特集


中小企業とデザイン

富山県総合デザインセンター所長 黒木靖夫


富山県総合デザインセンターの誕生

 1993年の2月末という中途半端な時期にソニーを辞職した。役員経験者の定年が何歳か知らないが、ちょうど60歳になったこともあったので、井深、盛田にそれぞれ辞意を伝えた。
 なぜだという問いに「いつかは辞めなくてはならないから、それなら早いうちに独立したほうがいい。今ならまだ頭もぼけてないし、年に何回かはゴルフもできる体力もあるから」と答えた。事務所を開いてほとんど最初に訪ねてこられたのが中沖知事である。
 「富山県を手伝ってほしい」とのことだった。もともと21世紀は中小企業の時代でなければならない、と思っていただけに、お受けすることにした。
 ソニーという会社に長い間勤めていて、その間ウォークマンを世に出した人間ということで少々名前を知られるようになったが、私自身はウォークマンをサクセスストーリーとして自慢したことは一度もない。脱大工業化社会における物作りはどうあるべきかは非常に興味のあるテーマであった。
 20年近く前、「地方の時代」だと喧伝されたことがあったが、地方の産業の育成にデザインを経営資源として見直そうとする県知事が4人いた。北海道の横路、神奈川の長洲、熊本の細川、そして富山の中沖知事である。
 デザインウェーブ運動として各県が動き始めたのだが富山県以外の3県は運動半ばにして知事は去っていき、1人中沖知事だけが孤軍奮闘することになった。お受けしたのはこういう背景もあったのである。
 着任してすぐ始めたことが2つある。1つは県内の企業をできるだけたくさん回って、デザインの重要性を説くことである。デザインの意味は時代とともに変ってくるが、県内の企業を回って説く際の意味は、「付加価値が上がる」という常識的なものだった。
 つまりデザインがよいと高く売れますよという素朴で分かり易い言葉だった。しかしそれでも当初は笛吹けど踊らずだった。
 2つは商品化を前提としたデザインコンペを実施することである。世の中にデザインコンペは多々あるが、商品化を目的としたものは1つもなかった。通常のコンペが作品を募集し、審査をし、賞金を与え、そして展示会を開いておしまいというやり方には疑問を抱いていた。物のデザインというのは、デザインされたものが市場に流通してはじめて価値が生まれると信じているから、商品化することに力を注いだ。
 徐々にではあるが、デザインに関心を抱き始めた企業が増え始め、商品化にもサクセスストーリーが出るようになった。そして待望の富山県総合デザインセンターが、平成11年の秋に新装なって開所するのである。



モックアップ工房の成功

 当センターの最大の特徴は、モックアップ工場を持ったことである。多くの機械類が必要なこの工房の計画に当時の通産省や県は驚いたようだった。デザインセンターとはデザイナーがいてデザイン画を描くものだと思っていたからである。
 中小企業が作る製品で大きな難点は、直ちに最終製品を作ってしまうことだ。大メーカーでは必ず実物大の模型(モックアップ)を作って価格や販売のタイミングなどを検討する。しかし中小企業には設備も金もヒマもないからいきなり作るのだ。だから売れないと在庫の山ができる。
 中小企業にはできない設備をして製造の手伝いをすることが大きなデザインセンターの目的だとしていたから、他のデザインセンターでは見られない機械類が多くある。官庁や自治体は指導という言葉を使いたかるが、ここでは厳禁にした。あくまで支援である。
 多くの機械類を入れたが、問題は誰がオペレートするかが問題だった。国や県の試験所などでは遊休の資産が少なからずあると聞いていたので、絶対に遊ばせない方法が必要だった。それで、ソニー時代に知り合っていたモック製造の会社、日南に機械の操作を依頼した。しかしただ動かすだけでは利益にならないから、自社の仕事をしてもよいということにした。
 もちろん富山の中小企業の依頼の仕事は最優先である。しかし県が建物を建て設備をしたものを民間企業が営利のために使うという事に疑問が残らないわけではなかった。県内中小企業の支援と自社営利事業とは両立できるのか。問題は起きないのか。しかし例えば下品だがこの二股膏薬的運営は見事に成功したのである。県議会の決算委員会も快くこの方法を理解してくれた。
 モックアップ工房はフル操業を始めた。しかし深夜残業も休日出勤も自由にはできない県の管理物件であることから、効率よく業務を遂行するには少しハンディだった。日南は平成13年隣接の敷地にセンターの工房より数倍大きい工場棟を建てた。センターのドリリングマシンは2台だが、新工場にはすでに7台もある。



