特集

都市間文化競争に備える

早稲田大学建築学科教授 尾島俊雄


1.都市人口の増大

 工業が起こる以前の農業時代には、地表面に人々が分散配置されることが効率のよい生産方法であった。日本列島においては、農業による生産力では3,000万人程度しか生存できない。しかし今日、日本列島の人口は1億3,000万人で、その多くは工業や商業従事人口である。
 人口増に伴う食料危機が話題になるが、農業専門家によれば、寒冷地で化石エネルギーを使用した食料生産をしなくとも、また過剰に化学肥料を投下しなくとも、現在でも耕作可能な土地を有効に活用すれば、生産可能な食料は100億人分は充分と推定されている。問題は、その運搬や貯蔵など、生産と消費の時間・空間の流通分配を完全に均等化し、平等化し得ないことで、流通・分配・貯蔵のために、化石エネルギーの大部分が今日、都市とその近郊の工場地帯で消費されている。
 すでに農山村では生産と消費のバランスが崩れ、そこから追い出された人々が都市に吸い込まれている。人々は、農業よりも生産性の高い工業に従事することを望み、その結果、ますます都市への人口集中が起こる。少なくとも、都市における生活基盤の背景が、地球資源のバイオバランスに基づいているのではなく、過去の資源を消費することにある。しかも、今後予想される地球人口は、21世紀には100億人を越え、そのほとんどが化石エネルギーに頼らざるを得なくなる。そのために人々は、ますます消費効率の高い都市に集住することを強いられる。中国でも地方に工場を移転させる形での分散化政策がとられている。その結果、かえって公害が発生し、地球環境の負荷を増大させることになり、分散化の行き詰まりがみられている。
 日本における各都市の一人当たりのエネルギー消費量と大気汚染量など、地球環境負荷への大きさは、巨大都市ほど一人当たりの環境負荷が少ない。巨大都市の生活様式は、巨大性のデメリットを居住者に押しつけるという意味では人間生活に厳しいが、逆に地球環境には優しい生活様式となっている。実際、巨大都市にあっては、人々は集合住宅に住まい、満員の大衆交通機関を利用せざるを得ない日常生活を強いられている。そのため、マスレベルで見たときには利便性や効率性が高まり、結果として大都市ほど環境負荷の減少につながっている。こうしたことからも、アジアの成長都市にあっては、高層住宅化と高過密化などのスケールメリットを追求した都市形成が進んでおり、それが、競争社会に打ち勝つためのやむを得ない国策となっている。

図1 世界の人口の増大とCO2の増加状況
図1 世界の人口の増大とCO2の増加状況


2.都市の多様化

 新幹線や国際空港などのインフラストラクチャーを持つか持たないかで都市が盛衰し、企業の栄枯もそれに追随する。わが国の場合、かつての造船・鉄鋼・自動車といった重厚長大産業中心の第三世代都市は、電子工業などの軽薄短小製品を世界中に販売する第四世代都市の前に影が薄くなりつつある。
 第四次全国総合開発計画における国土軸は、新幹線や高速道路網を中心とした日本列島の一体化であったが、すでにその結接点は都市づくりの面で求心力を失っている。むしろ地方における自立都市の方が、小さいながらも何らかの面で世界の市場を引きつける力をもっている。
 規模が大きくても企業が成長する力を失った都市は急速に衰退する。今日、特に、造船や鉄鋼などの工場立地によって急成長した都市がその担い手を失うことによって衰退し始めた。第三世代の新しい世界企業の本拠地として栄えた都市、たとえば日立・福山・釜石・室蘭・北九州等々で主力工場が閉鎖される時、その勤労者住宅や職場関連の盛り場や商店はすべて閉鎖され、町は鉱山都市と同じ運命を辿る。
 第五世代の日本の都市では、札幌・仙台・広島・福岡等の中枢都市は情報管理都市として活路を見出すであろうが、3〜5万人ほどの中小都市では、かつての過疎村と同様に生き残れないところが出てくる。東京とのパイプを太くすることが豊かさに直結すると考えてきたインフラストラクチャーも、その維持管理面を考えればマイナスの社会資本になりかねない。その見直しから始め、新しい市場検討と、その可能性を求めた場の再構築が必要になる。たとえば、欧米指向のマーケットからアジアやオーストラリアの市場を考えた新しい経済圏や生活圏の確立である。
 第6〜7世代の地球市民と地球環境時代のコミュニティや都市が分散を余儀なくされるとすれば、そのネットワークもまた、多様多次元化されるであろう。


