雪の面白講座

富山県内の雪がつく地名など

雪見ケ岡(ゆきみがおか)(高岡市)
南北朝時代の興国3年(1342)後醍醐天皇の皇子で歌人の宗良親王はひそかに奈呉(なご)浦(旧新湊市)の辺りに潜伏して南朝のために尽力しました。旧新湊市に隣接する高岡市下牧野・上牧野の地をその遺跡地と伝承し、上牧野には文化7年(1810)の「樸館塚」の碑が建ち、海保青陵の撰文を刻みました。下牧野には「故さとの人に見せばやたち山の千とせふるてふ雪のあけぼの」など四首を刻んだ歌碑が建ちます。立山の歌にちなみ、この丘を雪見ケ岡と称しました。明治33年(1900)庄川・小矢部川両川分離河川工事のため、古来の雪見ケ岡は水没し、現在の碑・寺などは若干東に移転いたしました。
「富山県の地名((株)平凡社)より抜粋」
雪舟田(そりだ)(旧井波町)
腰まで沈む沼地状の水田であったので、刈り取った稲は「田舟」に乗せ、そりを引くようにして運んだ土地です。五反坪と隣り合った場所で、その一部は現在東洋紡績工場、文化センターの敷地となっています。
「地名の由来と伝説(井波町教育委員会)より抜粋」
雪見橋(ゆきみばし)(富山市)
富山市の砂町・石倉町と、向川原町の間のいたち川に架かる橋です。かつては単に大橋と呼び、富山城下最大の橋でした。慶安年間(1648〜1652)の架設と伝えられています。北陸街道の道筋にあって橋場所が置かれていたので、人の出入りが多くにぎわいました。明治25年(1892)木鉄混製の釣橋に架け替え、雪見橋と改称しました。その由来は、南画の大家である池大雅が、北陸巡遊中の宝暦10年(1760)、大橋上から雪を抱く立山連峰の雄姿に接し、筆をとったという古事によります。大正8年(1919)永久橋に架け替え、さらに昭和50年(1975)に至って、拡幅工事とともに、名称にふさわしい模様替えを行いました。
「角川日本地名大辞典16富山県((株)角川書店)より・一部加筆」
雪倉岳(ゆきくらたけ)(朝日町・旧宇奈月町)
下新川郡朝日町・旧宇奈月町境界未定区域と新潟県糸魚川市との境界にある標高2,610.9mの山です。白馬岳の北方で巨大な山容を示し、江戸期には越中側からは鉢ケ岳(はちがだけ)と呼んでおり、今日のものとは入れかわっています。「改訂越後頸城(くびき)郡誌稿」には雪倉岳の項に「蓮華(れんげ)山の東北に在る別峰にして越中に界す。此山往古より銀山と称す。天保年間(1830〜1843)鉱業を試ると雖(いえど)も今は廃坑たり」とあり、銀を産出していたことを記しています。白馬岳から朝日岳へ向かう登山道に当たり、鉢ケ岳との鞍部には避難小屋があります。
「角川日本地名大辞典16富山県((株)角川書店)より・一部加筆」