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三島野の農地を潤す 十一ヶ堰(射水市)


水不足の回避と水害からの脱却、肥沃な農地の開発を目指して

十一ヶ堰

 射水市布目沢地内の一級河川庄川水系和田川の中流部に設置された大きな水門があります。これが十一ヶ堰の大戸水門です。
 十一ヶ堰のある和田川は、その源を牛岳の麓にある旧山田村(現在の富山市山田今山田)の渓谷に発する小さな河川です。途中、いくつかの小流が合流するものの水量は少なく、流域の三島野(現在の大島、大門一帯)の農民は水不足に悩まされていました。水に対する過酷な状況から「両岸に繁茂する柳の葉に宿る露をも不足水源の足しとするために刈り取りをしてはならぬ」との古老の言い伝えがあったほどです。
 一方、和田川は丘陵や台地の間を蛇行しながら流れるという地理的な要因から、ひとたび大雨が降ると、両岸の高台から多量の雨水が流れ込み氾濫を起こすため、洪水被害にも悩まされてきました。
 この水不足による争いの回避と、水害からの脱却、肥沃な土地である三島野の開発のため、寛永15年(西暦1638年)和田川の旧大門町円池地内(現在の射水市円池)に草堰を設置し、新たに用水が開設されました。この草堰が十一ヶ堰の最初の姿です。
 ちなみに、開設当初、この用水は「和田川用水」という名称でしたが、三島野にある市井・開口・上若林・竹鼻・本江・中村・二口・棚田・安吉・本田・下若林の11の村々の田畑をかんがいすることから、「十一ヶ用水」の呼び名で親しまれてきました。


時代と共に、新しい施設の造成

管理事務所と西部取水口
管理事務所と西部取水口
中央管理所全景
中央管理所全景

 その後、和田川は周辺台地の開発と共に流量も増加し、十一ヶ堰も草堰、鎧堰から、鉄筋コンクリート製へとより頑丈な構造に改良され、さらに国営射水平野農業水利事業及び県営和田川総合開発事業により昭和51年度に鋼製ゲートで作られた現在の姿となりました。設置された場所も、当初、草堰が作られた円池地内から70メートル下流の布目沢地内に移りました。
 十一ヶ堰の管理は、その恩恵を受けていた旧小杉町・旧大門町・旧大島町で組織された管理組合により行われていましたが、国営事業以降、国からの委託により射水平野土地改良区が管理を行なっています。当初、大戸水門と併せて造成された管理事務所で水門の操作を行なっていましたが、平成3年から平成12年にかけて行われた国営総合農地防災事業により排水機場が整備された際、射水平野土地改良区の事務所に併設された中央管理所で大戸水門と取水門の集中管理が行なえるようになりました。

大戸水門から遠く離れた場所から管理できるんだよ。


地域との共生生活に潤いを与え、親しまれる用水として

舟甲山和田川神社
舟甲山和田川神社
魚道
魚道

 十一ヶ堰の近くには、宝永6年(西暦1709年)に創建された用水守護神を祀る舟甲山和田川神社があります。十一ヶ堰の名前にちなんで、毎年8月11日には射水郷の用水と十一ヶ堰及び洪水渦からの安全を祈願する例祭が行われています。
 また、平成7年には県の農業水利施設魚道整備促進事業により魚道が設置され、サクラマス等の遡上性魚類の資源増殖と保護が図られています。
 先人が守ってきた十一ヶ堰は、今も、西は庄川から東は新堀川の間にある、約1,600haの農地をかんがいしています。農村部だけではなく都市部も流れ、農業のためだけではなく、地域住民の生活にも潤いを与えています。

土地改良用語辞典 草堰(木杭やそだ木、土俵等を積み上げて作られた堰のこと)、鎧堰(木杭を河床に打ち込み、低木や中木を編むように階段状に重ねて作られた堰のこと)