「富山県関連企業の新たな挑戦−中国大連市−」
日本貿易振興会大連事務所 富山県研修生 林 秀二



 中国東北地方における商業、工業、交通の中心地「大連」。開放都市に指定された1985年以降、投資環境の整備を積極的に推し進めてきた。市内には2000年末までに外資系企業約4,000社が開業、うち日系企業が約1,000社で4分の1を占めている。また、貿易額に占める日系企業の割合は約半分を占めており、外資企業の中でもひときわ高いプレゼンスをみせている。97年以降はアジア危機などの影響で大連における外国からの投資額は減少したものの、2000年後半からは追加投資、新規投資が目に付くようになっている。こうした中、富山を代表する2つの企業が、ほぼ時を同じくして新工場を設立した。本稿では中国で既に実績を積み、更に新たな追加投資を行う両社を検証することにより、今後の中国進出モデルを探ってみた。

<YKKの新たな試み>

 建設中の「軽軌」(注1)を横に見ながら、市内から車で約40分の大連経済技術開発区内に、日中合資で造成された大連工業団地。2001年7月、YKKグループは同工業団地内に立地する既存の3工場(ファスナー類を製造)の南側に「大連吉田建材有限公司」を開業させた。これにより、同グループの総投資額は1億7,100万ドル、同工業団地入居の41社内(2001年8月現在)では最大となる。


【写真】2001年7月に操業を開始した「大連吉田建材有限公司」

 注目すべき点は、同建材工場が1.同社にとって中国における初の建材工場であること、2.製品は全て中国国内向けであること、である。同社総経理(社長)の井上隆司氏は、「1.当社では樹脂サッシを製造するだけでなく、窓枠、滑車、ガラス、鍵、ゴムなどの付属製品のほとんどを自前で製造する。このため華南、華東のような部品工場の集積は必要としない。2.大連では一時の住宅不足は一段落したものの、宅地造成、高級アパートの建築は今も急速に進んでいる。また省都の瀋陽では市街地の再開発、北京ではオリンピックなど大きな需要が望めると判断した」と語る。また、「東北地方は冬季に−20度以下に下がることもあり、屋外に直接触れる窓の暖房効率は、都市全体のエネルギー消費量をも左右する。また、樹脂サッシの原料はアルミに比べ安く、軽く、加工しやすく、リサイクルも可能だ。こうした樹脂サッシの特性が、観光都市として環境に配慮する大連市の関心を引き、強い要請があったことも後押しとなった」とのことである。また、大連では日系企業、日本語学校が多く、日本語を話せる技術者が得られやすいことも条件のひとつとなったようだ。
  
  中国における樹脂サッシ需要は日本の20倍にあたる約30万トンといわれ、大連には約20万トンを製造する大連実徳集団がある。後発の「大連吉田建材有限公司」は、デベロッパーが請け負う中間層向けの住宅をターゲットに、実徳など現地企業の製造する汎用品、欧米企業が製造する高級品との差別化をはかり、今年度中に2,000トン、来年度は1万トンにまで生産を拡大する計画だ。営業拠点として北京、青島、天津にも事務所を開設することから、目下の課題は現地の優秀な人材を確保することである。同社では3年で単年度黒字、5年で資本を回収するとしている。

表:大連YKKの概要
会社名 着工年月 操業開始 総投資額 【ドル】 敷地面積 建物面積【m2 従業員数【人】
大連吉田拉鏈 有限公司 1996年4月 1997年3月 2,000万 40000 18000 369(2001.1)
大連吉田服装輔料 有限公司 1997年3月 1998年1月 2,000万 34000 27100 128(2001.1)
大連吉田精密拉鏈 有限公司 1999年9月 2000年3月 4,000万 50000 57300 141(2001.1)
大連吉田建材 有限公司 2000年5月 2001年7月 2,930万 60000 10700 150(5年後に480)

<木下食品の第2工場が開業>

 富山を代表する総合食品加工メーカーの木下食品は10月に第2工場「大連金石灘木下食品有限公司」の落成式を終え、12月の開業に向け準備を進めている。同社は92年にYKKと同じ開発区内に現地法人を設立し、コンニャクなどの加工品を製造している。原料は主に揚子江流域などから調達し、製品の約9割を日本向けに輸出している。


【写真】開業に向け準備を進める「大連金石灘木下食品有限公司」

 注目すべき点は、既存の第1工場があり、なおかつ外資に対して様々な優遇政策をとる開発区から車で約20分離れた金石灘を、敢えて立地場所として選んだことだ。同社ではこの理由として、1.地下水が豊富なこと、2.金石灘管理委員会が工場誘致に熱心だったこと、3.規制が少ないこと(臨時雇用が可能)を挙げる。開発区の第1工場は手狭なため、新商品の開発、高度な加工を要するものに絞るとしている。コンニャクを食べる習慣がない中国国内ではまだ需要が少ないものの、各地に進出している日系食品スーパーからの引き合いは多く、新商品の「コンニャクジャーキー」は機内食として中国国内の航空会社と商談中とのことである。同社では中国人の嗜好に合った商品の開発、中国国内への販売強化を進め、将来的には現地での販売率を25%にまで高めたいとしている。

表:大連木下食品の概要
会社名 着工年月日 操業開始日 総投資額【ドル】 敷地面積建物面積【m2 従業員数【人】
大連木下食品 有限公司 1992年9月 1994年1月 520万 58,833,801 100人
大連金石灘木下食品 有限公司 2001年6月 2001年12月(予定) 150万 214,003,300 100人(予定)

<現地における経営努力と今後の展望>

 これまでの中国における日系企業の進出モデルは、日本の10分の1といわれる安い労働力を活かした加工輸出型が主流であった。しかし、日本ではバブル崩壊後、依然として大きな需要の伸びが期待できないことから、両社のように中国市場にターゲットをシフトする企業が増えつつある。

 中国ビジネスは、コネ社会、人治国家とも言われ、進出した企業全てが両社のようにうまくいっているわけではない。成功の裏には多くの苦労、独自の工夫があるようだ。YKKでは「1国1工場」という基本理念に基づき、原料・人材の調達、開発、製造、営業も現地で一貫して行っている。井上総経理の「関係部門に提出する書類の多さ、煩雑さは規制の多い日本以上だ。書類手続きの問題は日常茶飯事だが、粘り強く対処している」という言葉からは、これまでの苦労とそれに立ち向かう真摯な姿勢が伺える。また、建設間もない木下食品第2工場周辺は葡萄畑が広がる農村地で、工場と幹線道路を結ぶ500メートルにも及ぶ道路は、「落成式に間に合わせるため金石灘管理委員会の協力により着工から3日で完成した」とのことである。また、資本の1%は工場のある村からの出資で、同社と地元との協力体制が経営面からも伺い知れる。同社の現地スタッフは流暢な日本語で「工場の立ち上げと落成式の準備で休む暇もない」と屈託のない笑顔をみせる。現地の優秀な日本語人材をいかに確保するかも、現地での経営、特に関係部門との調整をスムーズに進める上で重要となる。

 「中国だからといって、品質は決して手を抜かない」という井上総経理の言葉からは、中国ビジネスの厳しさと揺ぎ無い自信を感じた。世界の製造業が注目する中国華南、華東ではなく、ここ「大連」の地に可能性を見出す両社の動きに今後も注目したい。

(注1)大連市内−経済技術開発区−金石灘を結ぶ電車(2002年6月開通予定)