カモ親子の農村日記

四千石用水
しせんごくようすい
入善町・朝日町

四千石用水は、かつて「野中用水」「舟見野用水」とよばれ、入善町野中から朝日町月山まで約625haの耕地に毎秒最大約4.0m3の水を送っています。黒部川愛本橋のたもとから取水された水路は、黒部川右岸河岸段丘の境目を流下し、入善町野中西中(現在の黒東第二発電所水槽手前)から朝日町山﨑新まで、延長6.5km。「四千石用水」という名前は、用水の完成によって田んぼから四千石余り(俵にして1万俵)に値する米が取れるようになったことに由来しています。

 農民悲願の用水で、
 四千石のお米がとれる
 実りの大地へ。

 


[作成:平成20年9月]
 

「16の集落って?」

「西中・中沢・中村・下野・島迷・二ツ屋・今江・林尻・古畑・藤塚・横道・愛場・小在地・坊・山﨑新・細野などの村だよ」



米俵


「四千石のお米ってどのくらいかな?」

「1石は、お米150kg分だから、その4,000倍だ。計算してごらん」
「う〜んノノとにかくスゴイ量だよねっ!」



「神明社では昔から、2月と6月に用水祭りが行われていたんだよ」
「あ、わかった。2月は用水路の工事が始まった月だね」
「それと、6月は完成した月だね」


西中野神明社
▲西中野神明社
 

坪野遺跡と愛本新遺跡で発見された土器
▲用水中間にある、坪野遺跡と愛本新遺跡で発見された土器



「昔、用水工事をした時、エビの化石がたくさん出てきたんだって」
「エビ?」

「最近でも舟見小学校の児童が見つけたそうだよ」
「すごい!探しにいきた〜い」





土地改良広辞苑

【用水使用権】
 ようすいしようけん

「河川法」でいう水利権のこと。農業用水は、用水組合が独占的に使用する権利を持っているので、勝手に工業用などに使用することはできない。


【沈砂地】
 
ちんさち

土砂の混ざった水が用水路に入り込まないよう、土砂を沈めるための場所。砂礫が水路を壊したり、底に土砂が溜まったりすると、流量が不足するため、あらかじめ沈砂地を設ける。

 
16の集落民、立ち上がる
 
 昔、野中から殿村に至る一帯は善万野とよばれ、かんがい用水がなかったため、一面荒野となっていました。当時、加賀藩では開墾をすすめていたこともあり、舟見野台地北部に住んでいた農民たちは、貧困から立ち上がるために新田を作ろうと黒部川から水を引く案を立て、加賀藩の許しを得ました。

 工事は寛延元年(1748)2月、16の集落民によって始められました、しかし、黒部川に水の取り入れ口を7カ所も作りましたが、水を流すことはできません。工事は難航し、工事費もどんどんふくらんできたため、村民たちは「もう工事はやめよう」とあきらめかけていました。
古地図
 そんな時、西中の持福院というお寺の院主の夢に童の形をした神様が現れ、こう告げました。「私は中の口の風波(現在の墓の木あたり)の松の下に埋まっている水神である。すぐに私を掘り上げて祈りなさい。水は私の座っているところから流れこむことは間違いないぞよ」と…。



水神様のお告げで、用水開通

 院主はさっそく村人を集め、このことを話しましたが、誰も本気にしてくれません。そこで、自分の土地や家財を売ってお金をつくり、急いで風波の松の木の下を掘ったところ、お告げ通り、神様の像が出てきたのです。驚いた村民たちは、「神様を疑うとばちがあたるぞ」と関係者総出で用水路を掘り進みました。こうして寛延2年6月21日、ようやく通水にこぎつけることができ、黒部川の水は用水路いっぱいに流れ、善万野の荒れ地をうるおしたといわれています。

 これが、現在の四千万石用水の前身であり、院主の夢に現れた水神様は西中の神明社にまつられています。


今も大地をうるおす豊かな水

 大正6年(1917)には、三重沃度製造株式会社が工場用自家発電所を作るため、四千石用水・下山用水・椚山用水の三用水組合と交渉して用水使用権を獲得。大正14年(1925)、黒部川電力が引き継いでからは、四千石・下山・椚山・入善・青木・飯野各用水の取水口6カ所を合併し、1カ所(現在の墓の木沈砂地)になりました。

 現在の用水路は黒東第2発電所水槽手前で、四千石用水と月山用水に分水。四千石用水は西中、愛場を経て舟川を横断しています。一方、月山用水は県道朝日・宇奈月線に沿って北へ流れ、朝日町柳田地内を小川河床下をサイフォンによって通過し、月山、西草野一帯をうるおしています。

旧墓の木沈砂地跡(取水口)
▲旧墓の木沈砂地跡(取水口)