特集

目指すは“最適化”

富山県立大学環境工学科 准教授 立田真文

 「衣食足りて、礼節を知る」という言葉がある。この言葉に異論がある人は沢山いるとは思わない。私は、人間が生きて行く上で、環境は「礼節」であると思っている。この礼節が守れるのが文化の高い国ということになり、現在も世界各国で繰り返されている地球環境問題(子供、女性への虐待や水質汚染など)は言わば衣食が足りていない国で主に起こっているのである。

 では、日本のような国ではちゃんと礼節は守られているのか?それが日本のような文明国家でも衣食が足りていない国と同じようなことは簡単に起こる。“衣食”のレベルが少し違ってくるが、リストラされたら果たして、リサイクル云々に目が行くであろうか?選挙に落ちた政治家が、環境ホルモンについて考えるだろうか?明日食うのにも困っている人が、川が汚れることを考えるだろうか?いじめに悩んだり、生き方に悩んでいる人が、空気が汚れることを気にするだろうか?人間という生き物は、自分に余裕ができて始めて環境(礼節)について考えられるものなのである。

 私も、産業廃棄物収集運搬の現場作業を長年していたが、企業の景気が悪くなると、すぐに仕事を切られた。「来月から、来なくていいよ」と言われるのである。それで、その会社はもう危ないのだなあと感じていたものだ。

 いま、総日本人が“地球温暖化”一色であるが、二酸化炭素の排出云々を叫ぶ前に、景気回復なのである。センチメンタルに環境保護だけを進めていくと、日本は本当に沈んでいってしまう。環境を守るなら、まず景気回復しかない。本当に本気に環境保護をいうのであれば、全ての生産を止めて、昇る太陽をみつめて野原を駆け回り、腹が減ると魚でも釣り(もちろん釣り針は木の枝を細工してつくる)、沈みゆく太陽をみつめて寝ればいいのである。人間が文明的な生活をしている以上、生きているだけで環境には負荷が掛っているのである。それはそれで割り切って、人間の幸せを一番に考えることが、地球にしてやれる唯一のことなのである。

 それでは、いままでのように石油をがぶ飲みにし、大量に製品を生産し、大量に廃棄していけばいいのかというとそうでもない。旧態依然とした思考は切り替え、一日でも文明社会が長続きできるように、効率化を考えなければならない。エネルギーを効率よく利用し、利用できるものは何回も利用し、資源は大切に使うことである。要するに、あらゆる場面における“最適化”が大切になる。同じ製品を生産するにしても、エネルギーや資源を無駄にすることなく最適化になるように考えていくことである。

 言うことは実に簡単であるが、実社会で実行していこうとすると非常に難しい。日本人は、マスコミの情報を鵜呑みにしてそれが思想形成に大きく影響するようである。マスコミの情報もいろんな角度から分析し、いろんな新聞を読んだり、いろんな書籍等を読んでからもう一度考え直すと、社会現象の本当の意味がわかってくるが、そんなことは学校では教えてくれない。いま、エコテクノロジ―という謳い文句でいろんな技術が巷を席巻しているが、よく考えると、全くエコではなく、エネルギーを余計に使い、金も使い、おまけにどうしようもない廃棄物を排出するものが沢山ある。その上、やっている本人は、エコ技術であると思いこんでいるために余計性質が悪い。民間資本で、やっていて儲けが出ない技術ははっきり言って環境に悪いものであるので、さっさと思い切って止めた方がいい。また、いつまでも税金を食いつぶしている技術もさっさと止めてしまうほうがよい。冒頭にも言ったように、儲けなければ、環境に悪いのである。これも、一つのマスコミがそう言っていたからという理由だけで、そっちに流されたケースが意外と多い。

 私の専門分野で、公の問題として最適化の急先鋒は“焼却炉”であろう。全国にある家庭ごみ(一般廃棄物)の焼却炉は非常に問題が大きいし、今後なんとかしなければならない案件の上位のものである。私は、焼却炉は絶対に必要と思っているので、焼却炉の存在自体は否定しないが、そのエネルギー利用率は最悪である。

