アジアの時代と富山
富山大学経済学部 助教授 今村 弘子

はじめに
 「東アジアの奇跡」といわれるほど好調な経済発展を遂げてきた東アジア経済であったが、97年7月には一転して経済危機を迎えた。タイのバーツ売りに始まった経済危機はASEAN、韓国、ロシアを巻き込む形で広がっていった。ヒト、モノ、カネの移動が活発に行われる社会になり、一国の危機は一カ国にとどまらない、よくも悪くも相互に依存しあう世界になっている。このような国際経済状況のなかで、日本を含めた東アジアの関係がどのように推移していくかを考えてみる。

1.貿易の実態 ―貿易額にみた日中韓の関係は緊密である―
 日本と北東アジアの国々(ここでは中国、韓国、ロシア、北朝鮮を指す)の貿易関係は図表1のようになっている。経済危機直後の98年には日本と北東アジアの国々の貿易は一時減少したが、99年以降アジアの国々の経済が全般的に回復したことに伴って、相互の貿易も回復してきている。とくに貿易額の上位3カ国の関係は緊密である。99年には、日本の貿易のなかで中国と韓国との貿易額は各々9.1%5.4%を占め、韓国の貿易のなかで日本と中国は15.2%8.6%、中国の貿易のなかで日本と韓国は18.3%6.9%であった。このように日中韓の経済関係は相互に重要なものとなっている(北朝鮮の対外貿易でも中国、韓国、日本がトップ3である)。

 さらに現在、日韓の自由貿易協定も話題になっている。日韓両国に、これまた経済ブロックに参加していない中国も加えた協定も検討課題となっている。農産物の取り扱いをどのようにするかなどの問題は残っているが、自由貿易協定が締結されると、日韓両国にとっては、安定的な市場を得るチャンスとなる。
 相互間の貿易の俯瞰図を、日本を中心に眺めてみると、対中貿易での大幅な赤字(日本側貿易統計では88年以来日本側の赤字、94年以来中国が日本にとっての最大の入超相手国)、それに対し韓国への大幅な黒字が目につく。日中貿易はかつては、中国から原油や石炭といった原材料を、日本からは工業製品を、各々輸出する典型的な垂直貿易のパターンであった。しかし80年代半ば以降、中国への直接投資が活発化するに伴って、外資系企業で生産された家電製品や縫製品などの製品の中国からの輸出が多くなってきている。とくに縫製品については、最近ではSPA(speciality store retailer of private label apparel)とよばれるデザインから原材料まで一貫して発注する形態が増加している。
 韓国の貿易パターンをみると対米黒字と対日赤字が大きい。米国への製品輸出と、その製品をつくるための部品を日本から輸入しているからである。99年まで韓国は日本との貿易赤字を削減するために「輸入先多角化品目」を制定していた。ある品目について、日本以外にも輸入先があれば、日本以外から輸入するようにという制度である。ただしその制度にもかかわらず、日本からの輸入赤字は増大していた。「輸入先多角化品目」の解除によって対日貿易赤字は拡大している。この状況を解消することができるかどうかは、韓国工業界の構造改革が進み、裾野産業までの育成できるかどうかが鍵となる。なお韓国の北東アジア貿易ということでいえば、80年代半ば以降、中国との貿易が急速に伸びてきた(両国は92年に国交を樹立)ことと、最近では北朝鮮向けの援助物資の搬出も多くなっていることを特徴としてあげることができる。
 中国はすでに世界第8位の貿易国であるし(2000年)、直接投資の導入額は米国に次いで第2位(発展途上国では第1位)である。日本を含めたアジア諸国との貿易が全体の6割を占めている。2001年には念願のWTO加盟を果たすであろうが、短期的には農業も含めた国内産業に影響を与えることになろう。なおロシアや北朝鮮との貿易は中央での取引の他に、国境貿易があり、その地方の経済に大きな影響を与えている。
 アジア相互の依存関係は強くなってきており、アジアが自立的に経済発展を遂げているようにも見受けられる。しかし実際には、米国への輸出が好調→各国の国内経済が好調→アジア相互の貿易も好調、という図式が描かれていることに注意しなくてはなるまい。このため米国への輸出が減少すると、アジア相互の輸出も減少することになろう。

