特集

美術館と外部評価、指定管理者制度

富山県立大学工学部助教授 原口志津子


一、公立館へのまなざし

 美術館という存在は、費用対効果という観点から言えば、なんとも贅沢な、投下した資本に対してもとのとれないものにみえるだろう。私財を投じて収集、運営しているのであれば文句はないとしても、公的な資金によって収集され運営されるこうした文化施設は、およそ税金の無駄使いとしか言えないのではないか−そう考える人も多い。赤瀬川原平氏のように「どうせ日本人は大富豪にはなれないんだから、せめてああいう場所(ミュージアム)はうんと贅沢にしなくちゃね」と思える人ばかりではない。
 実際、私は、ある公立美術館の来館者ノートに「税金のムダ使い」と書かれているのを実見したことがあるし、芦屋市立美術博物館のように、行政改革の名の下に民間委託(売却)または休館という方針が打ち出されたところもある。関連する文化施設である文学館では、すでに東京都近代文学博物館のように、入場者数が年間5万人では少なすぎるという理由で、小説家の知事によって2001年に閉館に追い込まれたところもある(現在、週末のみ前田家洋館として見学可能)。
 もともと「我が県(我が市町村)にも一つぐらいないと恥ずかしい」という意向でさしたるヴィジョンもないまま作られた公立館が多いということもあるだろう。また、美術品というものが何の役にたつのかがよくわからないと考えられていること、そして時に流通過程で信じられないほどの高付加価値が与えられることについての反感が底流にあるのではないかと思う。
 たしかに、ピカソの絵一枚、ゴッホの絵一枚が、百億円以上というニュースをきくと(我が富山県立大学創設時の総工費に近い金額だ)、なぜ麻布に絵の具をなすりつけただけのものがそんな値段で取引されているのかわからないと感じる人は多いだろう。また、日米構造摩擦の時代には、ドル減らしのために、年度末緊急に海外から高額美術品を購入するよう、国立館に指令が出たというが、このご時世にそんなものを買う財源があるのであれば、快適な病院、高齢者や幼児の福祉施設、保育所を建設したり、スタッフを雇う費用にまわしたほうが良いと思う人の方が多いのではないだろうか。そして、それは、納税者として当然の感覚だろう。
 こうした風当たりは、不況が長引いたという経済状況のせいばかりともいえない。明治時代以来の欧米においつけ追い越せ、という政策が一通りの成功を見たことに遠因はあるように思う。開国後のヨーロッパ、敗戦後のアメリカ―憧れの存在であった欧米的生活を実現して得たものが、生活習慣病と環境破壊、世界の一方の極端な貧困、紛争であっては、欧米のものだから素晴らしい、有り難いとは思えなくなって当然だろう。
 美術館という文化施設も、そして美術という概念そのものも、欧米の制度にならって作られたものであるから、当然そうした動きと連動して、不信の眼差しが向けられるようになったともいえるのではなかろうか。