 日本は、世界的に稀に見るごみ焼却に依存した国であり、一般廃棄物年間排出量約5,000万トン(東京ドームの約130杯分といわれる)の80%が焼却されている。アメリカは20%程度、韓国は10%程度である。日本の焼却場のエネルギー利用率は最大30%にも満たない。平均すると、11%程度である。ドイツではエネルギー回収率75%はあるらしい。日本はタービンを乗せて発電ばかりしているが、それでは永久的にエネルギー利用率は上がらない。折角の熱を利用することなく、90%も垂れ流しているのである。それもなけなしのお金で積み上げられた税金がつぎ込まれているのである。ドイツなどは焼却場の周りに市民がすみ、焼却場からのお湯や電気を安価で供給してもらっている。お湯という熱回収をしているために、エネルギー回収率が高いのである。日本も、現状のように人里離れた所ばかりに焼却場を建設するのではなく、思い切って経済特区をつくり、焼却場の周りに人を住まわせ、お湯や電気を安価で供給し、住民税なども少し安くすれば、人は必ず住みつく。

 一方、民間会社での最適化といえば、廃棄物排出の最少化である。現在も、リサイクル技術と称していろんな技術が研究開発されているが、はっきり言って、排出されたもののリサイクルや資源化は、非常に難しいし、ほとんどできないと考えたほうがよい。できるにしても、ものすごいエネルギーを使う。

 インスタントコーヒーを入れることを考えてみる。インスタントコーヒーをスプーンですくってカップにいれ、粉ミルクを入れ、砂糖をいれ、上から熱いお湯を注ぐ。コーヒーや粉ミルク、砂糖はお湯にサーっと溶けていき、インスタントコーヒーの出来上がりだ。今の日本の技術力をもってしてならば、この出来あがったインスタントコーヒーを、元のコーヒーと粉ミルクと砂糖と水に完全に分離することができる。しかし、その代わり莫大なエネルギーを必要とする。この場合、コーヒーは飲める分だけ作り、残さず飲み切った方がいい。だから、工場からも廃棄物は極力出さないのが一番いいのである。人間がトイレにいくのと同じように、経済活動をすると必ず廃棄物は出る。出さないでいると、糞詰まりになってしまい、人間が病気になるように、企業も立ち行かなくなる。むかし、面白い本を見た。なんの本だったか忘れたが、二人の男達が我慢大会で競いあった。一人は大きな石をA地点からB地点に運ぶこと。かなり大きな石なので、かなりの労力と時間が必要である。もう一人は、大便を何日間もこらえること。大便の男は別に重い石も運ばなくてもいいし、ただ大便を我慢するだけだから、楽勝と思っていたが、実際やってみると、大便を我慢できなくなり負けてしまったという話である。現在、ゼロエミッションとかいう訳の分からない言葉があるが、そんな言葉があるがために、小学校や中学校では、学校で大便をすると昔より余計にいじめられるのではないか?出るものは出るとちゃんと教えるべきである。

 余談になるが、私は、この大便のことも含めて環境問題をより分かりやすく教科書1)、マンガ本2)、電子紙芝居3)、環境創作落語4)、ラジオ(79.3MHzエフエムいみず 水曜日18:15〜18:45 富山県立大学放課後カフェ(生放送))などを通じて伝えている。またご参考いただきたい。

 廃棄物を出すのが恥ずかしいのではなく、最適化を進めなくして廃棄物を垂れ流しているのが、恥ずかしいのである。企業における、廃棄物の最少化は特に難しい技術ではなく、これまでの考え方を改めることが重要なポイントとなる。

