特集

中心商店街の地価下落とその創生
−富山市を中心として−


東北学院大学教養学部地域構想学科教授 柳井雅也


 近年、富山駅前周辺は新幹線開業に向けたビジネスへの期待感と地価の下落によって、ホテルや飲食店を中心にリニューアルや新規開業が相次いでいる。また富山市の総曲輪、西町、中央通り商店街でも地価の下落が起きているが、再開発事業によるビル建設によって、閉店が相次ぎ、買い物客の減少に苦しんでいる(図表1−1、2)。今回は、この3商店街の地価下落の背景とその活性化について考えてみたい。

図表1−1 富山市中心商店街(総曲輪、西町、中央通り)位置図
図表1−1 富山市中心商店街(総曲輪、西町、中央通り)位置図


図表1−2 中心市街地(総曲輪、西町、中央通り)
図表1−2 中心市街地(総曲輪、西町、中央通り)
出所:「富山市中心街情報サイト」http://www.machibura.com/map/map.htmより


1.中心商店街衰退の社会的背景

 中心商店街は、商圏人口の地理的分布とその平均購買力の積に基づいて、その地理的重心に形成されるのが合理的といえる。そして周辺住民へ商品や各種サービスを供給することによってネットワークを形成してきた。さらに、交通の発達と、人が集まる施設(劇場、市役所、病院など)の集積が、このネットワークを強化する。中心商店街では高級品を扱う専門店が出現するなど、周辺の商店街との差別化を通じて、その勢力圏を拡大していく。しかし、人口の一層の郊外化やモータリゼーションの進展などによって、その地理的重心は大きく周辺部に移動することとなった。そのため郊外には大規模ショッピングセンター(SC)が立地するなど、経営効率を高めながら多彩な商品やサービスを行い、それにアミューズメントを提供する施設なども出てきた。これは富山市にとっても例外ではなく、やがて中心市街地では拠点性の低下が始まった。


2.富山市中心商店街の地価について

 これを地価の面から考えてみる。もともと、土地の価格は経済状況を反映しながら、収益性を基本に、「隣の店があの程度儲かって、隣の店があの程度の地価ならば、うちはこの地価が妥当である。」という連続の中で、相対的に決定されていく。つまり地価は収益性を映し出す鏡といえる。
 図表2−1は、地価の対前年比の変動を示したものである。これによると、全国の変動は−5〜8%台で推移しているのに、富山県(商業地)は2001年以降、全国の動向と乖離(かいり)して下げ足を速めている。さらに総曲輪3丁目、桜町1丁目はそれを上回る下落を示している。特に2001年を境に総曲輪3丁目よりも桜町1丁目の下落率のほうが高くなっている。いずれにしても総曲輪商店街の衰退ぶりが、地価の下落によって確認できる(図表2−2)。以下、この点について、「なぜそうなのか?」を究明して行くこととする。

図表2−1 地価の変動率比較
図表2−1 地価の変動率比較


図表2−2 総曲輪3丁目の地価
図表2−2 総曲輪3丁目の地価


3.富山県における富山市の商業

 富山市の中心商店街に関する調査では、日本政策投資銀行富山支店の報告がある。これによると、高齢者などの社会的交通制約者の増大、二酸化炭素問題、財政問題の深刻化のもとでは、中心市街地に「再凝集」することが望ましいことが指摘されている。しかし、中心部での立地コストが依然高いことなどから、これと逆行する「分散化現象」が進んでいると指摘している
 では、県内において富山市はどの程度の商業の中心性をもっているのだろうか?富山県の商業統計調査(2002調査)では、富山県全体の小売の事業所数は1万5455に対して、富山市は4408(28.5%)となっている。従業員数は県が7万6898人に対して、富山市は2万5636人(33.3%)、年間商品販売額は県が1兆2448億2500万円に対して、富山市は4755億3900万円(38.2%)となっている。
 周囲の市町村から買い物に来ている人の割合を示す流入率(商業人口/常住人口×100−100)をみると、2002年の富山市への流入率は31.2%となっている(図表3)。1999年が29.5%なので、1.7%の増加となって、一見、富山市の商業における拠点性が高まったかのようにみえる。しかし同期間の、小売の年間販売額は134億9089万円(−2.8%)の減少を示していることから、市場規模が縮小する中での拠点性の高まりといえる。

