縄文時代<4>

じょうもんのじゅうきょとむら
縄文の住居とむら     

 縄文時代の―般的な家は竪穴住居で、直径が3〜4mの円形に地面が掘り窪められ、数本の主柱と棟持柱に垂木がわたされ、草木などで屋根が葺かれるという構造になっています。家の中には石囲い炉が普通は1箇所設けられました。住居の平均面積は20平米程度であり、4〜5人ほどの家族が住まいしていました。
 ひとつのむらはこのような竪穴住居が4〜5棟で構成され、中央の広場を囲むように家が建てられていたという景観が一般的です。―時期のむらは人口がだいたい3O人程度で、食料を追い求めて、ある程度の季節的な移動生活をしていたと考えられています。
 富山県では大門町の串田新遺跡(国指定史跡)、富山市の北代遺跡(国指定史跡)、小杉町の水上谷遺跡(県指定史跡)などで多くの住居跡が発掘されています。また、朝日町の馬場山G・D遺跡では丘陵上に並ぶ数棟の竪穴住居跡がみつかっており、ひとつのむらの様子が復原可能となっています。

* Q&A
問:竪穴住居は床に水が侵入しそうですが、大丈夫だったのですか?
答:居住区の立地を十分に考えて、水はけのよい土地を選んで建てているので、床がじめじめと湿っていることはなかったようです。


竪穴住居でのくらし

 
縄文時代の集落跡(馬場山D遺跡) 竪穴住居跡(東黒牧上野遺跡)

縄文時代

 

早 期

前 期

中 期

後期

晩期
 


















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