イタリアに学べ

 イタリアには大企業がない。フィアットがかろうじてフォーチュンの世界の500社に顔を出しているぐらいでほとんどが中小企業の国である。かつてイタリア大使の話を聞いたことがあるが、ミラノが州都であるロンバルジア州のメーカーの平均従業員数は6.5人ということだった。
 これは中小企業というより零細企業である。しかしこれが蝟集(いしゅう)して作りあげる製品はメイド・イン・イタリーとして世界を席捲しているのである。繊維、皮革、木工、貴金属、プラスチックなどの製品のうち原材料が自国産のものはプラスチックだけである。イタリアには羊も蚕もいないから毛織物も絹織物も原材料は輸入せざるを得ない。これは皮革も木材も貴金属も同じである。
 イタリアの品物がもてはやされるのは一にかかってそのデザインである。私ですら鞄などそのデザインに魅せられて3個も4個も買う破目になるのである。そのイタリアには不思議なことにデザインの学校というものはほとんどなかった。国立ミラノ工科大学にデザイン科ができたのは、たしか1994・5年のことである。
 小さなメーカーでほとんど徒弟制度的にデザインや技術を学んでくることの強みをイタリアの製品は持っている。そして決していたずらに規模の大きさを追うことをしないのである。一つの企業の規模は小さいが、それがネットワークを組んで仕事をする強さがある。
 これはかつてのコンピュータの構成に似ている。かつて日本の大企業はスパコンと称される超大型コンピュータをホストとして、その下に無数にぶら下がるデスクトップの群れが三角形を形作っていた。デスクトップではホストに分析や計算を依頼する形態をとったのだが、これはまさに大企業を頂点とした子会社孫会社の産業構造と同じだったのである。
 今やホストのスパコンを競う時代ではなくなった。通常の会社では端末のデスクトップが外部と自由にネットを結んで多様な展開をするようになった。つまり大企業の大組織は自動車など一部の職種を除いて必要ではなくなったのである。電機メーカーでもベルトコンベアは撤収され、セルと呼ばれる1人工場の効率がよいことが立証されてきた。大きいことはよいことだという思想は次第に影を潜めたのである。
 企業のサイズもデザインもまだまだイタリアに学ぶことは多い。イタリアでも一つ感心することは、メイド・イン・イタリーとして、自国産を堅持していることだ。北アフリカやアルバニアで作らせているのではない。メイド・イン・チュニジアのグッチの鞄という話は聞いたことがない。あくまでもイタリア製である。労賃が安いからとすぐ中国生産に安易に踏み切る日本とは考え方が違う。
 同じ仕様で同じデザインで同じ品質のものを作れば、安いところには勝てない。ソニーでわれわれが目指したものはSomething different, Something newだった。どこかちょっと違って、どこかちょっと新しい物を作り続ければ、製品のアイデンティティが明確になってくる。
 「よそと同じ物を作らない」というモットーは、少なくともデザインに関してはソニーもイタリアの企業も同じである。



デザイン立県への道

 2月の中旬、韓国最大の企業グループ、サムスンの中のサムスン電機に招かれて社長以下の幹部200名に講演をしてきたが、その活気たるやかつての日本である。
 そのサムスングループの最大の企業サムスン電子が目指す最高の目標はソニーなのである。売上げや利益は追い抜いてもブランド力ではまだ追いつけないでいるからである。しかし実際に現地を訪れ、サムスン電子のデザイン経営センターに招かれた時のショックは大きかった。高層ビルの5フロアを占める370〜380人のデザイナーの多さ、1人当りのスペースの広さ、インテリアの綺麗さである。
 サムスン電子のアニュアルリポートの最初には李健熙会長がデザインの重要性を説いている。しかもデザインが売上げに寄与した効果の評価によって多額のボーナスが支給されるというから日本電子メーカーにはあり得ない話である。これは単に一企業の問題ではなく、韓国政府は7〜8階建ての国立のデザインセンターを作ってデザインを奨励しているのである。Gマークの機構が国から離された日本とは違っている。
 WTOに加盟した中国でもデザインは重要視されてきた。昨年知人がデザインのシンポジウムに訪れた深(しんせん)では大きな垂れ幕に江沢民自らが設計デザインが大事だと書いている。韓国や中国のメーカーから模倣される問題は絶えずわれわれを悩ませてきたが、それよりデザイン力で凌駕されることが非現実ではなくなろうとしている。
 不幸にして日本は政治家にも財界人にもデザインを語る人が少ない。かつて英国のサッチャー首相はデザイン向上の具体策を聴くためにソニーの盛田会長をロンドンの官邸に招こうとしたことがある。この計画は盛田の都合がつかず実現しなかったが、そのころ計画されたデザインミュージアムは、見事にテームズ河畔に実現した。政府首脳らの熱心な運動のお蔭でイギリスのデザインレベルは飛躍的に向上するのである。
 日本が現状のまま推移すれば、デザイン力で競争に勝てなくなり、メイド・イン・ジャパンがその輝きを失うことになるであろうことは明らかである。



小さな大企業庁

 最後に行政への提言。世の中の企業の98%以上が中小企業といわれる日本では、経産省は総力を挙げて中小企業を支援し、面倒を見る必要があろう。ということは中小企業庁は不要なのである。代わりに大企業庁を作る。
 日本の大企業は経産省の手を患わさずとも通常の業務はこなせる。海外の事情など企業の方が熟知している場合があるし、国際企業間の問題も経産省の関与がなくとも自主的に解決できることもある。だから大企業には国策の理解と関与を頼むくらいでいい。
 とすれば小さな大企業庁があればすむのである。中小企業庁を廃止して、中小企業に関することは経産省そのものが当るべきであろう。そしてもっとデザインに関心を持ってもらい、奨励策をとってもらえればありがたいのだが−。
とやま経済月報
平成15年7月号