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庄西用水の水路網


大地を潤す4水路

庄川

 庄西用水土地改良区は、砺波市庄川町金屋付近を頂とする砺波平野扇状地のうち一級河川庄川左岸の北東部に位置する約5,000ヘクタールもの広大な耕地を潤す幹線用水路を維持管理しています。
 これらの水路は、幾多の曲折を経て、昭和14年に完成した「庄川用水合口堰堤」(平成16年国の登録有形文化財に登録)から取水し、千保柳瀬口用水、舟戸口用水、新又口用水及び若林口用水の4系統で区域内を北上し、それらの総延長は、約90キロメートルに及んでいます。こうした用水網は、かんがいに利用されるとともに、防火、消流雪、生活用水として、砺波平野の散居景観を形づくるうえでも大きな役割を果たしています。
 ちなみに、砺波市のチューリップ公園内の五連水車やカモがくつろぐ池には、新又口用水の水が取り入れられています。

チューリップ公園の池
チューリップ公園の池

加賀藩の治水工事とその後

松川除の前堰(まえぜき)。
松川除の前堰(まえぜき)。
堰の根固めとして松の木、
数百本が植えられました。
若林口用水旧入の一部(昭和11年)
若林口用水旧入堰の一部
(昭和11年)

 かつての庄川は、砺波平野を幾筋にも分かれ、洪水のたびに移動しながら流れていました。1586年に起きた天正の大地震で川筋を東へ大きく移し、今の庄川が流れているあたりに流れの中心が移っていきましたが、治水上、不安定な状態は続いていました。
 加賀藩三代藩主前田利常は、砺波平野全体を水害から守り、庄川扇状地の新田開発を進めるとともに、下流部で造営が進められていた瑞龍寺への浸水防止を図るうえからも庄川河道を固定化するため、庄川扇頂部の弁財天前で、俗に「松川除(まつかわよけ)」と呼ばれる大堤防の築造に着手し、一連の工事は幕末まで続きました。
 これにより、扇状地内の農民たちは自然流を用水路に改修し、川筋に開田を進めていきました。こうした新田開発は、今でも「○○新」や「○○出」などの地名として名残をとどめています。
 その後の農業用水は、用水毎に、庄川本川に蛇かごなどで川を堰止めて取水していたものの、石積み等で作られた水路では漏水が激しく、下流までの送水が困難な状況が昭和初期まで続きました。

舟戸口用水旧取入れ口付近図(入道忠靖氏所蔵)
舟戸口用水旧取入れ口付近図
(入道忠靖氏所蔵)

用排水路網の整備と次代への継承

庄川用水合口堰堤
庄川用水合口堰堤

 昭和14年に「庄川用水合口堰堤」が完成しましたが、各用水路は未整備のままでした。しかし、戦後、経済の復興期に入ると、当改良区内においても県営かんがい排水事業等により近代的な農業用用排水施設の整備が順次進められたことによって、農業用水の安定確保、維持管理に要する労力と経費の軽減が図られました。
 近年、流域の都市化が進み、排水の流出形態が変化し、豪雨時に農地や農作物、住民生活に溢水・湛水被害を生じさせています。こうした状況を改善するべく、地区内の排水機能を回復させるため、国営総合農地防災事業 庄川左岸地区が平成21年度に着手しました。
 併せて、築造後50年以上が経過し、長年の流水による摩耗や漏水等が進んでいる既存水路の補修を目的とする県営基幹水利施設ストックマネジメント事業 庄西1期地区も昨年度から始まったところです。
 このようにして、先人の労苦の結晶である、この地に張り巡らされた用排水路網が維持されてこそ「カイニョ」とよばれる屋敷林に囲まれた農家が点在する美しい景観もまた次代に引き継がれていくことができるのです。

土地改良広辞苑