3.二極化する都市像

 わが国の21世紀都市のパラダイムは、二極に分かれる。一極は地球都市としての都市像であり、一極は日本の自然環境と共生した田園都市像である。前者は、リサイクル型のインフラストラクチャーに支えられた高層建築群によるコンパクト型の都市像である。これは、一人当たりの地球環境負荷を最小限にした高効率の都市システムを用いることによって、経済的競争力をもたせた現状の都市の大都市の生き残り方である。アメリカ型至上主義がベースにある。しかし、これまでのような車のために道路幅を拡幅し、その相当分は周辺民地の減歩と容積増を認める区画整理的都市計画ではなくて、水辺や緑、歴史的な町並みや社寺仏閣のためにその周辺を減歩させる。水の道や風の道、緑や太陽の道を考慮して、自然の営みが肌で感じられるようなオープンスペースを、今日の都市の骨格に入れ込んでいくことが、何よりも重視されなければならない。そのためには、都市空間をこれまでの広域行政的な発想から、それぞれの生活圏レベルにおける行政区画に細分化し、その核となる中心部を高容積化し、その周辺の地表を開放することによって、極力クラスター化をはかるのである。巨大な都市を一体化しているインフラストラクチャーは必要不可欠な部分のみを残し、分節化された生活圏がそれぞれ自立する形で新しいインフラストラクチャーを導入する。首都圏を例にとると、3,300万人が一体となった巨大な都市構造を、人口3〜10万人の単位で数百に分節化した小さな独立した都市構造に変えるのである。首都圏には数百の生活圏が生まれ、それぞれの生活圏の中で極力自立した日常生活空間を成立させる。それぞれの生活圏と生活圏の間には自然の水や緑の空間を生み出す。このような巨大都市の形態がアジアのこれからの発展途上都市の典型的モデルとなると考えられる。
 その一方で、見捨てられつつある過疎地や地方の小都市に自然環境共生型の住居をつくり、それぞれの住居には高度なテクノロジーを使用し、太陽発電や雨水利用などの自立型の田園都市をつくる。そのインフラストラクチャーは、日本の環境容量にバランスしたものにすることによって、アジアの都市は古来の生活様式や建築様式をもとり入れた環境共生型で、ハイテク型の都市となる。このモデルは、ヨーロッパの反市場主義のモデルとなろう。日常はコンパクト型の巨大都市に住む老人や子供たちにとって、本当の自然や伝統的生活の体験場として、また都市生活者のリハビリの場としても後者の都市像が必要となる。
 この両極の中間に今日の都市像が存在していると考えれば、これから求めるところのソフト面やハード面がわかりやすくなる。都市は都市らしく、田舎は田舎らしくつくり、その両方に生活拠点をもつことによって、世界の文化や文明を理解する日本人の生活基盤をつくるのである。「職寝分離」や「老若男女」や都会と田舎の住み分けではなく、また都市の大小を問わず、それぞれの地域に適した形での生活様式や建築様式を創り上げることが21世紀の日本の都市像を創り上げることになろう。

図2.二極化した都市のイメージ

A.地方:街なか再生と都市景観の創造(工場都市から文化都市へ)
A.地方:街なか再生と都市景観の創造(工場都市から文化都市へ)

B.環境:地球環境への寄与(日本のゼロエミッション化プロジェクト)
B.環境:地球環境への寄与(日本のゼロエミッション化プロジェクト)