図表3 富山県内流入率の分布図
図表3 富山県内流入率の分布図


4.富山市における中心商店街の拠点性の衰退

(1)人口構造の変化
 富山市の商業を考える場合、周辺市町村の人口のみならず、大きな購買力を示す市内人口の構造変化を把握しておく必要がある。
 2004年の富山市における人口は32万2192人だった。1995年が32万2278人だったことから、この期間中はおおむね人口は横ばいで推移していた。図表4は人口集中地区(DID人口)を示したものである。1965年から一貫して下がり続け、2000年には4117.1人/km2と2506.9人/km2も減少してしまった。

図表4 富山市のDID人口の推移
図表4 富山市のDID人口の推移

 富山市の資料によれば、1974年から1999年まで富山駅南北地区で、約5万1千人から2万6千人まで減少している。中心商店街(ここでは総曲輪、西町)でも9万3千人から4万4千人へと47%減っている。また図表5によれば、町別人口密度は1994年段階で、150人/haを上回る地区が多いが、その地区と重なるように人口減少率のほうも高くなっている。この結果、人口減少率が高い地区には高齢者が残るため、高齢化率も高くなっている。

図表5 富山市市街地における人口の構造変化
図表5 富山市市街地における人口の構造変化 図表5 富山市市街地における人口の構造変化
図表5 富山市市街地における人口の構造変化
資料:富山市資料より(一部改編)


 一方、富山市全体の夜間人口は、1985年は35万2409人だったが、2000年には36万2694人と1万285人も増加している。都心部の人口減を勘案するならば、富山市郊外へ居住地を移したり、市外から転居してきた人が郊外に住んだりする、いわゆるドーナツ化現象が起きていると考えられる。そして、このような人口構成の変化は、中心商店街にとって、消費の地理的重心の郊外部への移動への対応(駐車場確保など)と、市街地に住む高齢者へのサービス対応が、求められることを意味している。

(2)商業構成の変化
 商店街レベルでみると、2002年現在、総曲輪、西町、中央通り合計で、富山市との対比は事業所数19.9%、従業者数で17.5%、販売額で23.1%となっている。このうち総曲輪商店街が事業所数48.3%、従業者数48.0%、販売額で41.1%となっている。統計の制約からこれを1991年以降の校区別(総曲輪、八人、五番)でみると、従業員数は2003年までに21.5%から13.9%へ、販売額でも44.2%から23.1%へと減少している(図表6)。中心商店街における拠点性の低下は明らかとなっている。従業員数は7.6%減なのに、販売額がほぼ半減(21.1%)していることから、商店の雇用負担が増大していることを示している。

