特集

まちは人が創る!
協働で創るワクワクする空間からまちづくりへ

フォルツァ総曲輪倶楽部 代表 室伏昌子


1.県都「富山市」の中心市街地の状況


富山市の中心商店街の衰退は、ここ数年加速している感がある。週末の西武前歩行者通行量が、ピーク時の1/3になったところへ、西武閉店がさらにその衰退に拍車をかけたようだ。商店街関係の方と話をしていると、誰もが今年9月の新大和「総曲輪フェリオ」のオープンを、心待ちにしているのを感じる。

2006年の市町村合併により、富山市の行政サービスの範囲は広がったが、市は拡散した人の暮らしをもっと中心部に引き寄せ、さまざまなサービスを享受し、都市生活を満喫できるようなコンパクトなまちづくりに方向転換をしはじめた。その「コンパクトシティ構想」を実現するために打ち出された、

1 まちなか居住の推進
2 公共交通の利便性の向上
3 賑わい拠点の創出
この大きな3本柱が新しい富山市の中心市街地活性化策である。そして、「賑わい拠点の創出」事業の中のひとつが『フォルツァ総曲輪』の活動である。


2.市民が提案し、協働するまちづくり活動


私が所属していた、まちづくりを考える市民グループ『富山市市民のまちづくりの会』(現NPOまちなかライフスタイル研究会)は、フリーマーケットや観光朝市とも違う、富山のこだわりの食材や、上質な手作り品が並び、モノの売り買いだけではなく、人とモノ、人と人の出会いと交流のある「バザール=市」をやりたいと考えていた。どうせやるならカッコいい市にしたいと、市内に60ヵ所も毎日朝市が開催されているというパリに視察旅行にも行った。

このような「バザール=市」の開催について、さまざまなところで熱心に訴えていたところ、2002年3月、富山市中心市街地活性化室(当時)から、市民プラザ前の大手モールでやってみないかと打診があった。私たちはバザールの実現はまだまだ先のことと考えていたが、これはチャンスと捉え、「富山市や地域の人たちと一緒に『協働』でできるのであれば」ということで始める決心をした。同年10月のオープンに向け、地域の方たち、大手モール振興会の方たち、警察や保健所などへの対外的な交渉や事務処理をしてくれた株式会社まちづくりとやまの方たちなど、それまで全く関わることのなかった人たちが、ひとつのプロジェクトの立ち上げに協力し合った。当初、地域の方たちは、まちづくりの市民グループとは一体どんな人たちの集まりなのか、行政も市民グループもどこまで本気なのか・・・と半信半疑の面持ちだったが、会議を進めていくうちに、その迷いや疑問は少しずつ解消されていったようだ。

そして、2002年10月、大手モールで毎月第1、第4日曜日に「越中大手市場」を開催することとなった。5年たった今では、リピーターも確実に増えてきており、テナントの人(「越中大手市場」に出店する人)たちも、越中大手市場実行委員として運営に参加し、盛り上げようと協力してくれている。

越中大手市場

この越中大手市場は、当初3年間は富山市から助成があり、開催日には富山市の中心市街地活性化室の職員が常に参加し、共に汗を流していた。そのことが私たちや大手モール振興会、テナントと市の職員との間に良好な関係を作り上げたと思う。

これまで行政は、市民とはいつも「苦情ばかりを言う人」というイメージで捉え、市民側は、行政は市民の言うことは聞いてくれない「対立する相手」というイメージがあったと思う。しかし、目指す方向が同じであれば、一緒に進むことはできるはずだ。問題は、考え方、進め方の風土が違う両者が、どれだけ相手を信頼し、尊重し合いながら、共に働く関係を築くことができるかだと思う。その意味で、この越中大手市場で生まれた良好なコミュニケーションは、市民参加によるまちづくりとして、自然な形で協働事業を行う大きな原動力となった。



3.市民参加による「賑わい拠点の創出」プロジェクトの始動


フォルツァ総曲輪は、富山市総曲輪通りにある5階建ての商業ビル「総曲輪ウィズビル」の4階部分にあり、今年の2月にリニューアルオープンした。

総曲輪ウィズビルは、約4年前に現在の不動産会社が取得した。以来、5階建てのこのビルの1階は洋服、リサイクルショップ、飲食のテナント、2階、3階は、再開発関係の事務所がテナントとして入居していた。4階のシネマホール、5階の管理事務所は、そのまま放置されていたが、2005年の12月に、不動産会社が、4階、5階部分を富山市に寄贈した。富山市では寄贈されたホールを、もとの映画館としての設備を活かし、映画や、落語、音楽ライブ、芝居などの娯楽を提供できる多目的なホールにし、中心市街地活性化の施策のひとつ、賑わい創出の拠点とする構想がまとまった。

