特集

北京オリンピックと中国経済

富山県国際・日本海政策課中国遼寧省派遣職員
藤井孝次


1.はじめに


中国では昨年10月、中国共産党第17回全国代表大会(※1)が開催され今後5年間における党の政策方針が示されました。また、今年3月には第11期全国人民代表大会(※2)が開催され、胡錦濤国家主席の第2期政権が発足しました。


中国は次の5年間に向けて新たなスタートを切ったばかりですが、今年は早速中国史上初の大イベントが控えています―北京オリンピックの開幕です。


現在、驚異的なスピードで発展を続ける中国において、北京オリンピックの開催が中国経済にどのような影響をもたらすかということは、オリンピックの成否と共に注目されている点であります。

※1 中国共産党の最高機関で、5年に1回開催され、党の重要問題を討議するほか、党規約の改正、中央委員の選出などを行う。
※2 日本の国会にあたる組織で、憲法上の最高機関。メンバーは全国各省、直轄市、自治区の代表及び軍代表などで構成され、任期は5年。憲法の改正、法律の制定、国家主席や国務院総理などの選出、国家計画、国家予算の審査・承認などを行う。


2 中国の経済状況と政府が目指すもの


2007年中国の国内総生産(GDP)は24兆6,619億元(世界第4位)、成長率11.4%(前年比)となっています。また、過去5年間の推移を見ても、毎年10%を超える成長率を示しており、今年も同じく10%近い成長率が見込まれています。この数値は日本の高度経済成長期(1956〜73年まで年平均約9.1%)に匹敵するものであり、まさに中国は現在高度経済成長期の真っ只中を突き進んでいると言えます。


このように飛躍的な成長を続けている中国ですが、まだ発展途上国であるというのが政府の共通認識です。そして、当面の柱として掲げている政策目標の一つが「2020年までに全面的な小康社会を実現する」というものです。『小康社会』については「必要最低限の衣食住を確保するのに困らないまずまずの社会」と解釈されますが、代表的な指標としては国民一人当たりのGDPを2000年(7,078元、約856米ドル)の4倍にするということが政策目標として掲げられています。(2007年時点で2,460米ドル)この目標は数年のうちに実現されることが確実であり、その他いくつかの具体的な指標についても、2020年までに数字の上では概ね実現されるものと思われます。ただし、中国は地域間(特に沿海地域と内陸部)の経済格差が非常に大きく、また都市の中でも市街地と郊外とでは大きな格差が存在します。一定程度の地域間格差というものは必ず存在するものですが、中国の場合、広大な国土を有することから地域間格差はより顕著に現れており、さらには、近年の飛躍的な経済成長がその地域間格差の拡大に拍車を掛けています。そのため、2020年に国民全体が『小康社会』を享受していると感じられるか、つまり実態として『小康社会』が実現されるかどうかということは中国社会の大きな挑戦であると言えます。


現在の経済発展について、中国政府は「経済成長のスピードが少し早すぎる」という認識を持っています。経済成長の成果が国民に還元されるにはタイムラグが存在しますが、中国の急速な経済発展は成果を分配する時間を与えず、結果として「豊かな者はより豊かに、貧しい者は一層貧しく」という格差の拡大に繋がっています。また、経済成長に伴う物価の高騰もさらなる格差拡大をもたらす要因となっており、そのため中国政府は、先の全国人民代表大会における政府活動報告の中においても2008年度の主要任務として、「GDP成長率を8%前後とし、消費者物価総水準の上昇率を4.8%前後に抑える」ことを挙げています。


中国は現在歴史的な経済発展を遂げている中で、上述した地域間、国民間における深刻な経済格差という問題を抱えていますが、このような経済格差は、やはり経済成長(国内産業の発展)により改善されるものであることから、今後も比較的早いテンポで発展を維持していくものと考えられます。

 

瀋陽市の中心市街地

瀋陽市の農村地区


3.北京オリンピックが中国経済に与える影響


(1) オリンピック特需とマイナス要因

オリンピックは開催国にとって、世界中に自国及び開催都市をPRする絶好の機会であり、また、先進国ではない開催国にとっては、威信を掛けて自国の経済力を国内外に示す場でもあります。そのため政府は莫大な予算を投入しインフラ整備等に着手するほか、この機会をビジネスチャンスとして捉える国内外の企業からの投資が集中(参考:2007年北京市全体の固定資産投資額3,967億元、前年比17.6%増)するため、社会全体がにわかにオリンピック特需で沸き返ります。