4.「この都市のまほろば」を求めて

 町村合併や道州制、中央集権から地方分権へと21世紀の日本の都市は確実に国民国家から生活者主体の市民文化の時代になろう。しかし、そのシナリオがそれぞれの地方都市に見えていないのが問題である。知財立国・観光立国はナンバーワンからオンリーワンの必要性を求めているものの、文明と異なり文化の競争は分かり難い。多様な価値と新しいライフスタイルの定着はこれからであって、今はわかっていないのが現状であろう。
 都市間文化比較をするに当たり、東洋経済の都市データパックに見る住みよさランキングとは異なる文化的表現として、中央公論に「この都市のまほろば」を連載することになった。趣旨は深田久弥が「日本百名山」を書くに当たって1,500m以上の高さで品格、歴史、個性、演技、風物の魅力を文章化したことを参考に、日本の100都市を書くことにした。100万人の求心力をもつ都市を選べば、21世紀中には日本人の都市を書けるはず。
 「まほろば」とは「ほんとうの本物」という意味とすれば、そんな都市をつくるためには、現状から消えるもの、残すもの、そして創ることが不可欠と考えた。かくして、2003年4月号から2004年12月号まで21回の連載を終えた。
 その都市から「消えるもの」、変化するダイナミズムあっての生きた都市である。人と食の生活文明がそれに相当する「ケ」の場の姿で、消えて欲しいもの、消したいものもあるが、一方では、だからこそ残しておきたいものになる。「残すもの」は歴史であり、地の利であり、自然の風土であろう。100年を越えて千年も万年先も残すべきものの中に、人間が築いた生活文化がある。そんな素晴らしい文化も、最初は創造という挑戦から始まる。伝統は創られ続けることによって維持されるといわれるように、この都市には「創ること」があってはじめて継続する。生まれ変わることなくして「この都市のまほろば」は存続し得ない。日本の19都市と上海、ソウルを連載して、多くの方々からたくさんの情報を得ることができた。外部評価の時代、見られ、評価されることによって、都市も磨かれ輝くはずである。


5.富山の「まほろば」を求めて

(1)消えるもの
 立山は三霊山(加賀の白山、駿河の富士山)として全国の立山信仰を勧める一方、死者に着せる「経帷子(きょうかたびら)」を病気除けの御札と一緒に配置した。その際、前年に使った分の代金をもらう「先用後利」の慣わしがあった。富山藩二代正甫(まさとし)が岡山の医師・万代常閑(まんだいじょうかん)から名薬「反魂丹」の製法を教わり、これを越中売薬として全国の家庭に配置。「先用後利」の商法として売り歩くことによって藩財政を支えた。今日も富山の配置薬生産額は全国の54%を占める売薬王国で、その一軒として池田屋「反魂丹」の店は今も西町に当時の雰囲気を残して営業しているが、佐伯宗義という男が1943年に、県下の越中鉄道や立山鉄道、黒部鉄道等の各私鉄に加えて、県や富山市営軌道を一体統合し、「富山地方鉄道」を設立した。これを国鉄とネットワークさせることが産業発展の源となることを説き、山間僻地に住む人々に対しても、都市生活者同様の利便性を実現してみせた。
 チューリップ畑や礪波平野の散居村の美しさは格別である。上流には世界芸術祭の拠点となった利賀村の野外劇場や秘境と呼ばれた平村、五箇山の相倉(あいのくら)・菅沼合掌集落は、「日本を代表する風景」として、また「民謡の宝庫」として、1995年世界遺産に登録された。
 高岡から能越自動車道を経て、開通したばかりの東海北陸自動車道を使えば20分で五箇山インター、さらに5分で白川郷インターに至るため、白川郷の世界遺産集落共々に平家の落武者の築いた静かな秘境のイメージは薄らいだことが心配である。