 ここで図1に、廃棄物最少化手法を示した5)。まず、最少化手法は「排出の削減」と「リサイクル」に2分される。「リサイクル」と言われれば聞こえはいいが、結局は単なる“エンド・オブ・パイプ(End-of-pipe)”技術のことである。このエンド・オブ・パイプという言葉は、パイプから出てきた排水を処理しているイメージであり、出てきたものに対応する・対処するといった意味合いで、簡単に言えば“尻拭い”の技術のことである。いままでのリサイクル技術の大半がこのエンド・オブ・パイプ技術である。

 先にも述べたように、排出してしまった廃棄物をどうにかしようというのは、無理である。これまで我々は、この排出されたものをどうにかしようとしてきた。しかし、これからは、上流側で対策を講じることが必須になるし、世の中の当たり前の流れになる。それがこの図が示しているもう片方の、“排出の削減”である。いま、3Rという言葉をよく聞くと思うが、その3Rの一番始めのRが”Reduction”であり、ここでいう排出の削減である。ここでは、図を掻い摘んで説明する6)

 まず、「排出の削減」は「製品に関する事項」と「排出の管理」に分かれる。

 「製品に関する事項」内の『原料の変更』であるが、これは製品のデザインや成分、特性を変えることで廃棄物の発生を抑制しようということである。しかし、これは顧客の要求に大きく左右されるので、難しい。次に、『原料の管理』は、原料を徹底管理することで、余らせないということである。余ったものはどんなものであれ廃棄物になってしまう。余らせないというと聞こえは簡単だが、やってみるとなかなか難しい。しかし、これは大きな効果を生む。3つ目の『容器等の変更』であるが、これに関する好例が富山県民公園である太閤山ランドに見られる。この公園の池には、鯉が泳いでおりその池の近くには鯉の餌の自動販売機がある。来園者はこの自販機から餌を買って鯉に与えて楽しめることができるのであるが、この餌は、“最中(もなか)”の皮で出来たケースの中に入っており、鯉の餌がなくなるとその最中の皮も鯉にあげることができる。だから、手にはなにも残らないのである。もしこの鯉の餌が紙製の容器に入っていたならば、ごみが出ることになり、ごみ箱は探さなければならないわ、池にポイ捨てする人も出てくるわで、全くいいところがない。このように、ほんとに些細なことであるが、ちょっと工夫することによってごみは減らすことができるというよい事例である。また、最近では、インスタントスープのダシの粉の入れ物をゼラチンで作っており、その上からお湯をかけるとゼラチンが溶けて、中の粉のダシもお湯にとけてスープができるといった物もある。これが従来のビニルのような入れ物に入っているとごみがでてしまう。

 「製造に係わる物質に関して」の『物質の変更』では、例えば、自前のウエス(汚れを拭き取るボロ布)よりも、レンタルのウエスを推奨している。例えば、自前のウエスを使用すると汚れたウエスを企業が管理しなければならないし、ウエスは廃棄しなければならないため廃棄物が増えてくる。しかし、レンタルならばそのようなことからも解消される。また、『物質の無害化』においては、ある工場では有機溶媒を使用していたが、安定剤を用いることでその有機溶媒の排出が60%削減された。有害なものが無害化されたということである。

 「製造技術に関して」内の『製造工程の変更』に関しては、ある電子工業が部品の洗浄に、これまで3種類の溶媒をそれぞれ並列で使用していたものを、1つの溶媒に限定して洗浄工程を直列にして、溶媒をカスケード利用(上から順番に使うということ)するようにした。高い洗浄度が要求される部品を先に洗浄し、高度な洗浄が要求されない部品を下流で洗浄するようにしたのである。そういうことをすることで、廃溶媒量が削減され、これまでによくみられた溶媒同士の交わり(コンタミ)もなくなり、かつ溶媒が一種類になったことで溶媒の取り扱いの簡素化にも繋がった。『製造装置やレイアウトの変更』では、これまで行ってきた“化学薬品の部品洗浄”を軽石とブラシで洗浄する“物理的な洗浄方法”に変更したところ、化学的処理では排出されていた大量の薬品の廃液がなくなり、無害のスラリー状の汚泥のみとなったので、廃棄物処理費用も大幅に削減できた。『自動制御』においては、極力機械の導入により“人間によるミス”を無くし、“原料の使用の最適化”につながることで廃棄物を削減できるとしている。これは、「製品に関する事項」内の『原料の管理』にも繋がるものである。

