特集

となみチューリップフェアが歩んできた道のり

(公財)砺波市花と緑と文化の財団 チューリップ四季彩館

1 砺波のチューリップ栽培のはじまり


なぜ砺波市で全国にも名を響かせているチューリップフェアが行なわれているのか。この話は約100年前までさかのぼります。

北陸地方は「積雪寒冷単作地帯」であり、冬期間農地は雪に覆われ農作物を育てることができない地域です。稲作の前後に何か栽培できないか、農業者は有利な水田裏作作物を探し求めていました。その頃の水田裏作といえば、大麦やレンゲ草が栽培されていましたが、根雪が3ヶ月も続くと収穫は皆無に近く、とても有効な裏作作物とはいえませんでした。

そのような中、大正7年(1918)先覚者である水野豊造氏によって、はじめてチューリップが栽培されました。当時、二十歳の水野青年が横浜の種苗会社から取り寄せた、わずか数球の球根は、翌年の春に見事な花を咲かせました。毎年、種苗業者から球根を買っては咲かせて、切花を販売するということを繰り返す中で、秋に植え込んだ球根が出荷時期を過ぎる頃には、大きく肥大していることに気付きました。チューリップ球根の生産には、水はけの良い土壌と球根肥大期の日射量が不可欠なのです。庄川の扇状地に広がる砺波平野の水田地帯は球根生産に適していたのです。以後、チューリップ球根の水田裏作が進み、長い積雪期間にも耐える水田裏作作物の誕生です。


〜チューリップフェアへの第1歩〜

球根組合を設立し、球根生産の仲間が増えたこともあり、順調に球根の生産量を伸ばす中、戦後まもない昭和22年(1947)ひたむきなチューリップ球根生産への努力に応えて、富山チューリップ産地の中心・砺波に国がチューリップの研究所を設置しました。

しかし、昭和26年(1951)、当時GHQ(連合軍司令部)の支配下にあったわが国では、その施策の流れの中で、全国行政機関の整理統合が考えられていました。富山県でも、国のチューリップ研究所を併設していた県農事試験場出町園芸分場(現農林水産総合技術センター園芸研究所)もその対象になっていました。

そのころは、食料増産一辺倒から、チューリップだけでなく野菜・果樹など園芸特産振興の気運が次第に高まっていたため、試験場の県外への併設・統合は、地元の農家にとっては大きな打撃となります。

そこで、県西部の市町村・単位農協は、出町園芸分場後援会を結成し、GHQや関係行政機関などに分場存続の陳情をはじめました。

また、後援会は昭和26年(1951)4月29日から5月3日までの間、園芸分場で満開の数十万本のチューリップ鑑賞会を計画し、GHQの要人や一般の人々を招待することにしました。

当日は富山県知事をはじめ、名古屋駐屯地司令官、その他の要人など多数の来場があり、美しく咲き競う花たちが感動を与えました。この鑑賞会の成功がきっかけのひとつとなり、試験場の移設は立ち消えとなりました。

そして、翌27年(1952)砺波町誕生(町村合併)祝賀の意味を込めて、第1回目となる「となみチューリップフェア」が盛大に開催されました。

2 移り変わるチューリップフェア


となみチューリップフェアは今年で65回を迎えます。その間、時代に見合ったイベントを開催するなど着実に発展し、今では700品種、300万本のチューリップが見られる日本最大級のイベントに成長し、会期中は30万人を超える来場者が訪れています。


〜砺波チューリップ公園の整備〜

砺波園芸分場の果樹部門が魚津市に移転したことを受けて、その跡地10,682uを県から砺波市が借用し、昭和38年(1963)秋から自衛隊の協力を得て整地に取りかかりました。

公園の周りを生け垣で囲み、中にはチューリップ花壇や休憩所などをつくり、これらをつなぐ遊歩道ができあがりました。昭和39年(1964)のフェアから「砺波チューリップ公園」の名称で親しまれるようになりました。 昭和51年(1981)にはじまった都市公園計画により、10年の歳月をかけて5.4ヘクタールの広大な公園整備を行い、昭和61年(1986)4月23日に現在のチューリップ公園となりました。チューリップフェアの会場の様子も当初の試験場ほ場の開放をしていた頃と比べると大きく変化を遂げました。

〜チューリップタワーの完成〜

20回を数えたチューリップフェアの記念事業として、シンボルとなるタワーを建設することになりました。高さ20mのチューリップを型取った「チューリップタワー」は、昭和47年(1972)のチューリップフェアから公園に咲き競うチューリップを見晴らす展望台として、またカメラスポットとして、その後もチューリップフェアのシンボルとしての大きな役割を果しています。

〜チューリップ四季彩館の完成〜

全国都市緑化祭が富山県で行われた平成8年(1996)に1年を通してチューリップが観賞できる観光施設として、チューリップ四季彩館が完成し、国内外から多くの観光客にチューリップを鑑賞していただいています。チューリップフェアでは会場内の一部として、室内ならではの工夫を凝らした展示や珍しい希少品種の展示等を行うことで、チューリップフェアのみどころの一つとなっています。

チューリップ四季彩館は、開館から20年経過した今春、大掛かりなリニューアルを実施しました。色とりどりのチューリップに加え、原生品種や希少品種のチューリップなど見所も多く、これまで以上に好評を博しています。

3 チューリップフェアでの取組み


〜地元産業の振興への取組み〜

チューリップフェアでは、富山県花卉球根農業協同組合によるチューリップ球根の予約販売をはじめ、砺波の飲食店による飲食販売、砺波市観光協会等による砺波のおみやげ販売により、地元産業の振興に寄与しています。


〜市民によるボランティア活動〜

砺波市内の小・中学生、高校生、自治振興会、女性団体、緑花団体、ボランティア団体の方々により、会期前はチューリップの植え込み、会場清掃、花の装飾など多くのボランティア活動を行っていただいています。また、会期中は花の管理、観光案内や園内放送、吹奏楽演奏、チューリップ踊り披露など、延べで4千人を超える方々のボランティアに支えられています。


〜外国人観光客の誘客〜

近年、東京オリンピックの開催決定や円安の進行、免税制度拡充等の要因から、訪日外国人が増加しています。チューリップフェアにおいても、外国人の誘客を平成26年(2014)から強化を図っています。立山黒部アルペンルートを訪れる外国人の半数は台湾からであることから、台湾旅行会社への営業活動を行なっており、東南アジア諸国を中心に約8,000人の外国人来場者がチューリップフェアに訪れています。外国語サービスや免税店の開設など益々サービスに努めています。

4 おわりに


チューリップ栽培が砺波に根付いてから約100年、日本一のチューリップのふるさととして、花を愛する豊かな心が「花の祭典」を育てあげてきました。

これまでのチューリップフェアの中で、工夫を凝らした花壇が誕生したり、その時代に応じた取組みに変更を何度も何度も繰り返してきたことが、息の長いイベントになりました。

もちろん、今年で65回目を迎える2016となみチューリップフェアにおいても、新しい花壇や取組みがあります。

これからも皆様方に愛される砺波の春の一大イベントとして、砺波市市民憲章の一項目である「花や緑を愛し美しいまちをつくります」の心を、いつまでも変えることなく継続していくことが大切だと考えています。


参考文献
砺波市産業建設部商工観光課(H13.3)「となみチューリップフェア50年の歩み」

とやま経済月報
平成28年4月号