富山市は、市民ニーズを汲み取りながらこの施設を運営するためにも、市民が主体的に運営に参加してもらえないか、と考えていたようだ。これからの公共施設の運営には、市民参加は不可欠であるには違いない。とは言え、このような大きなプロジェクトに、一口に「市民参加」と言っても、市民が運営にどの程度の力を発揮できるものなのか、行政にとっても簡単に市民に任せられるものなのか、悩ましい問題であったろう。さまざまな試みをしてきた商店街の中で、これまでにない発想や新しい企画などが、本当に「市民参加」で生まれ、その活動を実際に継続していくことができるのだろうか。それは、富山市にとっても市民にとっても新たな挑戦になった。

まず手始めに、核となる映画館作りに、映画好きの市民や市の職員を交えて、市民のニーズに応え、愛される映画館の姿を模索し始めた。

私自身が映画好きであったことの他に、このプロジェクトに関心を持ったもうひとつの大きな理由は、この施設が、映画好きだけではなく、楽しいイベントを企画したい人、街で何かをしたいと思っている人、まちづくりNPOや市民活動団体が集まることで、市民が集い、交流しながら、それぞれの夢や思いを表現できる、市民のまちづくりセンター的な場所になる可能性があると直感したからだ。これからの商店街には、モノの売り買いとは違う価値を創造していくことが必要なのではないか、つまりフォルツァ総曲輪が、富山の「まちづくり」のための「人づくり」の拠点になればいいのではないか。そんな大きな可能性を感じさせた。そうなれば市民にとって大事な、人が集まる「街なかの賑わいの拠点」となり、この拠点がある中心商店街は市民にとって「必要な商店街」になるだろう。

それまで、約10年間ボランティアとして市民活動に参加してきたが、環境問題や教育、福祉、国際協力といった活動も、毎日の暮らしの中で、自分のまちで、身近な人々の意識を変え、まちを変えていくことが第一歩になるはず。それぞれの活動のエネルギーこそが、まちのエネルギーとなり、そのエネルギーがまちを形作っていく。つまりそのような活動はすべて、まちづくりにつながっていくと実感している。市民が参加するまちづくりの拠点を創ること。その将来に向けてのビジョンが生まれたことで、胸がワクワクするような思いがした一方、実際にはかなり困難で無謀な挑戦であることも承知していた。



4.「コミュニティシネマ」との出会いから試行上映


残念ながら、どこの地方都市も街なかの映画館は衰退の一歩をたどっている。富山も例外ではない。無料駐車場のある、郊外型のショッピングセンターに併設されたシネマコンプレックスが出現し、そこでは、メジャーの超大作が上映され、一方では街なかの映画館は次々と撤退し、多様な映画を観る機会がなくなっている。

このような状況での、街なかに再生する映画館作りの勉強をしてきた私たちは、多様な映画文化を取り戻すため、地域や学校などを巻き込んで、官民が協力して映画の上映機会を作っていく「コミュニティシネマ」という考え方に出会った。

さっそく賛同者を募り「富山コミュニティシネマ実行委員会」を立ち上げた。2006年の4月には、東京のコミュニティシネマ支援センター事務局長の岩崎裕子さんをお招きして実行委員会の発足会を開催した。

オープン前のスタッフの打合せ風景

約20人集まったメンバーは、市民が参加する映画館作りに関心をもち、面白いと思ってくれた会社員、新聞記者、大学生という人たちだ。映画館運営に一番重要な映写担当も、このメンバーのネットワークの中から見つけ出すことができた。7月から9月までの3ヶ月間、試行上映を実施することとなった。私自身は、本格運営まで関わる決心をし、これを機会に34年間勤務した銀行を退職した。私をはじめとする有志3人の専従スタッフと、10名以上の実行委員会メンバーがほぼボランティアとして参加し、全部で15本の映画を上映した。

試行上映中、毎週1回の実行委員会にもほぼ毎回参加し、コアに動いてくれるメンバーが、HP作りや活動の写真のHPへのアップ、他のコミュニティシネマの情報収集やHPのリンクなど、得意分野を活かした協力をしてくれた。

上映作品の選定、時間帯、金額の設定、フィルムを手配するための配給会社との交渉など、映画館の日々の仕事を実際に体験しながら、映画館運営の基礎を学んでいった。特に、配給会社との交渉では、配給会社と映画館の力関係など、独特の商習慣にかなり戸惑った。

試行上映中は、映画だけではなく、映画に絡んだトークイベントも企画した。火曜日が休みの総曲輪通商店街の方のために、火曜日に試写を兼ねた上映会も開催した。最後に上映した「かもめ食堂」では、映画に登場する北欧雑貨を扱うお店にお願いして、映画チケット半券での割引サービスの実施、北欧雑貨の展示を行った。また、総曲輪通りの書店には、原作本の販売を依頼した。映画に出てきたシナモンロールやおにぎりなどの食べ物の販売、映画の舞台であるフィンランドからの留学生を招いてのトークイベントなどなど、考えつく限りの企画を実施し、この企画を紹介するパンフレットを富山大学の学生に作ってもらい配布した。これらの企画が功を奏したのか、上映6日間の入場者は、それまでの入場者数合計と同じくらいの盛況な入りとなった。



