特集

コンプライアンス経営の構築と経営者の責任

富山大学経済学部教授 水谷内 徹也


「ヘッドレス・チキン症候群」の脱却と企業不祥事の多発

 近時の企業行動は、いわゆる「ヘッドレス・チキン症候群」と呼ばれる症状に陥っている。ここで言う「ヘッドレス・チキン症候群」とは、「頭がなくてどちらに行ったらよいかわからない迷走する鶏」を揶揄(やゆ)したものであり、「走り回る体力はあるが、走る方向を指示する頭脳がないため、明確な目的を持ったり、それに向かって着実に近づいたりということが期待できない状態」を示唆したものである。ことに、近年のわが国企業は明確な理念や倫理的価値をはじめ、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス(法令遵守)などの構想が欠落し、まさに「ヘッドレス・チキン症候群」に瀕している。
 こうした「ヘッドレス・チキン症状」下での企業行動から表出した影の部分は、近時多発している企業の反社会的・非倫理的行動、すなわち企業不祥事の多発である。とくに、わが国の企業不祥事には、内部告発の急増や組織内の暗黙の了解、責任の所在の曖昧(あいまい)さなど、といった構造的要因がその特徴として指摘される。同時に、それは企業ならびに経営者による企業理念の創造や倫理的価値の欠如に起因するものでもある。この意味で、わが国企業は、こうした不祥事を回避し根絶しなければならない。そのための解決すべき課題は、上述の「ヘッドレス・チキン症候群」からの脱却であり、とりわけ理念や倫理的価値を基底にすえたコンプライアンス経営体制を構築するとともに、企業経営者自らに課せられた責任を達成することである。


コンプライアンス経営の意義と要件

 コンプライアンス(compliance)とは、言うまでもなく、「法令遵守」、すなわち「企業が法令を遵守し、違法行為を行わない」との意味をもつ用語である。元来、その意味は「願望・要請・追従」を表し、その語源はラテン語の「完全」(complete)という言葉に由来する。しかし、こうした意味をもつコンプライアンスという概念は、今日では単に法令遵守にのみ限定されるものではなく、社会的存在としての企業が当該社会の倫理や価値観と合致した行動を図ることを内包する、企業倫理や企業インテグリティ(企業高潔性)を包括した言葉として使用される。したがって、コンプライアンス経営は、法令遵守を基底にすえた企業倫理の確立と実践をめざす経営、すなわち「倫理法令遵守(ethical-legal compliance)(=倫理コンプライアンス)の経営」、ないしは「価値観主導(values-driven)(=インテグリティ志向)の経営」と言うことができる。
 こうした「倫理法令遵守・価値観主導の経営」体制の構築は、いわゆる「企業倫理プログラム(corporate ethical-compliance program)」の策定と実践での基本要件でもある。かかる「企業倫理プログラム」の基本要件は、概ね次の7点に集約される。すなわち、(1)企業倫理行動基準、倫理綱領、行動規範・指針の制定・遵守、(2)倫理教育・トレーニング体系の設定・実施、(3)倫理関係事項に関する相談への即時対応態勢の整備、(4)問題告発の内部受容と解決保証のための制度の整備、(5)倫理担当常設機関の設置とそれによる調査・研究、立案・実施、点検・評価の遂行、(6)企業倫理担当専任役員の選任とそれによる関連業務の統括ならびに対外協力の推進、(7)その他、各種有効手段の活用(倫理監査、外部規格機関による認証の取得、など)、の7点である。こうした「倫理プログラム」の効果的な策定とその実践を通して、企業自体の非倫理的行動回避の可能性が増進されることになる。


日本企業のコンプライアンス経営の実際

 日本企業のこうした「倫理プログラム」に対する取り組みについての実際は、日本経団連が近年実施した調査結果がその一端を示している(対象企業数、1,260社、回答企業数、613社、回答率48.7%)注)。それによれば、まず企業行動指針の策定については、策定済みとの回答企業は79.1%(485社)を占め、策定予定の企業の18.1%(107社)を含めると、全体の9割を超える企業が行動指針を策定している【図表―1】。また、企業倫理についての全社的な取り組み体制の状況は、企業倫理担当役員を任命している企業は53.0%(325社)であり、任命の予定企業が17.0%(104社)を占めている【図表―2】。企業倫理担当専門部署を設置しているとの回答企業は24.3%(149社)、他の部署が兼務しているとの回答は56.3%(345社)と、8割を超える企業が倫理担当専門部署を設置済みか設置の予定としている【図表―3】。企業倫理委員会を設置している企業は、50.4%(309社)を占め、設置の予定企業は17.3%(106社)である【図表―4】。さらに、企業倫理ヘルプライン(内部通報や相談窓口)の設置済みの企業は51.2%(314社)であり、設置予定の企業が31.0%(190社)である【図表―5】。最後に、企業倫理に関する社員への教育・研修については、新入社員研修の一貫として実施の企業が71.8%(440社)、年次研修・管理職研修時に実施の企業は65.4%(401社)、という結果である【図表―6】


