日本経済の健康回復を願う
明治学院大学教授 統計審議会会長 竹内 啓



 日本経済はどうも調子が悪い。

 新年早々の話題としてはふさわしくないようにも感じられるが、昨年後半以降、再び景気が落ち込んでしまったことは事実である。バブル以降、日本経済はどうも病気にかかってしまって、なかなか回復できないでいる状況と思われる。

 日本経済は病気だという言い方は、いろいろなことを意味している。確かにそれは経済の状況がよくないことを意味するが、しかしそれだけではない。人が病気であるというのは、あたりまえの話であるが、その人の条件が正常でないこと、つまりもし健康であればもっとよい状態であるはずなのに、何らかの原因によっておかしくなっていることを意味する。同様に経済が病気であるというのも、もし正常な状態であれば、もっと経済活動が活発なはずなのに、何らかの理由によってそれが妨げられていることを意味するのである。

 私は現在の日本経済の「体力」は基本的にはまだそんなに弱くなっていないと思う。現在の状況は病気のためにそれが弱っており、またいろいろな「病状」が出ているのだと思う。従ってその病気を治すことができれば、もっとよい状態に戻すことができると考えているのである。

 一部には日本経済は基本的にもはや「老化」してしまって、成長力が衰えてしまったとする悲観論を唱える人もいる。勿論日本経済はもはや成熟段階に入っているのは確実であるから、かつての高度成長期のように10%以上の成長率を達成することは不可能である。経済成長をもたらす供給面からの要因を、労働力投入の増加、資本の増加、技術進歩の3つに分けて考えると、高齢化が進みつつある現在、労働力はこれ以上増加しないし、資本もすでにかなりの蓄積が行われているので、これ以上急激に増加することはない。またすでに外国の技術を取り入れて「追いつく」段階はかなり前に終わっているので、技術進歩による成長も、それほど大きな率は望み得ない。需要面からみても、かつて家庭で電気製品や自動車の普及が急速に進んだ時代や、住宅や道路などの公共施設の不足が著しかった時代に比べると、国内需要が大きく伸びる要因はあまりないと言わねばならない。だから現在の状況の下での安定的な成長率は恐らく3%程度であると思われる。

 しかし第一次オイルショック以前には10%以上だった成長率が、1975−1985年の「安定成長期」には5%程度に落ち、そして現在の「正常な」成長率が3%程度になったとしても、それは不況、つまり失業や企業倒産が増えるのが当然だということを意味するわけではない。成長率が低くても、完全雇用が達成され、企業は適当な利益があげられるのが「正常な」状態というものである。逆に現在では、無理に例えば年7%というような高すぎる成長率を達成しようとして需要の増大を図れば、インフレーションという病気になってしまうであろう。

 一部には、現在の日本の潜在成長率はすでに1%にまで落ち込んでしまっているという人もいる。つまりそれだけ供給力が伸びなくなっているというのである。そうしてそれを「日本的システムの行き詰まり」によるものだという。しかし私はそれは正しくないと思う。失業率が上昇し遊休設備が増え、そうして消費が落ちて、国内貯蓄が国内投資を超え、国内の総供給が総需要を越える状況が続いている状況では、供給力からみて可能な成長率が現在の成長率よりかなり高くなっていることは明らかである。

 また財、労働、資産、資金などすべての市場で供給が需要を上回り、それによって価格が低下する傾向が続いている現在では、需要と供給の配分の不適合、いわゆる「ミスマッチ」によって現在の不況が続いているというのも基本的には正しくないと思う。

 そもそも市場経済においては、需要と供給は全体として一致すべきもので、全般的に需要不足ということはあり得ないというのが、ケインズ以前の経済学の主張であった。そこで大不況期にあっても、当時の経済学者達は、失業は労働者が市場で定まるべき賃金を受け入れないことから起こるのであり、賃金を引き下げれば労働需要は増大して失業は解消するであろうと主張したのであった。しかし不況期に賃金を引き下げればますます需要が不足して状況は悪化するばかりであり、有効需要を作り出すことが第一であることを主張したのがケインズであり、新しい経済学が生まれたのであった。

 健全な市場経済、あるいは資本主義経済の下では需要と供給は全体として一致するということが正しいとしても、「大不況」はやはり経済の重い病気というべきであり、それを健康な経済を前提にした論理だけで割り切ろうとした当時の経済学者は間違っていたと言わねばならない。

