富山県視覚障害者協会 事件を起こした容疑者は、「重複障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」と言ったそうです。  被害者たちのほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守ることのできない重度障害者たちでした。今回のような容疑者からこの身を守ることができないという意味では、視覚障害者も同様です。この報道に触れ、障害者の当事者団体として、ただただ驚愕と不安を禁じえません。  このような無抵抗の重度障害者を殺すということは、障害者への差別と偏見によるものであることは当然ですが、それだけにとどまらず、人間の尊厳や生存の意味を否定するものでもあります。  その背景には、労働力の担い手としての経済的価値がないとか、能力が劣っているとか、極めて狭い見方で人間を否定する考えがあるのではないかと思います。そういう価値観で物事を判断する人がもし増えるようなことがあったら、と思うととても怖くなります。  この事件が早く解決することはもちろん重要ですが、社会の人たちに障害についてさらに理解していただけるような教育も必要なのではないでしょうか。  結びに、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方の回復をお祈りしますとともに、ご家族の皆様へ心よりお見舞い申し上げます。 ? 富山県肢体不自由児父母の会連合会 さる7月30・31日に神奈川県横浜市で「第49回全国肢体不自由児者父母の会連合会全国大会」が開催されました。その大会では、4日前の7月26日未明に起きた「神奈川県立津久井やまゆり園」での殺傷事件を受け、主催者挨拶で、あってはならない事件への怒りや被害者・ご遺族へのお悔やみや哀悼の意が述べられました。また、神奈川県や国からの来賓からは、お詫びの言葉や、このような事件が二度と繰り返されることのないような対策作りが約束されました。大会の最後に、大会決議文と共に特別決議文が朗読され、採択されました。 特別決議文 津久井やまゆり園で大きな悲しみに襲われました。子どもたちは今回の事件で大きな不安を感じたと同時に、家族・支援者は、この事件での障害のある方の尊厳が今なお軽んじられていることに大きな衝撃を受け、差別や虐待を超越した「障害者なんていなくてよい」という「優生思想」が今なお叫ばれたことに戦慄を覚えました。よって、下記の事項を特別決議とします。 1.このような悲惨な出来事により、障害者を排除する社会に向かわないよう、関係者一同、意を一つにします。 平成28年7月31日 ? 富山県自閉症協会 人は誰しも「弱み」、「不都合さ」を抱えています。また、人それぞれステキな「強み」も持っています。いろいろな人がいるのが普通の社会です。人が影響し合ってステキな社会を作っています。 しかし、自閉症のように「見た目ではわからない障がい」もあります。「わからないこと」は、無理解や誤解につながり、時には対立になります。私たちは、異なる文化を持つ人たちや認知・感覚に特性のある人たちと接することで、多様な価値観を受け入れる寛容性が、私たちの人生を素晴らしいものにしてくれることを学びました。また、自閉症の特性に向き合いながら一生懸命に立ち向かっている本人と家族の姿勢から感動と勇気をもらいました。彼らは、自閉症の特性がある以外は普通の感情を持つ人であり、心豊かな社会を作るかけがえのない存在なのです。 目の前の困っている人の気持ちに寄り添い、その理由に目を向け、想像力を働かせることのできる優しい人が、たくさん増えるとどんなにステキでしょう。 私たちは、障がいのある人も障がいの無い人も相互に理解し、支え合える社会の実現のためにこれからも取り組んでいきます。 ? 富山県重症心身障害児(者)を守る会 日本では勿論、世界でも類を見ない凄惨な事件が起きてしまいました。 障害があっても無くても、人の命の尊さ、重さは、皆同じ大切なもの、その命を奪うことなど、如何なることがあっても許されるものではないと思います。  重症児者は、常日頃から命の危機にさらされ、その度に多くの皆様の献身的な看護・介護によって救われています。たった一つの命を守ることで、社会の皆様に生きる喜びや命の大切さを示しているのです。こんな素晴らしい社会貢献が他にあるでしょうか。  今回は犯人の主張が大きく取り上げられ、その結果、日頃は障害児者に対して全く関心を持たない人までが同調し、それが偏見や差別に繋がってしまうことを危惧してしまいます。  多くの殺人事件の場合、犯人の人権やその家族の守秘義務を守ることが優先され、亡くなった被害者の人権はない。それはあまりにも悲し過ぎます。  実名非公表で生きてきた存在が否定され、亡くなった後も人権がない。