古代<4>

たてあなじゅうきょからほったてばしらたてものへ
竪穴住居から掘立柱住居へ   back

 畿内では7世紀に竪穴住居から堀立柱建物(ほったてばしらたてもの)に変わり、東国では8世紀の後半に掘立柱建物が普及し始め、竪穴住居と併存しながら徐々に増えていっています。富山県では上市町の東江上(ひがしえがみ)遺跡で7世紀末の8棟の掘立柱建物が、小杉町の黒河尺目(くろかわしゃくめ)遺跡では8世紀の掘立柱建物が、魚津市の佐伯(さえき)遺跡では9世紀の掘立柱建物が26棟もみつかり、富山市の総合運動公園内遺跡群では9世紀からlO世紀にかけての掘立柱建物群からなる集落跡がみつかっています。一方、小杉町の流通業務団地内のいくつかの遺跡からは小規模な掘立柱建物がいくつもみつかっており、須恵器生産などに携わった工人の住居と考えられています。
 富山市の呉羽小竹堤(くれはおたけつつみ)遺跡は呉羽山丘陵から北側にのびる舌状台地上にあり、8世紀からl0世紀の中頃までの農村集落跡です。17棟の竪穴住居とl4棟の掘立柱建物がみつかり、多くは2間×3間の規模でした。また、2間×2間の小規模なものは台地の縁辺に築かれており、倉庫と考えられています。竪穴住居には中央近くに円形の穴が掘られ、鉄滓(てつさい)や羽口(はぐち)が出土していることから鍛冶(かじ)工房跡と考えられています。刀子(とうす)や鎌などの鉄器も出土しており、農村集落での農具の生産状況などがわかりました。

*「掘立柱建物」
 主柱を直接,地面にあけられた穴の中に立てて建築した木造の建物。基盤の柔らかいところでは、底に板などが敷かれる(礎板)場合もあります。耐用年数は20〜30年と言われています。


栗山楮原遺跡の平安時代集落


黒川尺目遺跡の掘立柱建物や溝跡


呉羽小竹堤遺跡の遺構の分布


竪穴住居跡


掘立柱建物