特集


今日の家庭教育と学校教育を考える

富山県立大学工学部教授 奥田實


 最近、凶悪少年犯罪の低年齢化と、児童虐待の実態が明らかになるにともない、子どもたちの教育とりわけ家庭教育について、以前にも増して、さまざまな議論がわき起こっている。
 一方、学校教育については「ゆとり教育」を唱える文部科学省の学習指導要領の改訂に対して、いわゆる「学力低下」の危機を訴える陣営から多くの批判がなされた。これについては、「学力低下」論者に軍配が上がりそうである。文部科学省では、改訂後わずか2年しか経過していないのに、学習指導要領を再度改訂し、学習内容の量を増加するようである。朝令暮改のそしりを受けても仕方がなく、現場の教員や生徒たちのとまどいが目に見えるようだ。
 世間の耳目を集める少年事件が起きるたびに、家庭教育の問題点や親の責任について言及されたり、学校教育の欠点が指摘されたりしてきた。しばしば、教員側からは、親のしつけの問題が取りざたされてきた。結論から言えば、どちらにも問題がある。学校教育システムが家庭教育に影響を与え、また家庭教育の変化に学校教育が対応せざるをえない現状である。
 さらに、今日の子どもたちの親は、それまでの家庭教育および学校教育の影響を受けてきたし、教員もまたそうなのである。これまでの二つの場での教育の歪みと、社会状況の変化が、今の教育問題となり現れてきたと言えるだろう。



(1)学校教育での成功を求める家庭教育

 家庭では情操教育を、学校では知的および身体教育をといったように、責任分担すべきという考え方があるが、現実はそうはいかない。家庭では、学校教育で成功するための親から子どもへの働きかけに教育の重点が移行してきた。だからといって、学校では、ますます心の教育をする余裕がない。
 今や、どちらかというと、家庭でよりも学校で「良い子ども」であることが教員だけでなく、親のおもな関心事であると言えるだろう。都市部や農村部にかかわりなく、子どもたちは学校の宿題や試験勉強をすることが最優先され、家での手伝いは二の次である。情操教育は、家庭でも学校でもますます軽視されていく。
 学習塾通いを、学校側はこころよく思わないかもしれないが、学校での成績を重視しているからこそ、親は子どもを学習塾に行かせるのである。図1に見られるように、中学校全体で学習塾に通う生徒は、約3分の2である。中3になって塾に通わない生徒は、今日では「未塾児」と呼ばれることもあり、ごく少数だ。

図1 学習人口の現状


(2)物質および金銭の豊かさと、便利さならびに快適さを求める社会

 戦後日本の社会は経済発展を大きな目標として、それを成し遂げた。今や子どもたちの周りにはモノがあふれ、容易に欲しいものが手にはいる。のどの渇きや空腹を経験することも珍しい。日本は自動販売機天国で、あらゆる場所でコインを入れると、のどを潤すことができる。子どもたちは乾きを我慢した後に飲む、ただの水のおいしさをほとんど知らない。かえって不幸である。
 人々は、歩くことをさけ、なるべく自動車やエレベーターを利用するようになった。とりわけ、車社会である富山の子どもたちは、学校や友達の家に行くのにも、親に車で送り迎えされることもある。また、家庭でも、学校でも、寒さ暑さを我慢しなくてよい快適な環境も整ってきた。
 子どもたちがもらう小遣いも増え、今や父親よりたくさんお金を持っていたりする。モノや金銭を与えられれば与えられるほど、子どもたちの欲望はますます増大する。1997年に深谷和子氏らが実施した調査によると、表1のように、東京の援助交際経験者である女子高校生は、そうでない女子高校生より、家庭で毎月多くの小遣いをもらっている。(ただし、彼女たちの欲望に一因があるとしても、愚かな男性がいなくなればこの問題は解決する。)