図表6 校区別合計(総曲輪、八人、五番)の従業員数・販売額の推移
図表6 校区別合計(総曲輪、八人、五番)の従業員数・販売額の推移

(3)中心商店街の商店構成
 中心商店街の地価下落について、東西にほぼ700mに連なる商店構成から考えてみるため、2005年3月30日に総曲輪3丁目と中央通り1、2丁目の商店街業種調査を行った。現在は総曲輪商店街の再開発によって、多くの店が休業・閉店になっているが、判明している店舗を再現してカウントし、駐車場ビルのテナントは新規のものを店舗としてカウントした。また中央通りにある空き店舗はそのままカウントした。
 それによると2商店街で127店舗(不明8店舗はカウントしていない)あり、うち総曲輪73店舗、中央通り54店舗となっている(図表7)。
 業態別では、まず衣服について、総曲輪は若者やOL層にターゲットを絞った店が多い。中央通りはメンズものや制服などが多くなっている。買物では、総曲輪は雑貨、めがね、宝石などが多いのに対して、中央通りでは総曲輪通りでは見かけない、美術品、寝具、ガラスなどの店がある。また中央通りは茶、饅頭、食料品の店が多く、いわゆる老舗が集積しているのが特徴的である。床屋、美容室も中央通りが多い。
 ファッション関係では、ファッション(若者とカジュアル)関係の構成は、総曲輪が26.0%(73店舗中19店舗)に対して、中央通りは9.3%(54店舗中5店舗)にとどまっている。これに消費者の購入方法から分類される、最寄り品、買回り品、専門品という分類法を組合せて考えるならば、総曲輪は若者向けにターゲットを絞ったファッション性の高い買回り品を中心に店種構成をとっているのに対して、中央通りは老舗が多いことなどから、比較的中高年向けにターゲットを絞った専門店が多いといえる
 総曲輪商店街は、大和デパートの移転など、再開発事業を抱えて移転や閉店が相次いでおり、客足が遠のいている(関係者より聞き取り)。これを、今後どう呼び戻すかが課題である。また、中央通りは銀行や証券会社なども立地しており、以前は集客施設と考えられていた。しかし、銀行の自動化などに伴って、以前より集客力は落ちてきている。そんな中、「まちづくりとやま」が中心となって、チャレンジショップや街中サロンが運営され、商店街の活性化に努力しているが、空き店舗が13もあり、その利活用策が求められる。他の活性化に成功している商店街(例えば名古屋市の大須商店街)と比べて、いずれの商店街も最寄り品の構成が低いことと、ファミリー層が安心して滞在できる、食事場所の提供も遅れていると考える。
 また、山川充夫の研究によれば、繁栄している商店街に共通する特徴として、1)市街地よりは駅周辺部がよく、2)高齢化率が高くマイカーで行く商店街よりは若い人が歩く商店街がよく、3) 最寄り品中心の商店街がよく、4) 商圏規模が大きいほど苦戦をし、5) 固定客の比率が低いほど商店街の現況はよい傾向にあり、6) 近代化事業は必ずしも来街者を増やすことにつながらず、7) イベントも売り上げや集客に効果を発揮していないにもかかわらず、実施しなければ衰退に拍車がかかり、8) TMO(タウンマネジメント機関)設立と商店街の現況には関係性がある。ことなど興味深い事実を指摘している。
 富山市中心商店街として、これをあてはめるならば1) はいかんともし難いが、2) 3) 4) 5) の点で各商店街ともそれぞれ課題を抱え、7) 8) についてはまだ工夫の余地があるといえる。

図表7 中心商店街の店種構成
図表7 中心商店街の店種構成
出所:表1−1、2と同じ



5.富山市中心商店街の「創生」に向けて

(1)行政および関係各機関の取り組み
 この中心商店街の衰退について、国や県、市とも支援を行ってきた。例えば、富山県は商店街の空き店舗を活用した保育施設や高齢者向け交流施設などに支援を行ったり、TMOが行うコンセンサス形成事業や広域ソフト事業などに対して運用益で助成を行ったりしている。また富山市でも公共交通機関を活用した街づくりを推進して、人の移動をスムーズにする施策を背景に「総曲輪通り南地区市街地再開発事業」を推進している。これは、同地区に地上8階地下一階のビルを建設し、大和富山店が現在の西町から移転し、核店舗として営業を行い、周辺商店街の活性化をねらうものである。また「西町・総曲輪地区市街地再開発事業」では8階建ての駐車場主体のビルも建設して、郊外から消費者を呼び込む体制を整えている。商業関係機関の動きとしては、富山商工会議所が「価値創造プロジェクト」を立ち上げて、人・企業・商品・イベントなどを中心とした活性化を行っている。「まちづくりとやま」でも、商店街の空き店舗を借り上げて、それを起業意欲のある人に安く賃貸して、商店街の活性化を図る「ミニチャレンジショップ」を立ち上げている。このほか中教院モルティなど、1階を店舗に、2階をインキュベートオフィス、さらにその階上には住宅を作って起業と定住を目指した取り組みもみられる。

