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街道ゆかりのノーベル賞受賞者紹介| 【今】 マップ|   【昔】 マップSPOT

笹津の追分道標
 
笹津神社のそばに古い道標がたっており、「追分  右高山 左舩津 道」と刻まれています。当時の飛騨街道はここで、東猪谷関所を通る東街道と西猪谷関所を通る西街道に分岐していました。東街道が通っていた神通川の右岸は、加賀藩領、西街道が通っていた左岸は、富山藩領でした。また、江戸時代中頃には、両街道の間を通る中街道が新たに作られました。


旧飛騨街道
 
富山市片掛集落から庵谷峠に向かう途中、杉林を登る細い道があります。これが、旧飛騨街道の西街道の跡です。人がかろうじて通れるほどの細く、急な道を見ると、いかに当時の旅が大変だったかが分かります。このような道を通り、さまざまな文化交流が行われていました。


石仏
 
飛騨街道沿いには、数多くの石仏が存在しています。なかでも特徴的なのが、男女が並んだ道祖神であり、これは越中では、ここ飛騨街道沿いにのみ存在するもので、飛騨の文化の伝播によるものです。この双体道祖神は信州から飛騨に広がる石仏文化です。



六十余州名所図会「飛騨籠渡図」
(富山市売薬資料館所蔵)
籠の渡し
 
川幅約26mの断崖絶壁の谷を、山ブドウや藤のつるで編まれた綱により籠を渡していました。明治維新までの封建時代においては、軍事上の理由により、橋をかけることが許されず、ここも街道の難所のひとつでした。安藤広重が六十余州名所図会「飛騨籠渡図」で渡しの絵を描き、全国に広く紹介されました。現在、籠の渡し跡の記念碑が建っています。


断崖の旧街道
 
高原川の断崖を削るように通された飛騨街道中街道の跡が、国道41号の割石付近で、川の対岸に確認できます。人ひとり歩くのがやっとという、難所中の難所でした。当時の旅はまさに命がけの旅であり、困難を極めた当時の旅人の苦労を静かに物語っています。今では寸断され通ることができません。
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