縄文時代<6>

きょぼくのりよう
巨木の利用    

 縄文時代の豊かな森林資源や磨製石斧の普及は、”巨木文化”ともいわれる特殊な技術を発展させました。井口村の井口遺跡(後期)では直径1mの柱穴が10個,直径約8mの円形に並ぶという遺構が発掘されました。また、富山市の古沢A遺跡(晩期)では直径が約1mの柱穴が4個一対で方形に配置された遺構が2基みつかつています。いずれにも直径が数十cmの丸柱が建てられたとみられます。  
 小矢部市の桜町遺跡(中期)でも昭和63年の調査で環状にめぐる巨木遺構がみつかりました。さらに、全長3mの中央部に貫通した穴をもつ柱も出土しました。稲作以前の高床建築の存在を示す資料として注目されています。  
 巨木の類例は石川県の新保チカモリ遺跡(中期)や真脇遺跡(後・晩期)などでみつかっており、前者では直径85cmの木材が半截され、半截面を外側にして直径6.5mの円形に10本並べるという構造を持っています。特殊な祭祀の場所や集会場ではなかろうかと推定されていますが、富山湾を中心とした日本海側に広がる巨木を利用した特殊な文化ということができます。

 


古沢A遺跡でみつかった巨木遺構


桜町遺跡では木材を用いた道具や柱などが出土しました
(昭和63年調査)
 
上空からみた桜町遺跡                巨木を用いた柱

ほぞ穴があけられた高床建築の部材

住居跡の発掘状況