【図表―1】「企業行動指針の策定状況について」
【図表―1】「企業行動指針の策定状況について」



【図表―2】「全社的な取り組み体制について:企業倫理担当者の任命」
【図表―2】「全社的な取り組み体制について:企業倫理担当者の任命」



【図表―3】「全社的な取り組み体制について:担当部署の設置」
【図表―3】「全社的な取り組み体制について:担当部署の設置」



【図表―4】「全社的な取り組み体制について:企業倫理委員会の設置」
【図表―4】「全社的な取り組み体制について:企業倫理委員会の設置」



【図表―5】「相談窓口の整備について」
【図表―5】「相談窓口の整備について」
【図表―5】「相談窓口の整備について」



【図表―6】「教育・研修について:研修会等の実施」
【図表―6】「教育・研修について:研修会等の実施」


 このように、日本企業での「倫理法令遵守・価値観主導の経営」構築の実際は、概ね着実に推進されつつあるものの、経営者とその組織メンバーの倫理問題への認識とコミットメントの一層の高揚や、非倫理的行動についての報告の増進とその行為自体の減少、などといった企業倫理実践の有効性を念頭におきながら、積極的かつ主体的に取り組むことが肝要になる。同時に、かかる「倫理法令遵守・価値観主導の経営」の積極化のためには、違法行為自体を容認・放置する企業が不利益を蒙り、これに対して主体的に取り組む企業の優遇を図るシステムの構築が切望されるところである。


「インテグリティ志向の経営」の構築

 コンプライアンス経営とは、冒頭でも触れたように、法令遵守を基底にすえた企業倫理の確立と実践をめざす経営、すなわち「倫理法令遵守・価値観主導の経営」と規定される。とくに、「価値観主導の経営」はコンプライアンス経営の究極目的であり、その中核コンセプトは「インテグリティ(integrity)志向の経営」である。ここで言う「インテグリティ志向の経営」とは、企業が正直さや公平さ、倫理的自己規制、道徳的健全性、原則の堅持、目的の堅持など、といった倫理的価値を認識し推進を図る経営を意味している。ことに、インテグリティは、本来的には個人の態度に関するパーソナルな局面に関わる問題ではあるが、企業行動をめぐる現状からすれば、それ以上に企業や組織的な次元からこれを捉えることが重要になる。と言うのは、企業インテグリティは、「倫理的自己規制についての企業能力や資源」として理解されるからである。
 この意味で、企業経営の推進に際して切望されることは、こうした倫理的自己規制を基底にすえた「インテグリティ志向の経営」システムを構築することであり、同時にそれは「倫理的自己規制システム」を確立することでもある。


「インテグリティ志向の経営」の中核要因:理念・行動基準・戦略

 倫理的自己規制システム構築のための中核的な範疇としては、主に次の4点があげられる。すなわち、(1)インテグリティ志向型経営理念の創造、(2)「企業倫理行動基準」の制定と共有化、(3)企業インテグリティ戦略の策定と実践、(4)倫理的経営者の役割と責任、の4点である。


