり、丹後伊禰浦(いねうら)ぶり、出雲友島ぶり、壱岐(いき)ぶり、対馬(つしま)ぶり」と越中ぶりをトップにあげており、古くから天下に有名であった。
 富山湾でのぶり漁の歴史は古く、16世紀頃から始まったと言われており、漁法は「わら台網漁(定置網の祖型)で行われており、山口・宮城とともに、定置網の三大発祥地の一つにあげられている。現在、県内のぶり漁はほとんどが大型定置網で行われている。
 なお、この定置網漁は富山湾全体の漁獲量の8割近くを占めており、本県漁業の主役となっている(図3)。

 


(第10次漁業センサス結果の概要より)

 

(2)越中から飛騨、信州へのルート 「ぶり街道」
 かつて富山湾でとれたぶりは、塩ぶりにして飛騨高山に運ばれた。「越中ぶり」は、さらに野麦峠を超え信州松本や上諏訪などに運ばれ、「飛騨ぶり」と名を変えた。このぶりを運んだ道を「ぶり街道」と呼んでいる。
 越中ばかりでなく、飛騨でも信州でも年取り魚(大晦日(おおみそか)の年越しの膳に白飯とともにつける魚)、縁起魚としてお正月に欠かせないものであった。

(3)「ぶり文化圏」と「さけ文化圏」
 「ぶり」は全国的に「さけ」と並ぶ年取り魚として知られている。しかし両者は、中央日本を南北に走るフォッサ・マグナ(本州中央部を南北に横断する断裂帯)を境とした魚食の違いから、それぞれ西にぶり文化圏、東にさけ文化圏を形成している。

・ぶり文化圏に属する地域

北陸3県(富山、石川、福井)
糸魚川平野や松本・諏訪・伊那などの諸盆地
木曽谷、岐阜県飛騨、美濃の東部、関西地方

・さけ文化圏に属する地域

新潟県の高田平野・越後平野・十日町盆地
長野県飯山・長野・上田・佐久などの諸盆地
山梨県甲府盆地、関東平野、東北地方

ぶり文化圏に属する地域とぶり街道を見比べると、両者が一致していることがわかる。

(4)「富山県のさかな」に選定
 以上のように歴史的・文化的になじみがあり、知名度も高く、県のイメージに合うぶりは「富山湾の王者 ぶり」として、「富山湾の神秘 ほたるいか」、「富山湾の宝石 しらえび」とともに富山県のさかなに選定されている。

3 ぶりを使った料理
(1) 縁起物としての出番
 ぶりは出世魚という縁起のよさと、北陸地方では12月、1月に多く獲れることなどから、お歳暮や正月料理に珍重されてきた。射水郡下村の加茂神社では、平安時代から続くと伝えられる「ぶり分け神事」という珍しい正月行事がある。また、時代とともに変わりつつあるが、県内の一部の地域では今日でも、娘の実家から嫁ぎ先に歳暮の品として「ぶり歳暮」を贈る風習がある。

(2)とやまに伝わるぶり料理
 ぶりは幼魚から成魚に至るまで、それぞれがおいしく味わえる。

夏〜秋

 夏に獲れるつばいそ(こづくら)となす等夏野菜を一緒に煮た煮物はさっぱりとした夏の味である。秋に獲れるふくらぎは、刺身の定番ともいえ、適度に脂がのっておいしい。


 冬の富山湾に豊漁の前ぶれ「ぶり起こし」と呼ばれる雷鳴がとどろくと、ぶりの群れが押し寄せてくる。この時期に獲れる産卵前の「寒ぶり」は、脂がのって最高である。
 脂ののった身は刺身塩焼き照焼きに、「あら(内臓)」や「ざん(頭や骨)」を大根とともに煮込んだぶり大根は、体の芯まで暖めてくれる。内臓と大根を軽く煮て酢と味噌で味付けした煮なますなど、ぶりは捨てるところがなく各部位ごとにいろいろな味が楽しめる。

加工品
 塩漬けした大かぶに塩ぶりを挟み込み、麹(こうじ)やご飯とともに漬け込んだかぶらずしは、正月の郷土料理として欠くことのできない食べ物であり、お歳暮の品としても人気が高い。また、4〜5月の小さいぶりは、塩漬けして干したものをいなだと言い、高級な酒の肴として好まれ、お中元に贈る慣習もある。