二、美術館、展覧会という制度あっての美術

 もともと日本に美術とよばれるものはなかった。明治5年(1872)に、ウイーン万国博覧会への出品を奨励する太政官布告において初めて美術という用語が使われた。万博の出品分類表のドイツ語の翻訳語として「美術」という用語が創案され、それ以前には、御道具や宝物、霊宝などと呼ばれていたものが、以後「美術」と呼ばれるようになったのである。
 「絵画」という言葉も、明治15年(1882)に「第一回内国絵画共進会」という官展の正式名称として採用されて以降使われるようになったのであり、それ以前は、書画あるいはその形状に応じて、掛物、巻物、屏風、衝立などと呼ばれていた。そしてそれは季節に応じて取り替える調度品の一つでしかなかった。「彫刻」という語も同じである。明治9年(1876)に工部美術学校の学科名(彫刻学科)として採用された後、使われるようになった言葉である。それ以前は、彫り物、細工物などとよばれていたのである。
 ただ美術や絵画、彫刻という言葉こそなかったものの、江戸時代以前から培われていた素晴らしく美的な技芸はあった。その技芸を、国際的にも美術として認知させ、社会の中で一定のステータスを得るために先人は大いに努力したといえよう。2004年から2005年に、東京国立博物館、大阪市立美術館、名古屋市博物館を巡回した「万国博覧会の美術−パリ・ウイーン・シカゴ万博に見る東西の名品−展」では、そうした涙ぐましい努力の跡が展示されていた。同展には、慶應3年(1867)に江戸幕府と薩摩藩、佐賀藩がパリ万国博覧会に出品した見事な蒔絵の箱や繊細な七宝、当時の輸出の花形であった巨大な陶磁器や高岡銅器を含む金工品など、美術工芸品が400点以上展示されていた。自動車や半導体を売って外貨を稼ぐ以前の日本が何をもって稼いでいたのかについて知らしめてくれるものであった。
 私が、その会場に足を運んで実感したのは、その技術の素晴らしさと、不自然なほどの大きさ、過剰さであった。優れた技芸を、欧米において美術として認知してもらうべく、先人たちは書画や木工品、染織品を額装し、日本の家屋には飾り得ないような大きさの置物や壁掛けを作った。また、超絶的な技巧を競った。そのうえで、当時の欧米の基準からして美術、芸術と認められるような主題を選び、技法を凝らし、普遍性や精神性を盛り込むために努力したといえるだろう。
 「欧米に認められる美術を」という明治時代の国策と、美術とは何か、芸術とは何かということを模索した人々の努力によって、翻訳語の美術は、言葉として定着してゆき、また欧米的な美術が美術として認識されてゆくようになった。しかしながら、美術は日常に浸透したのだろうか。
 いまも、専門家の制作した「美術」は、床の間や一般家屋に掛けたり置いたりできる大きさではなく、展覧会場やホテルのロビーでもなければ飾れないような巨大なものが多い。それは欧米の巨大な絵画に匹敵する大きさの額に描かなければならなかった、あるいは天上の高いホールに飾って見劣りしない大きさの置物を作らねばならなかった先人たちのあとを倣ったものであるし、展覧会というシステムにおいて、他に差をつけ競争に勝てるようなものが美とされてきた歴史的な経緯によるものである。
 多くの人々にとっては、美術館や展覧会(博覧会)という制度の中で美術とされてきたものが美術である。寺院で大切にされてきた霊宝や神社の宝物は「文化財」となって縁遠いものとなり、日常生活の中にあった美的な技芸、例えば美しい文字を書くこと(書道)、花を育て生けること(園芸、華道)、針と糸と布で美しい細工物をつくること(裁縫、刺繍)−これらは「美術」とはされてこなかった。「美術」とは絵画と彫刻のことであり、美術館や展覧会(博覧会)で鑑賞するものである。
 しかし、制度や場から切り離して鑑賞することが不可能な美術とあっては、日常に浸透していると言い得ないだろう。別の言い方をすれば、美術は、実は美術館や展覧会に足を運ぶ習慣のある、教養に関して上昇志向をもつ人たちにしかひらかれていないといえるのではないだろうか。絵を描く人やちょっと気取った人たちしか行かないと考えられている施設=美術館に、税収の落ち込みが予測される中、公的な資金を投入することは果たして望ましいことか、という厳しい問いかけがなされるようになったのである。