(2)残すもの
 富山は山海の自然資本に恵まれたが故に、江戸時代は本藩である加賀藩の、明治維新以後は国家のために大きな役割を担ってきた。電源開発、港湾、工場コンビナート等は県民生活のためより、むしろ中央集権に寄与するためでしかなかった。したがって、以降はこれまで用立てた分を回収する具体的プログラムを考えるべきである。富山の峻厳な自然が育んだ逸材に、地元へ戻って活躍してもらうことこそが、人材に後利を得る最良の選択と思われる。そのための環境づくりを考えねばならない。そして「越の国」のサスティナブルシティ(持続可能な都市)を目指して、地域の独立を描いた先達の高い志を実現させたいものである。
 大伴家持は、奈良の都から越中の国守として赴任、立山連峰の雄大な自然と当地の人情に感動し、5年間の在任中、220余首もの歌を詠んだ。富山を故郷とする人々の原風景も、この海岸線から直立した3,000m級の立山・剱岳の峨々嶺と、それに包まれた天然の円形劇場の如き閑かな扇状平野である。
 高岡万葉まつりは古城公園の閑かな扇状平野で、連続3昼夜に渡り2,200人を越える人たちのリレー方式で万葉集全20巻4,516首を朗唱する。
 前田利常は高岡の開祖となった利長の墓所を1645年に、菩提寺となる瑞龍寺(国宝)を1663年に建設。寺と墓所を東西に結ぶ870mの八丁道に並ぶ石灯籠や松並木の石畳を歩くと、今も高岡市民が開祖を敬愛している気持ちが伝わってくる。利長が命じて発展させた高岡鋳物発祥地の金屋町の町並みや商都高岡の土蔵造りの町並みもまた万葉のふる里にふさわしい。

(3)創ること
 富山は持ち家率79.3%、戸当たり延べ床面積146m2と全国一で、持ち家率は最下位の東京に比べて1.8倍である。
 富山・高岡の間にできた巨大な富山新港、富岩運河の環水公園、富山医科薬科大学、県立の大学や中央植物園や水墨美術館、市立の民族民芸村やファミリーパーク等々への交通網が完備。北陸新幹線のフル規格乗り入れや、北陸自動車道に加えて東海・北陸自動車道も完成。環日本海時代の富山・高岡は新潟・金沢と共にロシア、中国、韓国等の対岸貿易の拠点として、その発展が期待される。
 中沖豊前知事が作成、配布している逆転の日本海地図を眺めるだけで、表日本と裏日本の逆転像、環日本海時代が見えてくる。そして気がつけば、道路整備率、空港、海港、水力発電、持ち家率等々、人口あたりに換算すれば、実に豊かである。それを確実な姿で示すためにも、環日本海文化交流と北東アジアの経済交流の拠点づくりをめざした「日本海ミュージアム」構想である。
 1951年の電気事業再編成にあわせて、全国に先駆けて富山県の総合開発計画が策定され、これには立山の観光開発計画が組み込まれていたのである。しかしながら、関西電力が建設した「扇沢・黒部ダム間のトロリーバス」は今も関西電力の支配下に置かれたままであり、「欅平・黒部ダム間の砂防工事専用軌道(トロッコ)」はハガキ応募による参加者限定見学会を行うに止まっている。佐伯の後継者である金山秀治氏によれば、「立山・黒部アルペンルート」の観光客は近年では毎年100万人を超え、今や富山県全人口に匹敵するほどになっている。国際化の進展の中で、外国人観光客も年々増加している現況から、アルプスに劣らない観光資源を本格的に生かすには、三ルート(トロリーバス・トロッコ・アルペンルート)のネットワーク化と観光インフラ化以外にはない。
 将来の新幹線の開通による影響としては、富山空港の国内線の維持が困難となることも予想される。JR在来線の北陸本線直江津〜福井間も、完全にローカル線となり、沿線の県のみの乗客では維持管理が大きな課題となること必定である。その対策として、福井・石川・富山および新潟の上越部分の一貫経営を考え、各県に既存する交通体系を機能的にネットワークさせ、「越の国」の民鉄主体の新しい地域交通ネットワークをつくり、その活用と自立の手法研究を早急に開始したらどうであろうか。
 そのためには、富山県は隣県の石川県、福井県と一体となって、それぞれ固有の観光資源の活用をはかる、北陸地方のより広域な観光流動圏のような考え方が大切となる。そして行政の枠や企業の枠を超えて、観光客流動圏域の実体を把握し、将来を予測するべきであろう。これを怠ると新幹線や、高速道路、航空路線、高速船舶等の整備や就航により、逆に現在維持している人口が大都市に吸収される、いわゆる「ストロー現象」によって、いっそう地域間格差を招く恐れがある。

とやま経済月報
平成17年1月号