(2)地価下落と商店街の「創生」
 富山市では、人口減、市街地居住者の高齢化、消費の地理的重心の郊外部への移動が進行し、中心商店街でも、おりからの景気停滞やSCとの競争もあいまって、売上減となっており、従業員の削減も簡単には進まず、この隘路をいかに克服していくかが焦眉の課題となっている。この状況を「鏡」のように反映する地価の下落に対して、それを阻止する取り組みが求められているともいえる。
 「創生」をキーワードに考える場合、対症療法的な対策と構造改革が考えられる。前者は、利用しやすい駐車場確保、市街地居住者へのサービス体制強化、SCの商品やサービスと競合しない個店づくりなどが求められる。また構造改革としては、輸入品の販売だけでなく、製造業や観光業などとの共同を進めて商品やサービスに工夫と個性をもたせることや、都市の定住政策を進めることによって中心市街地周辺部を中心とした商圏の厚みを増す施策などが必要と考える。この産業政策と住宅政策を踏まえて、消費者に便利な業種の組合せを工夫した個店の地域配置や、サービス体制の構築などが重要になってくると考える。
 ここからは私案となるが、富山県には、医薬品産業もあるので、これに美容、健康、若返り、ダイエットなど機軸にした商品開発と商店街の連携が考えられる。例えば、アトピーや花粉症に悩む全国の子供たちに富山市に来てもらい、お年寄りのボランティアなどによって再生された良質の民家に滞在してもらう。そこに、安全でおいしい地産地消の料理を食べてもらい、栄養士や医療専門家などに生活習慣のアドバイスをしてもらう。また、薬草の家庭菜園などをしてもらって、これに対して、中心商店街が様々なサービス、商品供給、PRなどで協力していく。ゆくゆくは観光産業とも連携して、中心商店街の町並みが「薬」のイメージで作りかえられていくようなアイディアもある。そして、この街に来ると健康になれる「健康都市富山」の顔として変身をとげていく。
 住宅政策は、商店街を歩く人を増やす施策とリンクする必要がある。せっかくマンションが出来ても、住人が車で郊外に買物にでかけるのでは、あまり商店街への効果がない。また、高級マンションができても、投資目的に買われても効果がない。むしろ既存の住宅をうまく活用するほうが安上がりで、効果がでる場合がある。例えば、ルームシェアリングという方法がある。これは一つの部屋に複数の人に住んでもらうことである。そうすれば家賃を下げることなく、住人も安い家賃で住めるようになる。特に学生や留学生にとっては魅力的なシステムとなる。彼らは車を持たないものも多いので、街中を歩くようになる。そして、それに対するサービス業も発生する可能性がある。

 中心商店街が復活して行くためには、ハードを整備して商店街内部の課題を解決していくだけでなく、地域間連携、製造業や観光などとの産業間連携、商店街と住宅地域間などとの連携を進め、「愛される商店街」に変身していくことが重要なのではないだろうか。

 「『クルマ社会』富山の中心地拡散への対応策 〜高齢化・環境制約・財政制約の中での中心地と郊外部のあり方〜」
http://www.dbj.go.jp/hokuriku/report/pdf/r0203t.pdf)日本政策投資銀行富山事務所、2002.3。
 当報告書では、これを克服するために定期借地権付の活用による低度利用土地・建物利用の流動化を図るなど、数多くの興味深い提言を行っている。定期借地権とは、平成4年8月に施行された新借地借家法にもとづいて、供給側の地主が安心して提供しうる環境を整備した法律のことをさしている。
 商業人口=市町村別年間商品販売額/(県年間商品販売額/県常住人口)
 人口集中地区(DID)とは、市域の都市的地域の特質を明らかにするための統計上の地域単位で、次の3つの条件により設定される。(1)国勢調査基本単位区を基礎単位地域とする。 (2)市町村の境界内で人口密度の高い基本単位区(原則として人口密度が1km2当たり4,000人以上)が隣接していること。(3)それらの地域の人口が5,000人以上であること(この他、多少の例外あり)。などを指していう。
 最寄り品とは、食品や雑貨など、比較的どこでも購入できる商品。価格が安いことが指向される。買回り品とは、いくつかの店舗を訪れて比較して購入するような商品。衣料品や家電製品など。価格に加えて機能や品質が重要となる。専門品とは、自分の気に入った特定の店舗を選択し、感性・嗜好などから好きなブランドが決まる商品。価格も高い。
 もっとも、3商店街周辺部には、様々な業態をとる店舗があるので一概に特定することは出来ないが、傾向として指摘できるのではないだろうか。
 山川充夫「商店街の盛衰動向について」『福島地理論集』2003より
とやま経済月報
平成17年4月号