特集

朝日町の観光施策について
〜「春の四重奏」と「ヒスイ海岸」〜

朝日町 商工観光課

 

1 はじめに


朝日町は、富山県の東の玄関口、新潟県との県境に位置します。人口は11,553人(令和2年11月末現在)、面積は227.41平方メートルで、最高峰の白馬岳から海岸までは直線距離で30キロメートル。コンパクトでありながら、海抜0メートルのヒスイ海岸から標高3,000メートルの北アルプス朝日岳・白馬岳を有するダイナミックなパノラマが広がる自然豊かな町です。


朝日町では、舟川べりの桜並木を含む「春の四重奏」と「ヒスイ海岸」を、かねてから「2大景勝地」としてPRしてきています。近年、北陸新幹線の開業や、全国的なインバウンドの盛り上がり、さらにSNSの活用による情報提供などが相まって、観光入り込み数については、平成30年度に初めて30万人を超え、年々増加しています。

○朝日町の観光入り込み数の推移(年間)

(単位:人)


2大景勝地のほかにも、親鸞聖人がこの地に伝えたとされる「バタバタ茶」も多くの方々に飲用されており、首都圏や関西などの出向宣伝ではその珍しさからも人気を博しています。

あわただしく茶せんを動かして、お茶をあわ立てるしぐさから「バタバタ茶」と名づけられたと言われていますが、観光客が気軽に体験できる「バタバタ茶伝承館」を建設し、管理する地元の「おばちゃん」との憩いの場を提供するなど、これまでは、その文化を伝承する方向性に重きを置いた施策を進めてきました。現在もペットボトルの製造販売を手がけてはいますが、町への直接的な経済効果を鑑み、茶葉量の確保や生産工程の均一化、販売ルートの確保など、本格的に商業ベースに乗せるためのいくつかの課題を解決していくことが求められています。

2 舟川・春の四重奏


昭和36年に有志による植樹が行われて以来、徐々にその数を増やし、堤防の両岸1,200メートルに約280本のソメイヨシノが、地元・舟川新町内会の手で植えられ、大切に維持管理されています。

全盛期には30軒ほどあったチューリップ球根農家は、今は1軒。その歴史を守る山崎久夫さんが、「たくさんの方に出会いたいから」と、桜に合わせて極早生のチューリップの品種を選び、菜種油を採るための菜の花も植えたところ、平成21年に初めて、残雪の朝日岳を背景に、桜並木、チューリップ、菜の花の四重奏が奇跡的に揃いました。その後正式に「春の四重奏」と命名し、国内外への積極的なPRを行い、一昨年は桜開花期間中に43,000人が訪れました。昨年は、新型コロナウイルスの感染が拡大した時期とも重なり39,000人に留まりましたが、有名企業の公式カレンダーへの採用や、JRや全日空のフリーペーパーへの掲載など、情報の広がりを実感しているところです。

近年では、全国的な盛り上がりを見せるインバウンド需要に対応するため、観光交流推進員を配置し、インバウンド事業にも本格的に力を入れてきました。

日本との観光交流が盛んといわれる台湾を中心に現地へ出向き、旅行会社や出版社等の各メディアへのセールスコールを行ったほか、旅行会社やライターを日本へ招聘し、実際に旅行商品造成に必要な情報を体感してもらうなどの事業を行った結果、平成29年以前はほぼゼロであった外国人来訪者が、平成30年は2カ国、約300人、平成31年には、6カ国、1,700人まで増加。ほとんどが旅行会社の造成した旅行商品よるツアー客であり、宿泊施設や昼食会場としての飲食店の利用など、大きな経済効果がありました。


○「あさひ舟川・春の四重奏」の観光入り込み数の推移

(単位:人)


チューリップは連作ができない品種であることから、毎年、チューリップ畑の位置は変わります。それに伴い、菜の花畑の位置も変わることから、「春の四重奏」は、毎年違う顔を見せることになります。

また、春だけでなく、夏の田んぼアート、ホタル鑑賞、秋には、桜並木の土手一面に彼岸花が咲き、冬にはイルミネーションの点灯など、一年を通して感動に出会える場として、より一層のPR事業とともに、経済循環の構築を目指した施策を展開していきます。


