カモ親子の農村日記

南砺用水
なんとようすい
南砺市 井波・井口・城端

砺波平野の南東部、八乙女山や高清水山などの山麓地帯では、農業用水が山々からの小さな渓流のみで、安定した補給水源の確保は農民の長年の悲願でした。昭和30年代、御母衣ダムの築造、和田川・小矢部川の総合開発計画をきっかけに山麓一帯の用水不足解消の動きが強まり、昭和40年から工事を開始。昭和48年、多くの山や谷を貫き、水路トンネル・サイフォン・水路橋等が数多くある総延長12.9m3の用水が完成。今では、豊かな水に恵まれた水田地帯となっています。

 南砺の山里を
 豊かな田園地帯に
 変えた
 念願の水路。


[作成:平成21年3月]
 

南砺用水
▲南砺用水路



「昔は、どうやって水を引いてたんだろう?」

「小さな谷川の水を大事に大事に使ってたんだ。でも、それじゃあ全然足りないから、水争いが起きていたんだ」

「大変だったんだ…」




赤祖父円筒分水
▲赤祖父円筒分水

「きれいな水が流れているね」

「水路トンネルや水路橋、サイフォンもあるんだ」

カモ「わあ、かっこいいなあ」



庄川サイフォン水管橋
▲庄川サイフォン水管橋



「水源かん養林ってなあに?」

「雨水をたくわえて、美しい水を湧き出させる森のことだよ」

「緑のダムだね」





土地改良広辞苑

【水利権】すいりけん
河川や湖沼などから取水して使用する権利で河川管理者の許可を受けた「許可水利権」と、法律ができる前から取水していた「慣行水利権」がある。

【ファームポンド】
時間毎の水の利用が調節できるように、農業用水をいったん貯留するための施設。

干ばつに苦しんだ日々
 
東大谷水路橋 砺波平野の南部にそびえる八乙女山、赤祖父山、高清水山などのふもとに広がる田園地帯の農業用水は、山々から流れ出る小さな川だけでした。上流には「水源かん養林」としてブナの原生林が広がり、村びとたちは上手に水を使っていましたが、日照りが続く夏は渓流も細くなり、稲が枯れてしまいます。このため、用水の配分をめぐる水争いは絶えず、農民はとても苦労していました。
 明治の初めには庄川支流の利賀川から水を引く計画があったほか、昭和11年に旧庄川町金屋地区を潤す金屋用水ができて、庄川の水を引くという夢は一部だけ実現しました。しかし、その下流である井波
・井口・城端地区の山麓地域に水を引く計画については、経費、地形や地質、水利権などの問題から、長い間かなうことはなく、農民の苦労はずっと続いていたのです。

用水位置図


昭和48年、先人の夢が現実に!
 
 昭和36年、御母衣ダムの完成によって庄川の流量が安定したので、富山県は小牧ダムから庄川の水を旧井波町・旧井口村・旧城端町へ引く用水計画案を作りました。何度も何度も話し合いを重ねた結果、新たな水を流す権利をこの地域の窮状を理解した二万石用水・新用水・山見八ヶ用水等から割愛することに決まり、水利権のめどがついたので、悲願だった待望の工事が始まりました。
 南砺用水路は、9年の歳月をかけて昭和48年に完成。当初は最大流量も毎秒2.0m3でしたが、平成5年には毎秒2.4m3に増え、ポンプアップの必要だった山見八ヶ用水分の水も流すことになりました。


地域の大切な用水として
 
 南砺用水路は、もともとあった渓流用水に庄川の水を補給するものです。戦後行われたほ場整備によって田んぼは大きくなり、兼業農家が増えたことで農作業も土曜や日曜に集中して行われるようになりました。また、大切な水をむだなく合理的に利用するため、井波・井口・城端地区にはいくつもの「ファームポンド」という現代のため池が作られました。渓流の水や南砺用水からの水をファームポンドにためてむだな水を流さず、地下に埋めたパイプラインから各田んぼに必要な時だけバルブを開けて水を入れる仕組みが網の目のように張りめぐらされています。
 人々の暮らしにたくさんの恩恵をもたらしてくれる水。南砺用水は、苦労してきた先人たちの夢をかなえた大切な宝物です。