北京市内では、オリンピック会場の建設、地下鉄整備、オリンピック会場周辺のホテル建設など、大規模な工事が次々とハイペースで進んでおり、地方から大量の出稼ぎ者が仕事を求めて北京へ流入しています。私が住む瀋陽市内はサッカー競技の予選会場になっており、昨年サッカー競技場が完成したほか、ホテル建設など急ピッチで進められています。また、7月までに公共バス1,700台の増設や、中国語と英語標記の道路交通表示の設置などが計画されています。この他にもオリンピックに向けた様々な取組みが行われており、オリンピック効果を肌で感じることが出来ますが、一方でオリンピックがもたらすマイナス要因を指摘する声も存在します。


3月に男子マラソンの世界記録保持者がオリンピックのマラソン競技への欠場の意向を表明したことはまだ記憶に新しいところですが、その最大の理由となっているのが中国の大気汚染です。中国は急速な経済発展とともに深刻な大気汚染を生み出し、大きな社会問題となっていることは世界的に知られていますが、中国自身、今回のオリンピックのテーマの一つとして環境を掲げていることもあり、政府は環境問題、とりわけ大気汚染改善に向けた取組みを強化しています。


具体的な取組みとしては、汚染物質を排出している企業を別の地域に移動させる、技術革新や高効率技術の導入により汚染物質の排出を抑制する、各種工場で使用する燃料をよりクリーンな燃料へ切り替えるなどがあります。また、瀋陽市では現行の公共バスを排気ガスの少ない車種へ更新することが計画されています。このほか、中国政府はオリンピック開幕の一ヶ月前から大会終了までの間、いくつかの燃料工場や化学工場を閉鎖もしくは生産規制を行うとの報道もあり、環境改善に向けたこれら一連の取組みが、一定程度の景気後退を促すとの懸念の声が一部に存在します。


仮にオリンピック開催前の2、3ヶ月間工業生産高が減少した場合、経済全体へいくらかの影響を与えることは避けられません。特に、北京と中国東北地区の工業生産高は中国全体の生産高の約30%を占めていることから、これらの地域の工業生産が停滞することの中国国内への影響力は大きいものと言えます。

ただし、これらのマイナス要因はオリンピック特需がもたらすプラス要因を超えるものとは考えられず、中国経済へ決定的な打撃を与えるまでには到底至らないものと思われますし、逆に環境問題が新たなビジネスチャンスを生み、経済にとってはプラスに働くとの指摘もあります。



(2) オリンピック開催後の経済状況

これまでオリンピックを開催したいくつかの国(都市)に共通してみられる現象がGDP成長率の低下、つまりオリンピック開催後の景気後退です。1964年に開催された東京オリンピックを例に挙げると、開催前の5年間の平均GDP成長率は10.2%ですが、開催翌年の1965年は6.2%まで落ち込んでいます。


この現象について、要因は国によって様々ですが、共通の要因としては、予算規模を超える投資と、大量に整備したインフラの稼働率低下が挙げられます。例えば、東京オリンピックで国が投じた予算は、当時の国家予算の3分の1に相当するものであったとも言われていますし、前回アテネオリンピックでは、大会総運営費が当初予算46億ユーロを遥かに超える70億ユーロ以上であったと見られています。また、2000年シドニーでは、大会後のオリンピック会場周辺のホテルの利用率は平均30%に過ぎないとの報告があります。


わずか2週間程度のスポーツ大会に対し、開催国は正に国の威信を掛けて臨んでいるわけですが、大会後に残される負担は想像に難くありません。そして、中国も上記例に漏れず、オリンピックに向けて大量の資金と人を投入していることから、これまでのいくつかの開催国同様、景気後退の道をたどるとの予測があります。