三、展覧会入場者のからくり

 美術館の自己評価や外部評価は、こうした背景のもとに行われるようになった。この評価において、説得力をもってきたのは入場者数である。利用者の満足度などというおよそ計量不可能なものではなく、入り口でカウンターが確実に計量してくれる。しかし、美術館入場者数の多い展示が、必ずしも良い展示で、入場者数の少ない展示が悪い展示であるとは言えない。入場者数を左右する条件は別にあるからだ。
 入場者数のからくりについては、最近では、明治学院大学の山下裕二教授が「つまらんぞ、大英博物館展」(『文藝春秋』2004年5月号)に書いている。同氏は、赤瀬川原平氏とともに、日本美術応援団々長をもって任じる気鋭の研究者で、赤瀬川氏との共著も多い。山下氏が書いたことは、美術館博物館や展示の関係者には周知の事実である(山下氏の主張するように、新聞社だけが大もうけをしているとは思わないが)。
 美術館博物館の展示には、館蔵品で構成される常設展(常設展示)と、特別展(企画展示、企画展という場合もある)とがある。特別展は、他館や個人蔵、外国に所蔵される作品などを借り出してテーマに沿って展示する展覧会である。新聞やTVの宣伝で周知されるのは特別展の方である。
 この特別展の入場者数を左右する最大の要因は宣伝である。展覧会のオープニングや有名人の来館がしょっちゅうニュースや記事になったり、地方ニュースや新聞紙上での列品解説が継続的に行われ、その魅力や価値が解説されると、展覧会に足を運ばねばならないという気にさせられる。
 もう一つの要因は、後援団体である。展示内容によって大きな団体をターゲットにできる展示もある。たとえば宗教的な内容の展示であれば、信者信徒関係の動員が見込めるし、書や華の展示であれば、後援の形態や宣伝次第で、書道や華道などの大きな組織を入場者に見込める。特別展の入場者数は、展覧会の内容そのものの魅力以上に、宣伝や後援団体に大きく左右されるのである。
 さらに、展覧会の入場料は、特別展の場合、かなり高い。館蔵品を展示する常設展示であれば、一般が200円から400円程度、学生でその2割引というところだが、他館所蔵品などを借り出しての特別展の場合、一般で800円から1,400円。学生でも500円から1,000円。下宿学生にとっては、一日に費やせる食費を脅かす金額だ。美術や歴史、考古好きでも、めったに展覧会には行かない人たちの中には、こうした入場料金の高さをその原因にあげる人たちもいる。足の便の悪いところにある公立館で展覧会を見れば、入場料、足代で2,000円〜3,000円かかる。よほど好きであるか裕福でないと、なかなか足を運ぶ気になれないのも当然である。
 しかし、そこまで好きではないが、高い入場料を払わずにタダで、あるいは割安に入場できるならば、見に行きたいと考える人もいる。そういう中間層を掘り起こして、入場者数をおしあげるのが、招待券(タダ券)や割引券なのである。新聞社などが主催する場合には、招待券や割引券が新聞の販売促進のために購読者に配布される場合があり、入場者数を大きく変える。招待券や割引券で入場する人は、入場料が浮いた分、友人を誘って割り勘にしたり、図録や絵葉書を購入したりする率が高くなるので、入場者数は増えるし、入場料の減益分を補ってくれる。そうした点を勘案すると、招待券や割引券は、主催者側にとってデメリットばかりでもないので、割合大量に配布される。大量に招待券が出回ると入場者数は増加する。
 こうしたからくりがある以上、良い展覧会が入場者数によってはかれないことは確かだろう。


