縄文時代<8>

ひすいのたま
ヒスイの玉     

 宮崎海岸に面する丘陵上にある朝日町の境A遺跡は昭和58年から6O年にかけて発掘調査された、縄文時代の中期から晩期までにおよぷ集落跡です。 数多くの遺構や遺物がみつかりましたが、とりわけ蛇紋岩製の石斧とヒスイを用いた玉類が多量に出土し、”石器製作工人のむら”が現れました。 ヒスイの玉類は大珠(たいしゅ)、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、抉状耳飾(けつじょうみみかざり)、垂玉(すいぎょく)などに分類され、竹などの柔らかい道具で垂飾のための孔があけられています。また、多くのヒスイ原石や製作途中の製品に加えて、仕上げ用の砥石なども出土しており、製作工程を知ることができます。このような遣跡は新潟県の姫川や青海川の近辺にかけて分布しており、ここで生産されたヒスイの玉製品は日本列島の各地に運ばれていきました。 氷見市の朝日貝塚(国指定史跡)からは中期のヒスイ大珠がみつかり、国指定の重要文化財となています。カツオ形をし、長さl9.5cmでほば中央に孔があけられています。日常生活で使用する装飾品と考えるより、権力の象徴として使われたと推定されています。
富山県での玉の移り変わり