ぶり大根

かぶらずし

いなだ

 ぶりは、歴史的に富山の人々の暮らしや伝統文化と深く結びつき、多くの食文化を発展させてきた。こうしたことから、現代でもぶりが食卓によくのぼるのであろう。


たら

 家計調査年報の結果から、たらの年間支出金額上位の県庁所在都市をみると、1位は富山市で北陸や東北地方の都市が上位を占めている(図4)。これは冷水性の魚のため、産地が限られていることにもよると思われる。


1 富山湾のたら漁と出回り時期
(1)富山湾におけるたら漁の歴史は古く、漁獲量が非常に多い時期もあったが、たらの漁獲量推移をみると、漁獲量が年々大きく変動し、減少していることがわかる(図5)。

(2)たらには数種類あり、一般的に、たらというと「まだら」をさしている。富山湾では、まだらとすけとうだらが獲れるが、図6で示すように、圧倒的にすけとうだらの漁獲量が多い。


まだら・・・たらは漢字で魚へんに雪「鱈」と書くように、まだらの旬は冬である。上あごが長く、下あごに一本りっぱなひげをもち、150〜200mの深さに集団で生息している。刺し網 (魚の通り道を遮断するように網を張り、網目に刺させたり絡ませたりして獲る方法)による漁獲が主であるが定置網でも獲れる。

すけとうだら
・・・まだらよりひとまわり小さく、全長約80Bで細長く、下あごに短いひげをも っている。富山湾では水深300〜500メートルの寒冷な日本海固有水に生息して いる。多く獲られるのは初夏から夏であり、ほとんどが、延縄(はえなわ:長い 縄に間隔をおいて餌をつけた釣り糸をのばし魚を獲る方法)や刺し網で獲られてい る。

(3)すけとうだらはまだらと比べて傷みやすく、一般消費者の口に入るころには味が落ちていることが多いが、新鮮な魚が手に入る富山では刺身(昆布じめ等)でも食べることができる。北洋では冷凍すり身にされてしまうすけとうだらを 富山では古くから鮮魚として大切に扱ってきた。こうしたことから、いろいろな調理法で食べる習慣が今も続いていると思われる。

2 とやまに伝わるたら料理
 「たら」のあっさりとした淡白な味は、塩焼き煮つけムニエルシチューの具などどんな料理にもあうので千両役者ともいわれている。


 すけとうだらのぶつ切りを入れた味噌汁(たら汁)は、夏場の味覚として人気が高く、朝日町の宮崎浜の名物料理となっている。

 
 寒い冬は、たらを丸ごと使ったたら鍋が体を温めてくれる。まだらは冬の間がおいしく、富山ではたらの子づけ(たらの刺身に湯を通したたらこをまぶしたもの)、昆布じめとして食べることが多い。
 郷土料理に、たらを昆布だしにしょうゆで味付けして煮た「ウスシタジ」と呼ばれるなべがある。

加工品

 まだらを素干しした棒だらは、貴重な保存食として用いられる。水に戻してしょうゆと煮る棒だら煮は多くの家庭で食べられている。


いか

 家計調査年報の結果から、 いかの年間支出金額上位の県庁所在都市をみると(図7)、1位は富山市で、以下山陰、北陸地方の都市が上位を占めている。いずれも漁獲量が多い地域が名を連ねている。富山は新鮮ないかが手に入ることや富山の特産ともいえる「ほたるいか」があることなど、年間を通していかを食すことができ、これが年間支出金額を高めているとみられる。


1 富山湾で常に漁獲量が上位の「いか」
(1)いかの種類と漁獲量
 いかは世界で440余種、日本海近海でも109種を超え、富山湾では24種生息している。なかでも、するめいかやほたるいかは、常に富山湾の魚種別年間水揚量の上位を占めており、季節毎に獲れる種類は異なるが、年間を通していかを味わうことができる(図8)。


(2)漁法
するめいか・・・漁期は大きく分けて夏と冬である。5月〜7月に獲れる夏いかは比較的小さいが、10月〜3月の冬いかは大きく身も厚い。富山湾では、主に日本海沖合でのいか釣りや、沿岸域で の定置網で漁獲される。近年、漁船や漁具の発達により沖合の新漁場が開発され、漁業形態も変 わってきている。