表1 援助交際体験および非体験女子高校生の毎月の小遣い

 親をはじめとする大人たちは、目の前の子どもたちの今の喜びよりも、子どもの将来のために、与える小遣いやモノの制限をすべきであろう。また、便利さや快適さばかりを求めないで、我慢する経験をなるべくさせるようにしたい。


(3)テレビとコンピュータゲームの子どもへの影響

 今日の子どもたちは、生まれると同時にテレビと出会う。とりわけ日本の乳幼児のテレビの視聴時間は世界一長く、その影響は大きい。テレビのCMにより欲望を増大させ、番組によっては、暴力を正当化する価値の影響を受ける。また、今日の子どもは、表2の「子どもの所有率調査」に示されるように、コンピュータや通信機器に取り囲まれている。

表2 子どもたちの持っているもの

 コンピュータゲームによって、子どもたちはバーチャルな現実を体験する。男の子が好む格闘技系のゲームでは、殴っても蹴ってもなかなか相手は死なない。ゲーム機のボタンを押す子どもの手足は痛くなく、また相手は死んでも、リセットボタンを押せば画面上で生き返る。
 中学生たちの集団による、死に至らせるまでの手加減しない暴力事件の背景に、この種のコンピュータゲームの影響があるのではないだろうか。暴力や、生命に関する人びとの感覚が麻痺してきたように思える。映画では年齢による入場制限があるが、ゲームセンターについては、日本では年齢による使用制限をしていない。検討すべき問題である。
 コンピュータゲームの規制よりも、さらに子どもにとって必要なのが、バーチャルでない、野外での遊びなどの実際の体験である。


(4) 自然および生命の学習の大切さ

 人が死んでいくプロセスを見る経験が希少になった今日、動植物を育てる経験と、自然の中での遊びや体験が、生命の尊さの学習にとって重要である。
 家庭で生き物を飼育することは、生命の尊さを知る良い体験である。小学校でも飼育係が、ウサギなどの世話をすることになっているが、全児童が経験することが望ましい。
 「人の命の尊厳」について、大人たちが子どもたちに、できるかぎり教えるべきである。戦争で正義の名のもと大勢の人たちが殺される現実を、容認しないで、あらゆる殺人が良くないことを子どもに教えることが、親や教員の使命である。
 キャンプなどの自然の中での体験は、子どもたちがさまざまな命と触れあい、ときには痛みを知り、我慢することを覚えることで、バーチャルな体験のマイナス面をおぎなう。さらに、グループ活動での協力は不可欠で、そのことによって人間関係も学ぶ。
 図2のアンケート調査の結果に示されているように、子どもの道徳観・正義感と自然体験には、相関関係が見られる。

図2 子どもの体験活動に関するアンケート調査−自然観と道徳観・正義感−
 (注)アンケートに対する子どもの回答に基づき5段階評価してクロス集計したもの


(5)少人数クラスと読書教育の必要性

 最後に学校教育について言及しよう。少人数クラスが有効であることは、一部の学校での実践で明らかになってきた。ただし、「それを実現するためには教員数が足りない」といった議論をよく聞く。表3は、平成14年度の公立小・中学校の全国の教員数と生徒数である。これを見るかぎり、少人数クラスは十分実現可能だ。しかし、多くの教員が、学校から教育委員会等に出向するシステムが障壁となっている。退職教員のボランティア等により教育行政を支えることで、教員を学校に戻し、ぜひ少人数学級を実現してほしい。

表3 公立小・中学校の教員1人につきの生徒数

 その上で、教員が生徒に読み聞かせる「読書教育」に力を注ぐべきでないだろうか。今の子どもには、想像力が不足しているように思える。映像経験だけでなく、文字や言葉の体験を子どもが多くもつことで、人の気持ちを理解する力と想像する力を伸ばしてほしい。

 子どもにとって大切な能力は、想像力である。それを養うため、家庭では、すべての大人が子育てに関わり、多様な人びとと触れあう環境を準備すべきだろう。また、野外で、自然の中で活動する体験も重要である。学校でも地域社会でもそうした取組が求められる。

とやま経済月報
平成15年9月号