 最後の項目である「正しい操業」には、6つの小項目がある。『使用薬品についての徹底調査』では、使用薬品(原料)についての“物理的性質”、“毒性と健康被害”、“主要な侵入経路”、“曝露限界時間”など使用しようとしている化学物質のあらゆるデータを事前調査することで、後々処理などがややこしくなる物質の使用を避けていこうということである。『原料漏洩の回避』は正に書かれている通りで、タンクやパイプラインからの原料の漏洩を無くすということである。原料も漏洩してしまうと廃棄物になるからである。工場跡地が汚染されている事例もこのような漏洩からくるものもあると考えられる。また、やはり原料が漏れていたらもったいない。『廃棄物管理の組織化』では、窓際族(いまでは言わなくなったが。)や組織の末端に廃棄物管理を任せるのではなく、生産ラインの責任者などで組織化される委員会で廃棄物の減量化(最少化)に努めるべきだとしている。『廃棄物フローの分離』では、ある会社がいままで一箇所で回収していたダストを改良してプロセスごとにダスト回収を行い、回収したダストはプロセスの頭に返すようにしたことで、廃棄物の削減と資源回収を達成できた。誰もが知っている“分けたら資源、混ぜればごみ”を実践した例である。『製品損失への注意』では、原料ではなく“製品”の無駄な損失には気をつけようということを言っている。例えば、製品の樹脂をタンクローリーに積載時に、その終了間際にポンプを逆回転させることで樹脂が貯蔵タンクに戻っていく。何気なしに、ホース内を水で洗うようなことをすると廃棄物になるということである。最後の『生産計画の見直し』は、もう一度、いままで慣れ親しんできた生産プロセスを精査して、無駄がないかどうか考えることであり、精査することでいままで見えなかった点が見えてきて、それが廃棄物の削減に繋がるということである。これが最も有効で即効性がある最少化の手法だが、これまでに大きな損害もなく経営もトントンでやってきた会社が、果たして大幅に見直す勇気と行動力があるか。そこにかかってくる。

 いままで見てきたように、廃棄物の最少化は決して高度なものばかりではない。是非会社に取り入れて、上記で書いた真似事からでもいいので廃棄物の最少化を始めて欲しい。ここでの例は、アメリカの例が多いので、法的な面で日本にすぐとりいれられるかはその場面場面で考慮しなければならないことがあるかもしれないが、考え方は有効である。廃棄物は極力出さないようにいろいろ工夫すること。それが世の中の最適化に繋がるのであり、地球にとって文明国家で暮らす我々が地球にしてやれる唯一のことなのである。もっと、話したいがこのまま話すと、みなさんの貴重な時間をとってしまうので、この辺で終わることにする。みなさんまたいつかどこかでお会いしましょう。

1)立田真文(2006)ロマンティック廃棄物、電気書院。

2)立田真文、ルー大柴(2009)くるくるくりりんまなぶくん、電気書院。

3)立田真文、ルー大柴 「いただきますはありがとうのことばだよ(2007)」、「ものは大切にね(2007)」、「ごみのポイすてはやめようね(2010)」、「海がないてるよ(2010)」。

4)立田真文 「環境ホルモン(2009)」、「バイオマス(2009)」、「ミラクルウォーター・奇跡の水(2010)」

5)William C. Blackman Jr. (2001) Basic Hazardous Waste Management 3rd Edition, Lewis Publishers, Boca Raton.

6)立田真文(2009) 廃棄物の最少化手法について、産廃NEXT、7月号、pp.68-70。

とやま経済月報
平成22年11月号