それでは何のために生まれてきたのか、親としていたたまれない思いです。  亡くなられた方の死を無駄にすることのないように、この事件を絶対に風化させてはなりません。 ? 富山県障害者(児)団体連絡協議会 障害者の人権や尊厳に関する県民大会の開催にあたり、 相模原市の「津久井やまゆり園」で起きた、障害者殺傷事件から2ヵ月がたちました。 容疑者は、「障害者は不幸を引き起こす」等と話し、差別意識が犯罪の動機の一つとみられています。障害の有無にかかわらず、あらゆる命の尊厳を守る社会の実現に向けて、どうすべきかを私たちは問われています。 障害者差別解消法という法律が出来ても、その国の社会=人の意識が変わらなければ何も変わりません。  19人のいのちは戻ってきません。しかし、私たちは出来ることがあります。この辛い事件を忘れず、すべての障害者が「生きていてよかった」と思える社会をつくることです。 障害者が地域社会の中で、当たり前に生活が出来る社会をつくるために、考えあう、今集会になり、成功裏に終わることを祈念します。 ? 富山県身体障害者福祉協会 去る7月26日、相模原の障害者施設、「津久井やまゆり園」での殺傷事件は、多くの人々を震撼させています。突然、命を奪われてしまった19人の方々に心から哀悼の意を表します。また、命はとりとめたものの心や体を深く傷つけられた方の一日も早い回復を祈ります。 この事件は抵抗するすべのない重度障害者を標的とした類をみない残虐な殺人事件です。私たちは絶対に許せません。容疑者の衆院議長に宛てた手紙文「障害者は生きていても仕方がない」「安楽死させたほうがいい」は、ナチス政権下で繰り広げられた「価値なき生命抹殺作戦」と重なります。ここでの「価値」の基準は、働く能力や社会への負担の度合いとされました。 今回の事件は、こうした優生思想を彷彿させるものがあります。そればかりでなく、かつて国連が明言した「国際障害者十ケ年行動 計画」にある有名な言葉です。障害者権利条約にある「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」(第17条)をも否定するものです。 現在の社会を端的に言えば「格差社会や不寛容社会への急速な傾斜」であり、閉塞感や不透明感を抱く人が増えているように思います。そんな中にあって、社会経済のひずみやしわ寄せが社会的に弱い立場にある者に集中的、集積的に及んでいます。 こうした社会構造の変容と、今回の事件が無縁かどうか市民社会全体として真摯に向き合い問い続けていくべきかと思います。まずは容疑者に焦点を当て、言動の背景や動機など真相の究明を徹底して求めます。そのうえで事件の発生や拡大に現場での不備がなかったか、行政上あるいは政策上の弱点や盲点がなかったか、想定されるあらゆる角度から冷静かつ厳正な検証が図られなければなりません。  心の傷は「津久井やまゆり園」の関係者は言うに及ばす日本中の知的障害者や精神障害者をはじめ、障害のある人すべてに及んでいます。同様に家族皆さんに与えた衝撃も計り知れません。障害のある人や家族のみなさんは、委縮することなく顔を上げていつも通りの生活を送ってください。また支援者のみなさんは、障害のある人や家族に丁寧に接し励まして、個々に応じた特別な支えを心がけてください。地域社会の皆さんにも普段と変わらない接し方を呼びかけます。 19人の命が戻ることはありません。しかし私たちにはできることがあります。それは今回の事件をすべての人々が大切にされるインクルーシブ(わけ隔てのない社会)をつくるための新たなきっかけにすることです。このことを市民社会みんなで追求していくと共に、私たちとしてもこれまで以上に主体的に取り組むことを決意します。 ? 富山県精神障がい者団体連合会 今回は痛ましい事件が起きてしまいました。被害にあわれた方のご冥福をお祈りしますとともに、ご家族の皆様には心からお悔やみ申しあげます。命はその存在があるというだけで尊重されるべきものであり、この世に生まれて生きている事には、理由や価値があり、生きているだけで人を幸せにすることができると思います。同じような事件が起きない事を願います。 そして、この事件によって障がい者に対する、差別・偏見が増幅しない事を切に願います。何かあると「精神障がい者は」と世間一般では言われ、悲しい気持ちになります。今回の事件の犯人は、措置入院をしていたという事でしたが、私たち精神障がい者と同一に捉えて欲しくありません。全ての精神障がい者が犯罪を起こすわけではないと言う事を分かって頂きたいです。 障がいや年齢に関わらず、地域の中で助け合って互いに声を掛け合える関係があることが私たちの生活には大切です。この事件によってそれがますます難しい方向になっていくのではないかと危惧しています。