インテグリティ志向型経営理念の創造と企業倫理行動基準

 まず、インテグリティ志向型経営理念については、その典型例は、J. C.コリンズ=J. I.ポッラス(J, C. Collins & J. I. Porras)が提唱した「ビジョナリー・カンパニー論」に見いだされる。そこでは、ビジョナリー・カンパニーの本質を、中核理念を維持し進歩を鼓舞していることに注目し、その共通特性の1つにインテグリティが抽出されている。また、米国の代表的企業80社での企業倫理ステイトメント(宣言書・声明書)の特性分析を試みたP.E.マーフィー(P.E. Murphy)の調査結果によれば、このうちの26社がインテグリティを自社の倫理的理念に掲げている。この点についての具体的な例としては、「インテグリティと倫理的なビジネスを図る」(ボーイング社)や「基本的な正直さとインテグリティ」(フォード社)、「ビジネスのあらゆる局面で、正直さ、インテグリティ、および倫理を堅持する」、などがあげられる。企業ならびに経営者は、こうしたインテグリティ志向型理念を創造し、これを組織内にビルトインし理念の具体化と制度化を図らねばならない。この理念を具体化する変換プログラムが企業倫理行動基準である。倫理行動基準に不可欠な要件は、理念の積極面(〜したい)だけではなく消極面(〜はしない)を明示すること、および可能な限りの到達の希求水準(自社が望む目標に対する到達レベル)とその評価についての基準を提示すること、の2点が重要になる。


企業インテグリティ戦略の策定と実践

 また、企業インテグリティ戦略(integrity-oriented strategy)については、その特性は倫理基準や経営理念に依拠した自己規制に焦点があてられるとともに、 経営目的のみならず組織の理念や責任を含む組織の存在意義の概念に注目するところにある。ことに、かかる戦略を志向する企業は、悪い行動(非倫理的行動=企業不祥事)を防止することに重点を置くことよりも、むしろ自らの責任ある行動を促すことに重点を置いていることであり、また企業の中核的なマネジメントシステムとしてのリーダーシップや意思決定プロセスなどに倫理基準を注入し維持していることである。また、この戦略は倫理を法的部門の問題とみなすのではなく、経営者の果たすべき役割であると認識するものでもある。


「インテグリティ志向の経営」と経営者の責任

 「自らの行動や意思決定は、組織自体に関わりをもつすべてのステイクホルダー(利害関係者)にとって公平であるか」(A. B. Carroll, Business & Society (Third Edition), 1996, p. 123)という行動原理に基づいて事業展開を図っている経営者を、ここでは「倫理的経営者(ethical manager)」を呼ぶとすれば、こうした「倫理的経営者」の行動原理は、経営者が達成すべき役割や責任を考える際に、次の3点で有益であると思われる。第1は、物事に対する「公平さ」という倫理的価値を重視していることである。この点は、正直さや倫理的自己規制などいった倫理的価値を内包する、先述の「インテグリティ志向の経営」と密接な関連性をもつものである。第2は、企業ないし組織内部に対する倫理的配慮の重要性であり、これは企業の倫理的価値や関心と日常の管理レベルのそれとを結合させ、倫理を企業ないし組織内部にビルトインすることを意味する「企業倫理の制度化」の必要性を強調するものである。そして第3は、企業ないし組織外部、とりわけそれを取り巻く諸種のステイクホルダーへの倫理的配慮の重要性を示唆するものであり、この点はとくにステイクホルダーの要求や期待に対して、如何に倫理的価値を基底にすえて予測し、即応・感応するかといったコンセプトとしての「企業倫理の社会感応化」の重要性を示している。
 この意味で、企業経営者に切望されることは、「インテグリティ志向の経営」の重視:理念・ビジョンの創造、倫理的感受性を伴う経営者リーダーシップの発揮など、であり、「企業倫理の制度化」の推進:企業倫理行動基準の制定、企業インテグリティ戦略の策定と実行、倫理的企業文化の創造、倫理監査・評価の実施など、「企業倫理の社会感応化」の遂行:経営トップによる倫理的配慮を伴うステイクホルダーの要求と期待への即応・感応、といった3点を同時・調和的に達成することである。とくにここでは、先の「企業倫理の社会感応化」の遂行と密接に関連をもつ、諸種のステイクホルダーの尊厳を認識し、同時にそれらとの良好な相互信頼関係を確立することこそが、経営者に課せられた責務であると考えられる。


〔付記〕本稿での引用ならびに参考文献は、紙幅の関係上割愛させていただいた。なお、この点については、次の論稿を参照されたい。水谷内徹也(2005)「コンプライアンス経営の構築と経営者の責任:インテグリティ志向の経営行動」(経営行動研究学会『2005年経営行動研究年報』第14号、2005年10月発行予定)。また、本文中の図表については、下記の注)に示すとおり、(社)日本経済団体連合会の承諾のうえ転載させていただいた。

注)出所:社団法人 日本経済団体連合会 『「企業倫理・企業行動に関するアンケート」担当者向けアンケート集計結果(中間取りまとめ)』2003年4月22日(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2003/034.pdf

とやま経済月報
平成17年7月号