2.外国直接投資 ―中国への外資はWTO加盟をにらんで再び増加―
 アジア諸国の海外からの直接投資の受入れが本格化したのは、85年9月のプラザ合意以降のことであった。円高が進んだことから、日本企業のアジアへの投資も盛んになっていった。また当時工業化が急速に進展していた韓国や台湾は、第一次産業から第二次産業への労働力の移転がすんでいたこと、さらに民主化の進展により(台湾は87年に戒厳令の解除、韓国は88年に民主化宣言)労働争議が起こり、賃上げが進んでいった。このため、かつては直接投資の受入れ側であった台湾、韓国自身が投資する側になっていった。
 最近の日本の中国、韓国への投資状況は図表2の通りである(日本のロシアと北朝鮮への直接投資はごくわずかであるので省略。もっとも、84年には北朝鮮も合弁法を制定している。しかし改革無き対外開放であることや、市場の狭さから、外資側には魅力ないものになっている)。90年代後半に入ってから、日本の対中投資はやや下降気味であったが、2000年にはWTO加盟をにらんで再び活発になっている。また韓国への投資も99年以降は増加傾向にある。
 中国経済にとって外資はすでになくてはならない存在になっている。2000年の中国の貿易のうち半分は外資系企業の貿易であったし、国内にも合弁製品があふれている。WTO加盟後はサービス分野にも外資が参入してくることになる。
 韓国は97年末に外貨流動性危機に陥ったことから、M&A規制(M&A:企業の合併・買収)や民間企業の外国人株式保有限度の撤廃を含む外資規制を緩和した。この結果98、99年には急速に直接投資は増加したが、2000年になって、日本企業の投資は増加したものの、欧米企業からの投資の伸び悩みという状況が生じている。

 また中朝ロの国境河川である図們江(ともんこう)流域に北東アジア経済圏をつくるという構想も動き始めている。95年にはこの3カ国に韓国、モンゴルも交えて図們江経済開発区設立および東北アジア開発協商委員会に関する協定も調印されている。しかし実際にはロシアが外資導入に及び腰であること※1 や、北朝鮮の政治的不安定性によって、(中国や北朝鮮が当該地域でばらばらに外資導入をしているが)国際協力案件としてはほとんど機能していない。

 

3.富山の対北東アジア貿易関係 ―富山にとってロシアは最大の輸入相手国―
 北陸4県の対北東アジア貿易関係は図表3の通りである。いずれもの県も入超となっている。このうちロシアからは木材およびアルミニウムの輸入により、最大の輸入相手国であり、北陸4県の貿易全体(対世界)の11.4%を占めている(99年)。日本全体では、ロシアからの輸入はたかだか1.2%に過ぎないことからすると、北陸にとってのロシアの重要性がわかる。とくに富山のロシアからの輸入は、他の北陸の県からも抜きんでているし、北東アジアのその他の国からの輸入をはるかに凌ぐものとなっている。なお日本全体では中国が米国に次ぐ第二の輸入相手国であり、全体の14.5%を占めている。
 日本海に面する県(北海道から佐賀までの14道府県)の対北東アジア貿易は、99年には輸出7646億円、輸入1兆707億円であった。うち北陸4県の占める割合は、輸出で12.1%、輸入では17.7%を占めている。また北陸のなかで富山は輸出で3割を若干きる程度である一方、輸入では97年には3割を超えていたものが、98、99年と25%台に落ちている。
 なお日本海にのみ面している北陸4県は、北東アジア地域への輸出入が高い割合となっているが、福岡県や北海道などは1割前後にしかすぎない(富山は4割前後を占めている)。

 在富山企業の投資状況は、ロシア6件、中国62件(うち東北3省へは22件)、韓国9件、北朝鮮0件である。地理的条件の他に、東北アジア諸国のなかでは直接投資の条件が比較的整っている中国への投資が集中していることになる。※2

〈中国遼寧省・大連市の輸出・輸入先〉
 中国遼寧省にとっても北東アジアとは重要な経済関係がある。輸出では40.0%が日本向けであるし、韓国は7.3%、北朝鮮2.2%、ロシア1.2%である。輸入でも34.5%が日本向け、韓国が12.2%である。大連市にいたっては輸出・輸入とも6割近くが日本とであるし、直接投資の受入れでも香港・マカオを抜いて日本が第1位の投資国であるし、韓国は4位の投資国である。※3

