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カモ親子の農村日記
上市川沿岸用水
上市川沿岸用水の地域概要図
[上市町釈泉寺]

円筒分水槽による農業用水の安定供給


円筒分水槽全景

江戸時代の用水事情

 上市川の沿岸域では、豪雨時に水害で川の流れが変わり、また、夏期には深刻な水不足に悩まされて、水争いが絶えなかった。江戸時代初期には、極楽寺付近から湯上野、稗田、正印、川原田から白岩川に合流するものと、北島、上市、郷柿沢、森尻新から郷川に合流する二つの流れる道筋があり、洪水のたびに本流が左右に変わっていたという。
 度重なる大洪水によって郷川に合流する流れが主流になり、このとき、10村役を務める正印村次郎兵衛によって、極楽寺と北島に二重の堤防を築き、白岩川に流れ込む道筋を締め切り、現在の流れの道筋が確定した。
 これにより、これまで上市川から水を取り入れていた用水路の切り替えや、用水区域変更が行われ、上市川筋用水から水を取り入れている村々によって28ヶ用水組合ができ、水利権と用水管理が定まったと思われる。
 28ヶ用水では、用水の取り入れ分水などの管理については、水を請ける村を組として、村肝煎や組合頭などから選ばれた江肝煎によって採決された。明和8年(江戸時代中期)ひでりで長い間雨が降らない日が続き、上市川の水量が大幅に減ったことから、番水制が定められた。
 この制度は、通常は各村単位で輪番でかんがい用水を流し、渇水時には各用水ごとに、調整するものであった。さらに水量が減少した場合には、28ヶ村が協議して、それぞれの地区が、順番で限られた時間だけかんがいする方法がとられた。また、取水口には、水下の村と違う村とが立ち会うことが定められており、水争いが厳しかったことをうかがわせる。

円筒分水槽の造成と特徴

「県営上市川沿岸用水改良事業」(昭和24年8月) 上市川流域は県内有数の干ばつ地帯として知られ、水争 いは円筒分水場が完成するまで続いたといわれる。

 この様に、水不足と水争いに悩まされていたことから、昭和26年分水の為の水利組合が組織され、8ヶ年を費やして農業水利施設(円筒分水槽)を完成した。
 この事業は、用水路の改修を目的とし、上市川上流の釈泉寺に頭首工を設け、共通幹線水路を経て円筒分水槽で右岸及び左岸幹線水路へ分水するものである。(分水比右岸49% 左岸51%)この円筒分水糟の特徴は、
・中央の円筒の立ち上がり部を半径3mに拡大しサイフォン管から中央の円筒へ転向する際に発生する水の溢流を防止している。
・溢流円筒の溢流頂は鋼板で保護している。
 このことより上流からの水量の変化に影響されることなく、公平に用水上市町を分配している。
 そして、右岸幹線水路は、上市川の河床下を逆サイフォンで横断(L=100m)して右岸の水路に接続している。
 この円筒分水方式は、富山県では数少ない工法であり、施工後50年以上経過した現在でも、なんら支障なく安定した用水の供給に貢献している。
 先人の卓越した技術と熱意の中で誕生したこの施設は、迫力があり、水の流れがとても美しいことなどから、平成18年4月に「とやまの名水」に、また平成22年3月には「とやまの近代歴史遺産百選」に選定される等、永久に保存されなければならない農業水利施設である。

円筒分水槽の構造



土地改良広辞苑
肝煎(きもいり)

双方の間を取りもって心を砕き世話を焼くこと。また、その人。
江戸時代、村役人をいう。

輪番(りんばん)

大勢の人が、順を決めて交替で事に当たること。まわりもち。まわり番。

サイフォン

大気圧を利用し、液体をその液面のはじめの位置より高い所へ持ち上げた後に低い所に移す、曲がった管のこと。