3 ヒスイ海岸

ヒスイ海岸は、朝日町の最東に位置する、幅100メートル東西4キロメートルに渡って広がる小砂利浜の海岸です。美しいエメラルドグリーンの自然海岸で、「日本の渚百選」、「快水浴場百選」に選ばれています。日本の翡翠産地は険しい山の中がほとんどですが、海から翡翠が打ちあがり、楽しく安全に翡翠が拾える世界的にも珍しい環境です。



約6,000年前の縄文時代から愛される翡翠。近年、当町をはじめとする隣接する新潟県糸魚川市などで、翡翠の加工工房遺跡跡が発見され、古代から当海岸での翡翠の採取、加工が行われていたことが広く知られるようになりました。

以前は、翡翠の勾玉は、原産地のビルマから中国を経て日本に持ち込まれたとする「大陸移入説」が主流でありましたが、昭和39年に朝日町宮崎海岸近くの浜山において翡翠の勾玉が出土し、それをきっかけに行われた発掘調査によって昭和42年、国内で初めて古墳時代の勾玉工房跡「浜山玉つくり遺跡」が発見されました。日本の翡翠文化を解き明かすスタート地点となり、発掘調査団が、宮崎・境海岸一体を「ヒスイ海岸」と命名しました。

それ以来一年を通して、日本全国から多くの来訪者が「ヒスイ探し」のロマンを求めて海岸を訪れています。


○ヒスイ海岸の観光入り込み数の推移(年間)

(単位:人)


ヒスイ海岸の魅力はヒスイが拾えることだけではありません。夏の海水浴シーズンには多くの家族連れが訪れるほか、一年を通してフクラギやキス、タイなどの豊富な魚種を対象として、磯からの投げ釣り、舟での沖釣りを楽しむことができます。

また、夏至の前後約1ヶ月の間、ヒスイ海岸では、海から朝日が昇り、海へ夕日が沈む幻想的な現象を見ることができ、写真愛好家などの絶好のスポットとなっています。



平成30年には、ヒスイ海岸前に、観光交流拠点施設「ヒスイテラス」がオープンしました。

ヒスイ海岸周辺整備事業として、海岸周辺の将来的な方向性を計画する中で、朝日町を代表する観光地でありながら、周辺には休憩や雨宿りをする場所も無く、シンボル的な施設もないことから、整備基本計画に基づき、越中宮崎駅前の旧旅館跡地を町が買収し、地元代表者によるワークショップを開催。検討を重ねた結果、かねてから要望のあった、眺望のできる休憩スペースや、シャワー室、イベントホール等を備え、訪れる観光客や地元住民の皆さんに憩いの場を提供する施設として建設しました。



施設にはこのほか、イベント開催時に使用できる調理室や、前面のガラス扉を解放し、外部のイベント広場と一体的に使用できる仕様にするなどの工夫を施し、また、ヒスイ海岸が「富山湾岸サイクリングロード」の起点・終点であることから、サイクルステーションの機能も持たせるなど、この施設を中心とした地域の活性化と賑わいの創出を期待しているところです。

竣工後は、予想を上回るペースで来館者が推移しており、令和2年度末にはオープンから約2年半で10万人を超えることが予想されます。

また、町主催によって季節ごとに大きなイベントを開催したり、週末には、民間団体によるマルシェ開催に利用されるなど、交流人口の拡大に伴い、同時に事業者の活躍の場としても広がりを見せています。



このように、年間を通してさまざまな目的で海岸を訪れる方々の憩いの場として、ヒスイテラスを活用していただきたいと考えていますが、さらには、このヒスイテラスを発着点として、町の名所をまわるコース設定や、旅行商品の造成、商店街への誘導など、朝日町全体を視野に入れた観光振興施策へ展開し、大きな経済効果へと波及させる必要があります。

4 今後の展開

「春の四重奏」はインバウンド需要に応える情報発信の効果、「ヒスイ海岸」は、観光交流拠点施設「ヒスイテラス」のオープンが、それぞれ入り込み数の増加を後押ししており、今後もさらなるにぎわいが期待されるところです。

両地ともに自然景観を観光資源としていることから、この観光資源そのものが大きな経済効果を生むものではありませんが、「2大景勝地」と周辺の宿泊施設がセットになった旅行商品の造成や、商店街へ誘導するための施策を展開し、町全体の活性化につなげ、朝日町における交流人口の拡大を達成したいと考えています。




とやま経済月報
令和3年2月号