4.経済交流発展の条件 
―不安定要因を克服するための新たな経済活動の必要性が北東アジア間の経済交流を発展させる―

 日本と北東アジアとの経済交流が発展を促す要因は何であろうか。あるいは逆に発展を阻害する要因としては何があるか。
 発展を阻害する要因として、この地域でとくに考えなくてはならないのは、不安定性の増加である。アジア経済危機を経て、99年には急速なV字型回復を見せた韓国経済も、経済回復が急速であったが故に、財閥改革が中途半端に終わってしまい、抜本的な構造改革が行われなかった。このため2000年後半には経済は再び失速している。不良債権を抱えた銀行などの金融改革も難問を抱えている。

 中国経済は2001年から第10次5カ年計画が始まる。第9次5カ年計画は、それ以前の二桁成長からはやや鈍化したものの、高成長路線を走っている。しかし2001年に中国がWTOへの加盟を果たすことになれば、中国の企業からすれば、国際社会との待ったなしの競争が始まることになる。98年から中国が国有企業の改革を急いでいたのは、WTO加盟にむけて、痛みを伴っても、効率の悪い国有企業の改革をせざるを得なかったからである。

 ロシアも98年に、アジア経済危機の一連の動きに巻き込まれることになった。しかし2000年には世界的な原油価格の高騰などによって、税収も増加、ようやく経済運営も軌道にのっているようにも見受けられる。しかし社会主義からの移行期に生じた所得格差などの負の遺産はそのままである。

 2000年6月に行われた南北首脳会談では、金正日・北朝鮮総書記の予想外のパフォーマンスにより、北東アジアの変化を感じさせるものであった。しかし、一方で前述のように韓国国内の経済の不透明感が、2000年後半から強くなるに従って、北朝鮮への援助よりも、国内経済の建て直しが先ではないかとの疑問が聞かれるようになった。それはまた北朝鮮の軍事的脅威がなくなっていないにもかかわらず、北朝鮮へ援助を行うことに対する疑問とも重なっていた。一方、北朝鮮のなかにも、金正日という切り札を切ったにもかかわらず、韓国からの援助が思ったよりも少ないという不満感が残っている可能性もある。ただし2001年1月に金正日が訪中した際に、上海の証券取引所を見学したように、北朝鮮自身も「我々式の改革※4 であるかもしれないが、改革の必要性を感じているようであり、少しずつは経済改革をせざるを得なくなっている。

 このように、日本も含めて北東アジア地域の不安定要因は決して小さくはない。しかしだからこそ、国内経済のみではなく、南北朝鮮の経済活動のように新たな経済活動の場を求める動きも大きい。経済発展が政権の安定性を増すものであることの認識も大きくなっている。まだ脆弱ではあるが、日本経済にとっての新たなフロンティアになっていこう。

 最後に、富山と北東アジアの関係は今後どのようになっていくであろうか。南北朝鮮の経済関係が進展し、北朝鮮の対外開放が進めば、労働集約産業などの北朝鮮への投資も進んでいくであろう。一方、中国の東北3省および極東ロシアはともに中央政府から遠い地域にあるが故に「遠くの政府より近くのアジア」という状況が生まれている。とくに中国で「西部大開発」が進展すると、中央政府の投資が西部に集中することになり、東北3省は経済発展が遅れているにも係わらず、西部でないが故に、国内投資資金が回って来ない可能性がある。そのためどうしても外資導入が必要になってくるし、その際、富山も射程距離に入って来よう。

※1 東北アジア経済圏のコーディネーターであるUNDPの担当者は、「一般に北朝鮮の政治的不安定性が問題だと考えられているが、ロシアの非協力的な態度のほうが問題である」と語っていた。(95年筆者のインタビューに答えて)



※2 日本貿易振興会「環日本海経済交流の実態」を参考にした。

※3 「中国対外経済貿易年鑑1999/2000」pp236〜245

※4北朝鮮では、その社会主義建設のやり方を、中国、ソ連とも一線を画した「我々式の社会主義」と呼んでいたことをもじったもの