障がいの有無に関係なく命を大切に「生きる」という事を社会全体で考えていかなくてはいけないと思います。 ? 富山県精神保健福祉家族連合会 国連障害者権利条約が批准され、「障害者差別解消法」「富山県条例」が施行されて、障害による差別のない社会に向けて歩み始めた矢先に起こった、今回の事件に大きな衝撃を受けています。被害にあわれて亡くなられた方々に、心よりご冥福をお祈りし、ご家族の皆様にはお悔やみ申し上げます。また、傷害をうけられた方がたの一日も早い回復をお祈りします。 精神障がい者を身内に抱える家族の立場からは、受け入れできないショックでした。容疑者に精神科入院歴があったことから、全ての精神障がい者が危険視され、差別、偏見が強まるのではないかと危惧しています。精神障がい者は、病気による苦しさと世間のうわさ、そして生活することの生きづらさと三重苦の中で、懸命に生きています。 厚生労働省の検討では、措置入院のありかたや、退院後の監視を強化する方向が言われています。措置入院は、症状による自傷他害の恐れがある場合に限り治療がおこなわれ、退院後は安心して生活していける支援体制がなければ意味がありません。地域住民と行政、福祉、医療がつながった支援が求められています。今回の容疑者は、「障害者はいなくなればいい」といった特異な考え方をもっており、これは精神科の治療では治りません 此の度の事件の動機や対応について正しい検証、報道を関係者に求めたいと思います。 障害者が、安心して生きていける社会に向けて、今回の事件をきっかけにして運動をさらに強化していく決意です。皆様のご支援ご理解をよろしくお願いします。 ? 富山県知的障害者福祉協会 平成28 年7 月26 日未明、神奈川県「津久井やまゆり園」において、施設を利用されている方が刃物で切りつけられ、19 人が亡くなり、27 人が重軽傷を負うという大変痛ましい事件が発生しました。 亡くなられた方とご遺族、関係者の方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、負傷された方の一刻も早い回復と、その場に居合わせた方々が一日も早く以前の暮らしに戻り心の傷を癒せるよう願ってやみません。 事件の容疑者は同施設の元職員ということが明らかとなり、障がいのある人の存在や人格を否定する供述をしているとの事ですが、罪もなく抵抗も出来ない多くの人達の命を奪った卑劣で残忍極まる事件に強い憤りを禁じ得ません。 事件の詳細は今後の捜査によって明らかにされるものと思われますが、障がいの有り無しで命を選別することは、絶対にあってはなりません。どんなに重い障がいのある方も同じ地域の一員です。この世に生を授かった誰しもが楽しく幸せな生活を求め、共に支えあう社会の実現を心より願っています。 あらためてこのたびの事件でお亡くなりになられた方の尊い命に哀悼の誠を捧げますとともに、障がい福祉サービスを利用されている方の不安が増幅されることのないよう、私たち福祉施設も日々の取り組みに万全を期し、広く県民の皆様への障がい福祉の理解の促進に努めていきたいと考えております。 最後に、今後二度とこのような凄惨で悲しい事件を繰り返さぬよう、県民の皆様の障がいのある方へのご理解と、障がい福祉へのご協力を切にお願い申し上げます。 ? 富山県聴覚障害者協会 「津久井やまゆり園」で起きた痛ましい事件を受け、犠牲になられた方、そのご家族、関係者の皆さんに、深く哀悼の意を表します。 このような痛ましい事件が二度と起こらないようにするにはどうしたら良いでしょうか。私たち一人ひとりの心に問いかけられています。また社会全体で考えていくことを問いかけられていると思うのです。 津久井やまゆり園に暮らす障害者には、聴覚に障害を持った方、意思疎通に困難を抱えている方もおられることと思います。それぞれの人生を持ち、聞こえない・聞こえにくい障害を理解し、音声情報へのアクセス保障、かつその人にあった意思疎通の支援方法により、地域で暮らす一人として人間らしく生きることができます。  聞こえないから仕方がない、ではなく、目の前に聞こえない人がいて、関わることになった。そのことから逃げないで、関わっていこうとする姿勢のもとに、身振り、文字、絵、指さし、表情、手話等を用いることを知って頂きたいと思います。 どのような障害があれ、私たちと一緒に生きていること、関わる機会があるときはきちんと向き合うこと、そのための様々な支援があること、支援がきちんと使える社会になることをめざして、皆さんとともに頑張りたいと思います。 ? 富山県手をつなぐ育成会 中村 章子さん  私は、 富山県手をつなぐ育成会 本人部会の 中村章子です。 神奈川県の事件は、とても 酷いことだと 思いました。 