片貝川合口用水
かたかいがわごうぐちようすい
魚津市

片貝川合口用水が水を送っている田んぼは、1410ヘクタール。何と!魚津市内の水田の70パーセントが用水でうるおされていることになります。春の耕作時には毎秒25立方メートルの水が必要になるわけですが、これだけの水を確保し、各用水に必要量をうまく配分するには、取水口を一つにするのが一番よい方法です。このための合口用水工事は昭和13年(1938)に始められ、第二次世界大戦の間は工事を休み、昭和30年(1955)にようやく完成しました。

 
 
[作成:平成16年9月]



片貝川って、どんな川?

「どうして洪水が多かったの?」
「片貝川は、2400メートル級の毛勝山から海まで一気に流れていくんだよ」
「ジェットコースターみたいカモ!」
「日本一の急流カモ。洪水もすごく多かったんだ」
「だから、あばれ川っていわれるんだね」

「田んぼも畑も石で埋まってしまうような洪水だったんだぞ」
「こ、こわいカモ……。今は、こんなにきれいな流れなのにね」





用水路を探検その1
「ここが取水口?ちっちゃなダムみたいな感じカモ」
「頭首工っていうんだ」
「とうしゅこう?ふぅ〜ん。あ、魚がのぼってきたっ!」
「長い階段みたいな流れをつくって、魚もちゃんとのぼって行けるようにしてあるんだよ」
「わ〜い。魚くん、一緒に泳ごう〜!」



用水路を探検その2
「水が下から上に行くなんて、不思議だなあ???」

「水の高低差を利用して、水圧で水を押し出してるんだ。これがサイフォンの原理というんだよ」
「おもしろ〜い」





土地改良広辞苑
合口用水【ごうくちようすい】取水口を一つにまとめて、そこから各用水に分水する方法・施設。
堰【せき】
川の流れをせき止めて、用水に水を導く施設。
頭首工【とうしゅこう】
川の流れをせき止めて、まとめて取水する施設。 円筒分水槽【えんとうぶんすいそう】 取水した水を田んぼの面積に応じて配分する施設。

江戸期には20カ所もの取水口が!?

■今から300年ぐらい前の江戸時代中頃。片貝川流域には、魚津町と41の村がありました。それらの村々は単独で、あるいは数か村が連合して片貝川から用水を引いていました。その用水の数は20本にのぼります(図1)。つまり片貝川の堤防の20カ所に穴を開け、堰から導いた水を引いていたわけです。穴を開けた所は堤防が弱く、毎年のように起きる洪水のたびに、何カ所かが破れていました。
■苦労して開いた田畑が大小の石で埋まり、復旧のためには大変な労力と費用がかかります。村人は破れやすい所に万度様(水神様)を祀り、祈りました。しかし、万度様だけに頼るわけにはいきません。堤防に穴を開けるから破れる。取水口を減らせばいい……。村人はそのために大変な努力をし、明治22年(1889)には取水口を5カ所にまで減らしました。そして昭和30年には、ついに取水口を一つにまとめた合口用水を完成させたのです。

崩れる土は龍神のたたり!?

■今では豊かな水に恵まれた水田地帯ですが、400年ぐらい前はほとんどが雑木林。この地を開墾して田んぼにしたいというのが、村民の大きな願いでした。この願いを加賀藩が聞き入れ、開拓することになったのですが、そこには用水工事という大きな難関が待ち受けていたのです。最大の難関は、高円堂谷に用水を通すため高さ20メートル、長さ200メートルにわたって盛土の堤を築くことでした。
■工事はすべて手作業です。苦労して運んだ土も、雨のために盛土しては崩れるという繰り返し。「これは片貝川の奥にすむという龍神のたたりにちがいない。稚児を捧げて龍神の怒りをしずめるしかあるまい」と人々は相談し、人柱を捧げたともいう伝説も残っています。現在の豊かな水田地帯がつくられるまでには、知恵と工夫、そして想像をこえた苦労があったことを決して忘れることができません。

サイフォンの原理で吹き上げる青い水

■そして現在。片貝川右岸、東山地内にある直径10メートルほどのコンクリート製円筒の真ん中からこんこんと水が吹き上げ、青く輝いています。円筒の上部を三つに区切り、青柳、天神野、東山の各用水におよそ4:4:2の割合で水を分けています。これが円筒分水槽です。これは、左岸の片貝谷発電所で使った水を分水し、川底に埋めたヒューム管を通して、サイフォンの原理で右岸に送っているのです。

貴重な水をムダなく大切に活かそう

■片貝川合口用水は昭和30年にいちおう完成したのですが、年月がたつにつれて弱い部分が出てきました。それらの個所を改修するため、昭和62年度から平成11年度まで13年間をかけて、「片貝川沿岸県営かんがい排水事業」を実施しました(上図)。
■トンネルになっている片貝第1発電所〜片貝谷発電所間の部分改修、川底のヒューム管を深く埋め直す工事、天神野用水路・経田用水路の改修などを約25億円の費用をかけて行いました。こうして貴重な水をムダなく農業用水として使うことができるようになり、片貝川合口用水は生まれ変わったのです。


図2