5.「フォルツァ総曲輪」本格オープンへ


試行上映を終え、本格オープンまで、改装工事、オープンイベントの企画立案などをするにあたり、新たに音楽プロデューサーのK氏とパフォーマンスのプロデューサーM氏に参加してもらった。彼らも、実行委員会のネットワークの中から発掘された人たちだ。彼らには設計段階でも参加してもらったが、出来上がった施設が「使える施設」になるには、面倒で時間はかかっても必要なことだとこだわった。なぜなら、多くの公共施設が、設計上の問題、設備の使い方、料金設定など、実際に使いたくても「使いにくい施設」になっていることが多いからだ。

その後、新しい名称も「フォルツァ総曲輪」と決まり、ロゴマークや、オープニングイベントの企画も決まってきた。2週にわたるオープニングイベントでは、1週目はミュージカルのクラシック作品2本の上映、2週目は、映画とライブ、映画とトークすべてを絡めたイベントを企画した。クロスランドおやべの館長であり、TV番組「開運!なんでも鑑定団」の映画小道具鑑定士の岩堀氏のコレクションの展示やトークなど、「フォルツァ総曲輪」という施設を、存分に活かした多彩な企画となった。

オープニングとトーク写真

フォルツァ総曲輪のシネマ部門のコンセプトは、単館系の映画を中心に、クラシック作品の上映や話題の映画の再映など、シネコンとは、質的な差別化を図る戦略だ。ライブホールは基本的にはアコースティックライブを中心にしたプロやアマチュアの音楽ライブの他、本格的な芝居は難しいが、寄席やお笑いのライブ、講演会、セミナーはもちろん、ダンスの練習など多様な使い方を提案できるホールだ。多目的だが、無目的なホールにならないようにすること、それが大きなテーマとなった。

オープニング以後、映画のスケジュールは、素人なりに、アンケート、リクエスト、東京での上映状況を参考にしながら決めていった。

オープンして4ヶ月、映画の来場者は伸び悩んでいるが、今後はよりタイムリーな上映と、単館系、メジャーにとらわれない番組を組んでいくことで、間口の広い映画館のイメージをアピールしていきたい。その他、商店街を巻き込んだ関連企画や、映画監督、出演者などを迎えたトーク、サポータークラブが中心に企画するテーマ特集、映画祭など、他の映画館にはない魅力的なイベントを打ち出していく必要がある。また、会員制を推進し、定期的なクラシック作品の上映による、シニア層の掘り起こしなど、地道にシンパを増やしリピーターになってもらうことが最大の戦略と考えている。

今後もサポーターを中心に、もっといろんな人が関わり、参加できる仕組みを作っていくことが、私たちの大きな役割だと思う。富山の今の時代の文化を創るのは、行政でも商店街でもなく、そこに集まる人たちである。

現在、フォルツァ総曲輪の運営は、株式会社まちづくりとやまが富山市より委託されている。私たち専従スタッフのフォルツァ総曲輪倶楽部は、有償ボランティアとして日常の運営やイベントなどの企画立案などを行っており、株式会社まちづくりとやまとは、企画や広報などの役割を分担し、議論を重ねながら協働で運営を担っている。



6.まちづくりは人づくり


フォルツァ総曲輪は、富山市の「賑わい拠点の創出」事業として、入場者数などの数値目標が明示されている。富山市としては、助成金事業である以上、その目標をクリアすることが命題になってくる。私たちが、真のプロとして運営するにはある程度時間がかかるだろうし、それは、なかなか結果の出ない、まどろっこしい動きに見えるかもしれない。一方で、私たち自身も、事業として関わっている以上は、実務能力、経営センスを持たないと、長期的な事業の継続は難しい。将来的に自立した活動を目指すためにも、現在は個人が任意で活動している団体だが、できるだけ早いうちに、専門家集団としてNPOなど法人化し、組織として自立した活動ができるようにしていきたいと考えている。

行政が、短期的な数値目標の達成をひとつの課題にしているとすれば、私たちの目的は、数字には表れない部分、「想像力」と「創造力」が生まれる場所をつくること。そこに集まる人たちがコミュニケーションし、互いの夢を共有できること。そのために私たちスタッフがしっかりとサポートできること。さらに、もっと地域の力や人のネットワークを生かした企画を実施することで、地域にある宝を掘り起こしていくことである。それは紛れもなく、まちや人への関心につながり、まちづくりを考える市民を生み出していくことになると思う。

商店街はもはや「イベント」では活性しない。新しい価値観や考え方を持った人たちが、可能性を求めて活き活きと活動して、はじめて「活性」してくるのではないか。まちは「人が創る」もの。その人を育てるには、やはり時間と努力、忍耐が必要だ。

始まったばかりの、本格的な市民と行政の協働によるまちづくり。この二人三脚も、互いの足の速さや、力や、呼吸をそろえていかないと、たちまち倒れてしまう。倒れても、もう一度挑戦していくには、粘り強く互いを信頼していくしかない。その信頼に応えるには、日々の活動を精一杯誠実に実践していくことだと思っている。

行政がクリアすべき目標の先にあるものは、私たちが描くまちの姿と同じはず。そのことを常に確認しあいながら、100年後の富山を描けるまちづくりをしていきたいと思う。



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とやま経済月報
平成19年8月号