四、美術館の未来

 しかし、山下裕二氏が批判する「大英博物館展」のように東京展で50万人も入るような新聞社主催の展覧会動員数の勝ち組はいざ知らず、全体に美術館や博物館に足を運ぶ人は確実に減っている。特に正規の入場料を払って入場する人は減っている。
 たとえば美術館には、友の会などの名称を持つ後援組織がある。そこに入会すれば、その館の展覧会だけはかなり安く見ることができる。年会費は、3,000円から10,000円で、大体、特別展に2、3回(高い館の場合には、5、6回)行けばもとがとれる金額である。会員となると常設展示はフリーパス、特別展も主催展、共催展の会期中1回に限り(あるいは年間3〜12回に限り)は無料であったりする。会員の側にすれば、館の広報誌を郵送してくれる上、イベントやミュージアム・ショップの割引もあるし、友の会会員向けのギャラリー・トークや特別イベントもあるので、特定の館のファンである場合には、金銭面だけでない満足が得られる。
 ほかに、美術館が、入館料減免の制度をもっている場合には、申請すれば無料になる場合がある。学校教育活動の一環として見学にゆく小中学生や、65歳以上の人々は無料になる場合が多い。
 博物館の事例だが、ホームページにその事業評価を公開していた独立行政法人東京国立博物館の場合で言えば、2002年度の入場者数合計は、平常展の場合、25万6千101人。そのうち招待者は17%、友の会会員が7%である。さらに、2002年度より平常展無料となった小中学生が12%で、65歳以上で無料になる人たちもいるから、収益を生み出さない入場者数が四割以上を占めるだろう。特別展の場合には79万81人の入場者数合計のうち、23%が招待者、3.7%が友の会会員である。こうした無料あるいは格安で入る入場者が多くなると、入場者数が多くても、必ずしも収益とは結びつかない。
 地方自治法の改正により、2003年9月2日より施行された指定管理者制度によって、民間事業者に美術館の管理を代行させたいという意向をもつ自治体が出ているというのも、もともと収益をあげることの難しい美術館の経営を、少子化高齢化により税収の落ち込む中、厳しく問われることを回避しようとする動きだろう。
 しかし、指定管理者制度にはさまざまな問題がある。事情を知る人のいわく「天下り先確保のための財団やNPOが林立して指定管理者になるのではないか」−などはその最大のものだろうが、ここに詳述する余裕はない。一点だけこうした一見運営効率化に見える文化切り捨て政策が社会の中の格差をますます増大させることになりかねない危惧を指摘しておく。
 例えば、現在、多くの公立館では子ども向けの教育プログラムを開発し、次世代のユーザー開発を行っているが、これは本来全くもとのとれないものである。さらに、こうしたプログラムにしても、美術館や博物館に小さな子どもを連れて行けるような時間的経済的文化的余裕のある親ばかりではないので、ブルデューが言うように、すでにそうした文化施設にアクセスすること自体、親の代からの蓄積がないとできないような文化資本の格差はある。そこで、公立学校教育と協力してゆくことが必要である。なぜならば、現在、経済格差、学力格差の拡大が問題となっているが、文化資本をもくわえた階層格差が増大し、階級分離がすすむことは、最終的に社会の安定性を欠くことになるからだ。しかし運営の効率化、収益を目的とするならば、あるべき社会の理念をかかげ、長期的な戦略を練るよりも、商業的に成熟したゲームやアニメ、ハリウッド映画の人気に便乗することのほうがてっとりばやい。独立行政法人京都国立博物館で行われた「スター・ウオーズ展」などはその最たるものだろう。本来、金がすべてという資本主義的淘汰に対してノーといいうるのが文化の力であり、公立館の存在意義であった筈なのだが、あるべき社会の理念もなく、運営の効率化のみが先行しかねない。
 美術館などいらないというのも選択の一つである。しかし、あるべき社会とは何か、その社会には何が必要なのか、という議論がないままの指定管理者制度の導入には深い危惧を抱く。

参考文献
1.ピエール・ブルデュー/アラン・ダルベル/ドミニク・シュナッペー・山下雅之訳『美術愛好−ヨーロッパの美術館と観衆−』(木鐸社 一九九八年 原著:一九六九年)
2.佐藤道信『明治国家と近代美術−美の政治学−』(吉川弘文館 一九九九年)
3.ティム・コールトン著・染川香澄、芹谷美奈子、井島真知、竹内有理、徳永喜昭『ハンズ・オンとこれからの博物館』(東海大学出版会 二〇〇〇年)
4.赤瀬川原平『日本美術観察隊其の1・其の2』(講談社 二〇〇二年・〇三年) 引用は其の2・六頁から
5.安村敏信『美術館商売−美術なんて、、、と思う前に』(勉誠出版 二〇〇四年)
6.『美術手帖』二〇〇四年五月号・特集「わたしがほしい美術館、いらない美術館」(美術出版社)
7.「万国博覧会の美術−パリ・ウイーン・シカゴ万博に見る東西の名品−展」図録(会期:東京国立博物館;二〇〇四年七月六日〜八月二十九日 大阪市立美術館;二〇〇四年十月五日〜十一月二十八日 名古屋市博物館;二〇〇五年一月五日〜三月六日)

表:過去5カ年の入館者数
* 平成14年度より小・中学生は平常展無料
独立行政法人東京国立博物館事業報告より

とやま経済月報
平成17年2月号