外輪野用水
そとわのようすい
富山市
(旧婦中町・旧山田村)

神通川水系山田川左岸の山岳・丘陵地帯を流れる外輪野用水は、旧山田村の中村小島など約20ha、旧婦中町の外輪野、下瀬など約320haをかんがいしています。水源は旧山田村の若土ダム真下にあり、旧婦中町長沢まで延長約12kmの長い用水です。その水は、ため池や他の用水にも入り、旧小杉町や旧富山市の方まで流れています。現在は老朽化が進んできたため、順々に改修事業が行われています。

 
 

[作成:平成18年3月]
 


▲よいしょ、よいしょ!
 大きいから収穫も大変

「外輪野の台地で作られてるカブ、大きくってビックリしちゃった!」
「質のいい赤土と毎年降る雪が、カブを大きく育てるんだよ」
「おいしそー」


▼京都にも出荷されている大カブ。おいしいと大評判!





▼昔の水路橋は、こんな感じでした(上)
今の水路橋。こんなに立派になりました(中)
用水のおかげで田畑も元気(下)




「こんな山奥に水路やトンネルを作るなんて、昔の人はスゴイ! 機械も電気もなかった時代なのにね」
「みんなで力を合わせたからできたんだ。費用は富山藩が負担したそうだよ」
「うわっ!お金持ち!」
「用水が完成して、石高が45石から1727石余りになったというから、田んぼや畑ができると村も地域も豊かになったんだ」

土地改良広辞苑

農地改革 【のうちかいかく】 政府が地主から農地を強制的に買い上げて小作人に売り渡し、地主階級をなくしたという大きな変化のこと。 土地改良区 【とちかいりょうく】 一定地区内の用水や農地などの整備や管理を行なう組織のこと

開発のきっかけは……
上杉謙信!?
 
■外輪野地区の丘陵地帯は、かつて無人の原野でした。開発のきっかけになったのは、上杉謙信が築いた戦のための陣地であったと伝えられていますが、実際は小高い台地だったので、水が不足し、米や野菜はほとんど作ることができませんでした。
■農作物が本格的に栽培されるようになったのは17世紀になってから。柄谷川から水を引くようになったのが始まりといわれています。元禄元年(1688)、さらに湯谷川からも水を引くようになりましたが、このころ、他の村から移り住む人が多くなり、新しい田んぼや畑が作られるようになって、もっと大量の水が必要になってきたのです。


 

今から約300年前の難工事!
 
■元禄6年(1693)、「もっと多くの水がいるので、何とかしてほしい」と願い出た杉原野(現在の旧八尾町)村の江尻茂右衛門たちは、富山藩から、それまでにない大がかりな用水工事を始めるよう申しつけられました。
■そのため、まずは用水の取り入れ口を旧山田村の若土地内まで延ばすことになり、用水路の工事が始まりました。険しいがけを削ったり、岩をくり抜いてトンネルを作ったり、いろいろな困難を乗り越えながらの工事でした。今のように電気などがない時代だったので測量や掘削には、ちょうちんやタイマツの光をたよりに進められ、大勢の村の人たちの労力と莫大なお金がかかったと伝えられています。
■工事開始から5年後の元禄11年(1698)、ついに用水全体に水が通り、荒れた台地は美しい田んぼや畑に生まれ変わったのです!
 

みんなに必要とされる用水へ
 
■明治の初めまでは用水全体を富山藩が管理していましたが、明治以降は村の人たちで管理するようになりました。さらに昭和33年ごろから(農地改革後)は、「土地改良区」が管理するようになり、今に至っています。現在、用水は開通後300年経っているので、水路の傷みも多くなり、改修工事が進められています。
■用水の一番の役割は、田んぼや畑の作物に必要な水を流すことですが、降った雨を受けて下流に安全に流すことで土砂くずれを防いだり、防火や消雪のために冬期間も水を流し続け、住民の安全を守っています。

▲道島地内の外輪野トンネル。子どもたちも興味深く話を聞いていました。