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八 尾 正 治


汐 新湊市の巻(その2)

 新しい歌に入って、まず「富山新港音頭」がある。これは昭和43年4月、待望の富山新港が開港した。これの祝い歌として作られたもので、旋律は箏曲旋法で純日本式だが、明るく典雅な歌曲である。地元の詩人松本福督が作り、福井溪水が作曲している。

富山新港 音頭

(1)ハア 富山東に 伏木は西に
   ハ エヤサカサ ソレ エヤサカサー
   なかに自慢の  海の夢
   オオソレ ヨイトコ 富山新港新湊港

(2)ハア 奈呉の浦波 信濃の浜も
   呼べば新らし  歌どころ
  (以下はやし略)

(3)ハア 魚の町から 鉄鋼の町へ
   今じゃ 北洋   いかだ町

(4)ハア 広く拓けた 臨港地帯
   船も寄り来る   人も来る

(5)ハア 北の海から 南の海を
   外つ国船     宝船

新 湊 慕 情

(1)好きで添えない 2人なら
   なんで逢わせた 憎い夜
   カモメ波止場の 新湊
   つらい恋ほど  いとしくて
   忘れられない  神楽橋

(2)ふたり歩いた  奈呉の浦
   雨に濡れても  熱い胸
   せめて一夜の  夢でいい
   揃い浴衣の   あの頃へ
   風と渡ろう   神楽橋

(3)待てばかならず 添えるなら
   泣きはしません 弁財天
   出船せつない  新湊
   一目逢いたい  内川の
   灯り恋しい   神楽橋

 もっと新しい歌に「新湊慕情」がある。これは新湊出身の音楽家聖川湧が、ふるさとの新しい歌を作りたいと作詞を里村龍一に頼み、みずから作曲。当時まだ新人歌手だった香西かおりを起用して、歌わせたもの。編曲は馬場良。昭和62年の吹き込みで、カセットの片面は同じメンバーの「雨酒場」になっている。

 

 海の貴婦人といわれる帆船「海王丸」は、新湊にとって観光の目玉商品である。新湊市中央町でコンビニエンス・ストアーを経営する高島忠夫は、海王丸の優雅な姿に魅せられて歌を作った。平成3年3月、新湊出身の作曲家聖川湧がこれに作曲して、できたのが、「海王丸さん・ありがとう」である。行進曲風で歯切れのいいメロディ。小中学校へ配布し、子供たちにもおおいに歌ってほしいと、作詞者・作曲者ともども切望している。

海王丸さん ありがとう

(1)四方が海で   日本の
   海の男の子の  夢のせて
   七つの海で   鍛えきた
   帆船就航    60年
   百万海里を   越えてきた
   海王丸さん   いらっしゃい

(2)白帆が満開   白い帆船(ふね)
   海の貴婦人   素敵やねん
   乘って行きたい ハワイまで
   太平洋の    白鳥さん
   白い服と帽子  目に浮かぶ
   海王丸さん   こんにちは

(3)4本(よんほん)マストが 空高く
   白帆たたんで  身軽るそう
   数えきれない  命綱
   船内まわって  ふり仰ぐ
   任務(つとめ)を果たした 晴れ姿
   海王丸さん   ご苦労さん

(4)出船入船    通り舟
   海王丸に    手を振れば
   デッキでバイバイ 家族連れ
   公園広場の   賑やかさ
   富山新港の   アイドル船
   海王丸さん   ありがとう
   海王丸さん   ありがとう

新湊内川 橋めぐり

(1)町中通る    内川は
   素敵な橋の   架かる川
   それぞれ町の  自慢橋
   楽しく橋を   渡りましょう
   あなたと二人で 橋めぐり

(2)屋根付き赤い  東(あずま)橋
   歩行者向きの  憩い橋
   腰かけ椅子の  娘さん
   ボートが着いて 乗ってゆく
   岸の桜も    花ざかり

(3)人と心と    愛・夢を
   手の彫刻で   あらわした
   ユニークらんかん 山王橋
   水の都へ    来たような
   うつる川面に  通り舟

(4)道路になった  神楽川
   多くの人に   慕われて
   この内川に   名を残す
   姿やさしく   優雅なる
   ステンド・グラスの 神楽橋

(5)内川口に    東西を
   結ぶブリッジ  夢の橋
   富山新港へ   つづく橋
   立山連峰    海に映え
   雄姿が迫る   奈呉の海

 さて、ここもと聖川湧の活躍は目覚しい。彼の出身地新湊にかかわる歌の作曲が多いのは当然のこととして、全国的にヒットした名曲の数数をものして、今や歌謡曲界に揺るがぬ地位を得ている。彼は、昭和19年2月11日、新湊市堀岡古明神生まれ。本名は岩井実。金沢へ出て、新川二郎らと楽団を組織し、アルトサックスを吹いていた。38年に上京して、歌謡の世界を転転とし、辛酸をなめた。45年頃から作曲家として認められ、デビュー。55年に、三笠優子の「夫婦舟(みようとぶね)」がヒット。以来、香西かおりの「雨酒場」や「流恋草(はぐれそう)」などのヒット曲が続き、歌謡界での長い遍歴と鋭い感性で油の乗り切った活躍振りを展開している。  作詞者高島忠夫には、もうひとつ「新湊内川めぐり」という歌がある。かつては水質汚濁と破船の繋留で、顔をそむけたくなるような内川だったが、今ではきれいな水に蘇生し、架けられた橋も文化性豊かなものばかり。彼はこれを歌にしたもので、橋めぐりを楽しみたくなる。


汐 氷見市の巻(その1)

 氷見市は旧氷見郡の各町村が大同合併して市を形成した、珍らしい例である。先史古代の遺跡、大境洞窟、朝日貝塚をはじめ、ここもと柳田布尾山古墳の発掘調査が、注目を浴びている。中世の戦乱を物語る、阿尾城址などの歴史遺産が極めて豊富である。海岸美に恵まれ、朝日山公園、海の幸山の幸、ホテル・民宿群など、観光都市としての特色を持っている。能登と隣接しているため、能都とよく似た風土性を持っている。そのひとつは、多様多彩な祭事習俗を今に伝承していること。従って歌謡にも恵まれているといえよう。
 民謡も、カーカ節、青田節など、特色のあるものを伝承している。まず「氷見市制を祝う歌」から紹介しよう。これは昭和29年4月1日、氷見が1郡1市という大目標を実現した祝いを込めて作られたものである。4月27日、市政拡大祝賀会で発表された。

氷見市制を祝う歌

(1)浪うちよせる  有磯海
   あされど尽きぬ 海山の
   しあわせのせて 生まれたる
   新たなる道   今ひらく
   たたえよ たたえ 氷見市制
   のぞみをいまぞ とこしえに

(2)仰げばたかき  立山の
   よろずの光   身に浴びて
   こころのうちに 結ばれし
   新たなる幸   ここに見ん
   いわえよ いわえ 氷見市制
   のぞみをいまぞ とこしえに

 

 作詞者は、地元氷見市の辻本俊夫。昭和33年の「富山県民の歌」の作詞者でもある。作曲者の名は、明記していない。 −つづく− (富山県郷土史会長)