 現在の日本の状況はその意味では「不況」という病気である。しかしケインズの言うような「有効需要政策」だけでは、簡単に病気が治らなくなっていることも事実である。ケインズは、当時の各国政府が「健全財政」にこだわって税収の減少に伴って支出を縮小し緊縮財政路線によってますます景気を悪化させていることを批判し、赤字財政によって需要を拡大することを主張した。しかし現在ではケインズの理論は十分受け入れられているので、政府はたびたび「景気刺激」のために国債を発行して、公共投資等による有効需要政策を実行してきているのである。またゼロ金利政策を中心とする金融超緩和政策によって、金融面から投資を刺激する政策も続けられている。勿論それによって景気がもっと悪化してかつてのような「大不況」に落ち込むことは避けられているといえるが、はかばかしく回復していないことは事実である。そうして政府の財政赤字が巨額になり、そのこと自体がまた問題になっているのである。

 政府の累積赤字が「国民の借金」であり、「将来世代の負担」であるというのは間違いである。現在日本の国債はほとんど国内で消化されているから、それは「政府=国民の借金」ならば、同時にそれは「国債を保有する企業および個人=国民の貸金」でもあるのである。もし政府の赤字財政が行われなかったとすれば、それだけ需要と供給のギャップは拡大し、不況はかなり深刻になったであろうと言えるのである。しかし問題は財政赤字による需要刺激が、いわゆる乗数効果によって需要拡大をもたらし、経済を景気回復の路線にのせることができなかったところにある。財政赤字が累積することは、単純に「後の世代の負担」とみなすことは間違いであっても、やはりいろいろは歪みをもたらすから望ましくないことである。ケインズの(と言ってもケインズ自身はそれほど単純に考えたわけではないが)単なる「有効需要」政策だけでは、現在の病気は治らないこともはっきりしているように思われる。

 現在の日本経済の病気の根本原因は「不良債権問題」である。より詳しく言えば「バブル」の後遺症としての不良債権問題である。1980年代末から1990年くらいにかけて生じた「バブル」はそれ自体が病気であった。「バブル」とは、土地や株式、その他すべての資産の価格が、その実際の価値(つまりそれから生ずるサービスや収益の額を資本還元した値)をはるかに超える水準に上昇する「資産インフレーション」であった。そうしてそれは莫大ないわゆる「キャピタルゲイン」を生み、多くの企業や個人に「金持ち」になったような幻想を抱かせたのである。それが企業や金融機関の行動を誤らせたのであった。やがて当然のことながら「バブル」が崩壊すると今度は莫大な「キャピタルロス」が生じ、それが「不良債権」という形で現在の問題になっているわけである。「キャピタルゲイン」も「キャピタルロス」も現実の土地や物としてのストックに変化がない限り、紙の上の数字だけのことであるから、外国の土地投機に失敗したような場合を除けば、日本全体としての経済の実態には影響しないはずである。しかしそれは現実には日本の金融を大きく歪めて、資金の円滑な流れを阻害し、家計の貯蓄が有効な投資に利用されることを妨げ、また政府支出が「乗数効果」を生まないようにしてしまっているのである。またそれが国民や企業の将来に対する不安を助長し、投資や消費の伸びを妨げているのである。

 なぜそもそも「バブル」になったか。またその後遺症としての不良債権問題はどうして生じたか。そうしてそれが現実の経済の病気の症状とどのように結びついているのかについては、ここでは詳しく述べる余地がないが、不良債権問題を解決しない限り、現在の経済の病気が治らないことは確かである。

 2002年には不良債権問題の解決についてより明確な方向が打ち出されることを期待したい。しかし同時に現在の日本経済はいわば病人であって体力が弱っているから、不良債権問題解決のためのいわば「手術」に当たっては、体力の保持と回復が大切であり、健康な場合には有益なことでも、負担になることは当面避けねばならない。

 「改革なくして景気回復なし」というのが小泉内閣の標語である。改革が不良債権問題解決のための抜本的政策を意味するとすればそれは正しいが、中長期的な「構造改革」を早急に推進することは危険である。病気の治療と健康人の体力増進とは違うのである。

 日本経済はまず不良債権問題という病気を治さなければならないのである。2002年にはその治療が進むことを期待したい。