ほたるいか・・・ 漁期は3月〜6月で、最盛期は4月中旬から5月上旬である。現在はすべて定置網漁業であり、産卵後のほたるいかが獲られている。近年、日本海西部地域で底びき網漁業(袋 状の網を漁船でひいて魚介類をとる漁法)がはじまり山陰・若狭沖が富山湾の漁獲漁を上回っている。定置網を使う富山のほたるいか漁は全国で唯一であり、資源に優しい漁業、自然共生型漁業ともいえる。

2 「富山県のさかな」富山湾の神秘 ほたるいか

 春の富山湾に青白い幻想的な光を放ち、忽然(こつぜん)とあらわれるほたるいか。日本近海に広く分布しているが、水深1000mを超える富山湾に群れをなしてやってくるため、常願寺川河口から魚津港に至る約15km、沖合約1.3kmまでが「ほたるいか群遊海面」として、国の特別天然記念物に指定されている。深海の谷間から産卵のために浮上し、浜辺に打ち上げられたほたるいかを地元では”ほたるいかの身投げ“と言い、青色の宝石が浜辺を転がるようであり、美しくも悲しい光景である。


3 とやまに伝わるいか料理
(1)全国で唯一の珍味「黒作り」
 いかの肝を発酵させて作る塩辛に墨を混ぜた黒作りは、他県には見られない富山独特の伝統食品である。保存食として江戸時代から作られ、参勤交代の際には将軍様へも献上されていた。その味は、墨の香りが効き独特の風味とコクがある。最近は健康食品としていかの墨も見直され、パン、スパゲッテイソース等いろいろなものにも利用されている。

(2)料理の万能選手「いか」

 どの種類のいかも、刺身はもちろん、昆布じめ酢物塩辛鉄砲焼いか飯煮付け揚げ物炒め物等用途が広い。とくにあおりいかの刺身はとろけるような甘みがある。また、塩するめしょうゆ漬け味噌漬け等の漬け物類としての加工用に、広く使われている。

(3)春の使者「ほたるいか」

 春を告げるほたるいかの食べ方は、ぜいたくに腕だけを刺身にした龍宮そうめん、ほんのりピンク色にゆで上げた桜煮酢味噌あえ天ぷら昆布じめ釜揚げ等々がある。
 また、塩辛佃煮くん製等は年中店頭にあり、その味を楽しめる。


黒作り

ほたるいか酢物

   
 
まとめ
 富山湾は自然的条件に恵まれ、多種多様な魚が水揚げされる豊富な漁場となっており、鮮度のよい魚が手に入ることから、県民の強い魚介し好が生まれたといえる。
 魚は鮮魚としてだけでなく、昆布と魚を組み合わせた「昆布巻き」のような富山独特の食べ方や、季節外の保存用として「いかの黒作り」「いなだ」などの加工品が、自然・歴史的背景から先人たちの知恵により生まれた。
 また、近年の老齢人口割合(19.7%、全国17位、平成10年)の高まりから肉より魚、共働率(62.1%、全国4位、平成7年)が高いことから簡便な調理法である魚の刺身などが好まれている、ともみられ、こうしたことも魚を多く食べる一因になっていると思われる。
 郷土に根づいた魚食文化を大切にし、新しいものを取り入れた食文化を形成していきたいものである。

参考図書  鰤街道 その歴史と文化 郷土出版社
ブリ街道 北日本新聞社
富山湾 神秘性とロマンの宝庫 藤井昭二編者 進興出版社
聞き書富山の食事 農山漁村文化協会
富山湾の魚たちは今 富山県水産試験場 桂書房
とやまのお魚料理 富山県おさかな普及協議会・富山県漁業協同組合連合会
魚の博物辞典 末広恭雄著 講談社学術文庫
(社)富山県栄養士会:とやま食の風土記 富山県民生涯学習カレッジ
氷見御馳走帖 氷見市経済部商工観光課
味のふるさと富山の味 (株)角川書店
とやまがわかる本 富山県統計課・富山県統計協会編
(渡辺 良子)