被害者の人たちのことを 考えたら すごく 悲しく 思います。 わたしは、 障害があることで  ひどいことを言われて  バカにされたり、いじめのせいで 普通学校に行けず、 とても つらかったです。 今は NPO法人 えいぶるの 高福レストランで 働いています。 とても やりがいのある仕事です。 また、育成会の 本人活動で 友だちが たくさんできました。 本人活動をしている時が いちばん 楽しいです。 育成会の大会や 全国大会で、いろんな 役割担当をしたことで、 自信が出てきて、自分の意見を 言えるようになりました。 本人活動や、地域の活動に 参加している 今のほうが、いじめられて とじこもっていた時よりも、親切にしてくれる人や話しかけてくれる人が、ふえてきたと思います。 私は、将来、 一人暮らしをしてみたいです。 また、いつかは 好きな人と 一緒に暮らせたらいいな と思っています。 好きな人と 安心して 暮らせる 町になってほしいと思います。                                                                                                                                                                                                                                        ? 串岡 達也さん 僕は、富山県手をつなぐ育成会 本人部会の 串岡達也です。 スーパーで 働いています。 仕事中、わからないことが あったり、できないことが あったりして、困ることもありますが、 職場の人に 教えてもらって、頑張っています。 趣味は 鉄道や、写真です。 ipad を 使うことも 得意です。 趣味を とおして できた 友だちと 一緒にいる時が、一番楽しいです。 仕事のあとに 友だちの車に 乗せてもらって、貨物列車の 撮影にいくこともあります。 友だちと一緒に  鉄道旅行にも 行きます。 神奈川県の事件は、とても  くやしくて、 残念だと思います。 警備システムが うまく はたらかなかったのが 不思議です。 僕は、将来、 すきな人と結婚したいと 思っています。 障害があっても 家族や 子どもを もちたいと 思っています。 だから、仕事も 頑張っています。 障害があるからといって、 いらない人だというのは おかしいと思います。                                                                                                                                                                                    ? 坊坂 隆さん 僕は、富山県手をつなぐ育成会 本人部会 会長の 坊坂 隆 です。 会社では、なかなか 人となじめなくて つらいこともありますが、 毎日、一生懸命 仕事を頑張っています。 休日は、日帰り旅行をしたり、 家で音楽を聞いたり、DVDを見たりしています。  カラオケや ボウリングも 得意です。 将来、 自立して、 ひとりで生活していくために、 自分で できることを ひとつ ひとつ 練習していこうと 思っています。 神奈川県の事件は、本当に信じられませんでした。 なぜ、障害者が 殺されたのかと、 とても ショックでした。 僕は 植松容疑者は 絶対に 許せません。 あなたは、それでも 同じ 人間か!! と、言いたいです。 8月7日に 富山県育成会の 本人部会がありました。 その時に、全国育成会の 久保会長の メッセージを読み、 みんなで 事件について 自分の気持ちを 書きました。 みんなが書いたものの中から、 ひとつ 僕が 代りに読みます。 こんなことがあると、 「自分は、いても いいのだろうか」 と、 不安になることがあります。 でも、 まわりから 「守られている、 認められている」 と、思えると、 自分自身や、周囲の人々を 大切にしようという 気持ちを 改めて 持つことができます。 僕たちも みんな 同じ 気持ちです。 この事件は、 同じ障害者として 不安な気持ちになりました。 障害者は いなくなればいい、という言葉を聞いて、自分の事を 言われているように 思いました。 お互いが 認めあって、 安心して暮らせる 明るい社会にしてほしいです。                                                                                                                                                              ? 浅岡 由木子さん  神奈川県で起こった事件は、こわい事件だと思いました。  ぜったい、人をころしたらだめだと思います。  人(ひと)ごろしなんかない、おだやかな生活をおくりたいです。  みんなが、楽しくて、平和にくらしてほしいと思います。  私は、毎日、けやき苑にかよって、作業をしたり、よか活動で、 トーンチャイムやアレンジフラワーをしています。  こんな生活がずっとつづけばいいと思います。 浅岡 美和子さん 津久井やまゆり園の事件を知った時は、言葉にならないくらいのショックを受けました。 容疑者が、元職員であったこと、障がいのある人とかかわってきて、どうして愛情が持てなかったのか、命を奪うという恐ろしい行動まで起こしたのか、とても信じられないと思いました。 そんな辛い気持ちでいる時に、テレビで全育成の久保会長が声明文を読み上げられるのを聞きました。とても早い対応でした。「私達は一人じゃないんだ。全国の沢山の仲間に支えられている…」と涙が出るほど感激しました。 38年間、娘を育ててきて、最初は戸惑うこともありましたが、障がいの子を持つ多くの親の思いがそうであるように、この子は家族にとってかけがえのない大切な存在です。純真でまっすぐな心にいつも癒され、救われてきたように思います。 世間の皆さんにお願いしたいのです。 障がいを持っていても、生きていきやすい世の中になるよう見守ってやって下さい。 どうか宜しくお願い致します。 ? とやま発達障がい親の会  たいていの保護者の方がそうであるように生まれてくる我が子は、健康で元気いっぱいに生まれてくると信じているのではないかと思います。  発達障がいの子ども達は、生まれたときは定型発達の子ども達と変わらないように見えますが、その途中から保護者は育てにくさを感じるようになったり、子ども達は生き辛さを感じるようになったりすることがわかってきました。自分では自分の生き辛い思いを訴えることができず、不適切な表現方法しかできない子がいるのではないかと思われます。そのような子ども達を見て、「親の躾が悪い」と言ってしまうのは簡単です。ですが、もしかしたら「生き辛い何かがあるのかな?」「困っているのかな?」と想像することが出来たら…。  「共に生きる社会」と口で言うのはとてもたやすいことです。でも、その実現には県民一人ひとりの考え方を少しずつ変えていく必要があると感じています。そのために、まずは一番小さな社会である家庭の中で話をしていただきたいと思っています。  「お父さんが病気で寝たきりになったらどうする?」「私の生んだ赤ちゃんが障がいを持っていたらどうする?」そんな会話が、普通にできる家庭(一番小さな社会)から、大きな社会が形成されていくと思うのです。  家族の大事なお父さんが寝たきりになったら嫌いになるでしょうか?大切な我が子が産んだ赤ちゃんが障がいを持って生まれてきたらそれは自分にとって忌むべき存在の孫になるでしょうか?きっとそんなことはないと思うのです。大切な家族が置かれた状況が、その家族のすべてとなり、その家族の当たり前の日常となると思うのです。  他人事ではない日常の毎日が、もしかしたら我が家のお隣やご近所で繰り返されているかもしれません。その集合体が、きっと社会だと思うのです。  障害のある人もない人も、共に生きやすい富山県は、ちょっとの思いやりの積み重ねで実現可能であると感じています。                                                                                                                                                                                                                                     ? 富山盲ろう者友の会 7月26日未明に発生した、障害者施設殺傷事件に関する報道に接し、ただただ驚愕と不安を禁じえません。障害者の人権や尊厳を否定するような動機から行われたということで、こうした悲惨な事件をきっかけに、障害者への偏見の増加をもたらすのではないかと危惧しています。昨今の効率優先、経済優先の社会において、一人一人の人権や尊厳が軽視される傾向にあるのではないかと思われます。 どのような障害があっても、人として人権が尊重される社会であってほしいと願っています。 最後に、被害にあわれた障害のある当事者、そのご家族に哀悼の意を表するとともに、私たちは広く社会に障害者の理解と支援の輪を広げたいと願っております。 ? 難病ネットワークとやま 第2次世界大戦当時、まず精神障害や難病の患者が「役立たず」として抹殺され、この経験を元にやがてユダヤ人の大量虐殺が始まった。さらに衝撃的であったのは、抹殺する患者を「判別」したのは患者を救うはずの医師や看護師であったことだ。彼らはなぜ平気で人を殺す手助けができたのか。 難病(希少・難治性疾患)は遺伝子レベルでの変異が一因であるものが少なくなく、人類の多様性の中で一定の割合で発生することが必然であり、その確率は低いものの国民の誰にでも発症する可能性があることから、難病患者家族を社会的に包含し支援していくことが、これからの成熟した我が国の社会にとってふさわしい認識である。難病とは「治りづらく」(医学的側面)、「生きづらい」(社会的側面)ものの総称である。 障害者、難病患者を含めた全ての人が、人としての尊厳を持って生きることは、平和につながる大事なことである。 ? 日本ダウン症協会富山支部 生まれた子に障害があることを知ってから、親は常に健常と呼ばれる大多数の子や大人との間の壁を感じるに違いない。そうした壁を取り払おうとするいくつもの啓発やアクションがあり、国も自治体も、施策や事業でそれを推進している。数十年前に比べれば、障害のある人たちを取り巻く社会的環境は整えられつつあると感じる。日本は「障害者権利条約」を批准し、国内では今年4月から「障害者差別解消法」が施行された。  しかし、相模原の事件は、社会環境の整備とは別次元の問題を露呈した。心の奥底に障害者を差別し、蔑み、疎ましく思う心があり、それを正当化し、その異常さを認識できないまま更に拡大させ止められない傾向にある人が少なからずいることを示した。世の中に自由を尊重し価値観の多様化に寛容な思想が広まる中、過激な行動をどのようにして防ぐことができるのか。それは教育の問題なのか、それも含めた根深い社会の問題なのか……。  差別は明らかに心の問題であり、制度や形が整えられることに心の整備が追い付いていないのが現状である。障害のある人を含め、誰もが自分らしく生きられる社会であることを願わずにはいられない。 ? 日本てんかん協会富山県支部 神奈川県相模原市の、知的障害者福祉施設で19人が刺殺され、26人が負傷した事件について、強い憤りと深い悲しみを表明します。わが国では、憲法や、障害者差別解消法などで、老若男女、障害の有無や種類、程度など、いかなる立場にあろうと、平和に生きる権利が保障されているはずです。 しかるに、「重度障害者は社会の邪魔者だ」と言わんばかりの蛮行には耳を覆い、目を塞ぎたくなり、寒気がして吐き気すらもよおすほどの思いにとらわれます。本当に人間の仕業かと疑いたくなるような事件です。このことで、懸念されることは、障害者がますます強固に隔離されたり、社会参加の機会を奪われたりしないかということです。私たちの自由な行動が脅かされたり、一部の弱い人たちが攻撃にさらされることが増加することだけは阻止しなくてはなりません。また、今一度、私たちの周りで、様々な施設で、あるいは一人一人の心の中で、障害をもつ人たちへの差別的言癖や虐待につながる行動がなされていないか検証していかなくてはならないと思います。  私たちは、改めて、すべての障害のある人たち(認知症も含む)が、堂々と社会参加していける社会をめざして行動していくことの必要性を強く、強く、感じます。二度とこのような事件を起こさせない社会づくりに少しでも寄与していきたいと願っています。 不幸にも殺害された方々のご冥福をお祈りするとともに、負傷されたかたをはじめ、関係する方々の心の傷が、1日も早く癒されることを願っています。 ? 日本リウマチ友の会富山県支部 障害を持つ多くの人々には様々なハンディキャップがあります。そのような状態でも、ありのままを受け入れ、誰かのために役立ちたいとボランティアをしている人がいます。また、スポーツ等では、夢と希望を持ち、輝かしい活躍で充実した日々を過ごしている人も大勢います。障害者は社会から偏見の目で見られることが多く、困っている人、可哀想な人と思われがちですが、心まで障害者ではなく、一生懸命頑張って生きています。 今年4月には障害者差別解消法が施行されました。法律が施行されたからといって今すぐ差別がなくなるものではありません。障害者差別をなくするには、常日頃より家庭や学校生活、社会生活の中で障害の有無にかかわらず、一人ひとりを尊重することが自然に備わってくるような社会づくりを進めていくことが大切ではないか、と思います。 患者会も社会に、私達の存在を知ってもらうよう行動することも必要になってきます。共に支え励まし、心の拠り所となる患者会の役割を果たしていきたいと思います。 違いを認め合い、誰もが輝く社会の実現を目指してまいりましょう。