このような予測に対し、専門家の見解は「中国ではオリンピック開催後の景気後退はない」というものが大勢です。根拠としては、まず中国は大国であるということです。経済規模で見た場合、アテネオリンピックを例にすると、大会に係る総経費は160億米ドル、2004年ギリシャのGDPは1,850億米ドルですので、GDPの8.6%をオリンピック関連経費が占めていることになります。一方、北京オリンピックの大会関連経費はおよそアテネの2倍と予測されており、昨年中国のGDPは30,000億米ドルですから、大会関連経費はわずか1%を占めるに過ぎません。つまり、オリンピック関連の開発が中国GDPに与える影響は極めて低いものであると言えます。事実、1984年のロサンゼルス、1996年のアトランタ両大会開催後のアメリカ経済には、景気後退の現象が見られず、上記見解を裏付ける結果と見ることができます。


次に、中国では、オリンピック後も大きな国家プロジェクトが控えているということがあります。オリンピック以外に政府が掲げている大規模な国家プロジェクトとして、中国西部(内陸)地域の大開発、東北地方の振興、臨海新都市の建設などが主として挙げられますが、このほか、2010年に万国博覧会(上海)、2012年にアジアオリンピック(広州)という大きな世界イベントも控えています。そのため、オリンピック後も中国国内の開発は進めていなかければならず、つまり中国経済が停滞することはないというものです。


このほか、オリンピックの開催は中国の発展の途上に自然に現れたものだというような見方もあります。つまり、鉄道等のインフラ整備は以前から計画されているもので、オリンピックの開催とは無関係であり、要するにオリンピックの有無は中国国内の開発に何ら影響を与えないというものです。言い換えるならば、経済発展の延長線上にオリンピックが存在するのであり、オリンピックが経済発展をもたらすのではないと言うことです。これはかなり観念的な見解とも言えますが、なるほどと思える点があります。瀋陽市内では現在地下鉄を建設中でありますが、完成は2010年の予定でオリンピックのためのインフラ整備ではありません。また、現在建設中もしくは増改中のホテルの中にもオリンピック終了後に完成予定というものがいくつか存在します。また、上述した環境改善の取組みについても、オリンピックの有無に関わらず、行われるべき必然の動きと捉えることもできます。このような観点に立てば、オリンピックは中国経済を加速させるものでも後退させるものでもなくなります。


オリンピック閉幕後の経済状況については様々な見解が存在しますが、恐らくこれまで通りの成長を続けていくものと思われます。ただし、オリンピック以外の要因による景気後退の可能性は否定できません。


万里の長城に設置されている広告板


4.おわりに


2001年に北京オリンピックの開催が決定してから今日に至るまで、中国経済は急速な発展を続けており、特にこの5年間はその勢いが加速したと見ることが出来ます。GDPでは今年ドイツを抜いて世界第3位になることはほぼ確実で、2010年には日本を抜いて世界第2位になる可能性もあり、中国経済の前途は非常に明るいものであるように映ります。


ただし、景気に対する不安要素が全くゼロというわけではありません。例えば、アメリカのサブプライムローン(※3)に端を発する株価の下落、人民元の切り上げは中国の輸出産業に大きな打撃を与える可能性があります。また、今年の2月に中国南方地域を襲った大雪は、復興に向けて多額の予算措置を必要としました。さらには、世界中が注目する中国の大気汚染問題についても、改善に向けて多額の投資を必要としており、発展と共に背負うべき責任も大きくなってきていると言えます。このように国内外にいくつかの不安定要素を抱えている中国ですが、今後も世界の焦点として、その存在感を増していくことは間違いありません。


最後に、富山県と中国遼寧省は、友好県省を締結して来年は25周年という記念の年を迎えます。両県省はこれまで経済、科学技術、文化、スポーツ等、広範囲な分野で交流を続けてきました。今後、中国の経済規模が高まる中、交流を一層発展させていくための取組みをお互いがより積極的に進めていかなければなりません。

※3 アメリカで利用されているローンの一つで、信用力が低い低所得者向けのものをいう。

〔参考文献等〕
・ 財経文摘 財経文摘有限会社出版
・ 中国のしくみVersion2 中経出版
新華網
中国信息報
人民網
中国網
BRICs辞典
社会実情データ図録

とやま経済月報
平成20年5月号