特集

ウラジオストク観光
〜街の見所とロシア料理〜

富山県 国際課 岩崎 渉

1.はじめに


富山県とロシア沿海地方は1992年に友好提携を締結し、人的交流をはじめ、文化・学術、経済、環境、スポーツなど様々な分野で交流を行ってきました。私はロシア連邦沿海地方の州都ウラジオストクに、平成27年4月から平成28年3月まで派遣され、派遣中はロシア語を学ぶとともに富山県と沿海地方の友好交流事業に携わる活動をしていました。富山県とロシア沿海地方は、来年、友好提携締結25周年の節目の年にあたります。富山県との関係も深く、地理的にも近いロシア沿海地方なのですが、あまり詳しいことは知られていないのが現状です。そこで、本稿では、ロシア沿海地方のウラジオストクを中心とした、日本との関係や観光地、食文化などについて紹介したいと思います。

2.ロシア沿海地方のウラジオストク


ロシアといえば、マトリョーシカやチェブラーシカ、マーシャとクマなどの可愛いキャラクター、ボルシチやピロシキなどのロシア料理を想像される方も多いと思います。また、モスクワやサンクトペテルブルク、オリンピックが行われたソチなどの都市は有名で、訪れたことがあるという人もいるかもしれません。しかし、ここ近年、ロシアの中でも特に注目されている地域があります。それが、ユーラシア大陸の東側にある「極東」地域です。これまで、極東といえば、豊富な資源に注目が集まっていましたが、最近ではさまざまな産業や観光地が整備されてきています。そして、極東の中心都市の1つが沿海地方の州都であるウラジオストクになります。

1860年に結ばれた北京条約によって、ロシアが清から獲得した沿海地方の南部にウラジオストクは建設されました。その名前は、ロシア語では「Владивосток(ヴラジヴァストーク)」と発音され、これは、「Владеть=ヴラジェーチ(征服する)」+「Восток=ヴォストーク(東)」という言葉でできており、「東方を征服せよ」という意味になります。その名前の通り、ロシアの極東拠点として、軍事・商業的にも重要な都市として発展していくことになります。

3.ウラジオストクの日本の面影


清からロシアへと帰属したウラジオストクですが、日本と地理的に近いこともあり、古くから深い関係にありました。かつては規模の大きな日本人街があり、シベリア出兵から撤退するまでは非常に活発な交流がありました。最盛期の1920年頃には6,000人近くの日本人が暮らし、多くの企業や商店が進出していたそうです。

日本の政府公館としては1876年に日本政府貿易事務所が開設され、1907年に領事館が設置されました。1909年には総領事館となり、1916年にはギリシャ式建築の建物が完成し、1945年まで市の中心部にあるオケアンスキー大通り7番地に位置していました。

(写真1:旧日本総領事館)

また、市中心部のスベトランスカヤ通り20番地にはかつての横浜正金銀行が支店を開き、満州からの輸出農産物などを取り扱っていました。現在、この建物はアルセーニエフ記念沿海州総合博物館として、外観は当時のまま保存され、沿海地方の自然資料や街の歴史、日本や中国に関係する資料や渤海・女真などの出土品が展示されています。

(写真2:アルセーニエフ記念沿海州総合博物館)

その他にも、多くの人々の暮らしの精神的な支えとして、浦潮本願寺なども建立されました。西本願寺が1886年に海外布教所として開き、1937年に閉鎖されるまでの間、現地に住む日本人にとって、慶弔行事などを行う場所として機能していたそうです。また、ウラジオストクにおける最初の日本人小学校が浦潮本願寺の一室で開校され、1913年に校舎がフォンタンナヤ通り21番地に移転するまでは、子供たちの学びの場としても重要な役割を果たしていました。現在、旧極東連邦大学キャンパスそばの浦潮本願寺の跡地には石の土台が残り、その上に記念碑が建てられています。

(写真3:浦潮本願寺跡)

ウラジオストクはシベリア鉄道の終着駅(アジアからは始発駅)があるため、かつてヨーロッパへの入口として多くの日本人がウラジオストクから旅立っていきました。特に与謝野晶子や二葉亭四迷などがヨーロッパへ渡るためウラジオストクからシベリア鉄道を使いモスクワを目指したことは有名です。1912年5月にウラジオストクを訪れた与謝野晶子はその後、夫の与謝野鉄幹を追ってヨーロッパへ向かいます。旧極東連邦大学の東洋学院の前には与謝野晶子の記念碑がたてられており、ウラジオストクよりシベリア鉄道へ乗り込む際に与謝野晶子が詠んだ歌 『旅に立つ』 が日本語とロシア語で刻まれています。

(写真4:与謝野晶子の記念碑)

4.ロシア最大の水族館


このように、ウラジオストクには多くの日本人が暮らしていたこともあり、その名残を街の各所で見ることができます。さらに、近年のウラジオストクは交通インフラが整備され、カジノや大型水族館などの観光施設も建設されるなど、市内だけでも見所は多岐にわたります。

特に今年9月にオープンした沿海地方海洋水族館は、面積90ヘクタール、東京ドーム19個分とロシア国内で最大の水族館となります。展示内容は生命誕生から、さまざまな生物の進化を見ることができるほか、豊富な魚種を揃えており、中でも巨体をゆっくりと動かしながら泳ぐチョウザメは見ものです。その他にも北極海で保護され飼育されている体重800キロのセイウチが訓練を受けており、飼育員の合図に合わせてさまざまな芸を披露してくれるそうです。

(写真5:沿海地方海洋水族館)

5.ロシアでの「食」


前述したように、ウラジオストクは日本人にとって魅力的な観光地です。そして、このような観光地においてもう1つ大切なことがあります。それが「食」です。

日本では既述したボルシチやピロシキなどは多くの方がご存知かもしれませんが、ロシア料理自体に出会うことはあまりありません。そこで、本稿後半ではロシアでの「食」について紹介したいと思います。

ウラジオストク市内にはさまざまなロシア料理のお店があります。市内の飲食店の種類は「食堂」、「カフェ」、「レストラン」の3つに大別することができます。「食堂」は最も安く食べることができ、基本的にはお盆を持って自分で欲しいものを取ったり頼んだりしていきます。「カフェ」は席についてメニューを見て注文しますが、かなりしっかりとした量を食べることができ、値段はそれなりにします。日本人がイメージするカフェとは違い、どちらかというと「日本のレストラン」に近いかもしれません。そして、「レストラン」は値段も高く量も多い、場所によってはドレスコードもあるなど、敷居が高い高級な飲食店となります。

ロシア料理は主に①前菜、②スープ、③メインのように分かれており、高級店に行けばコース料理として順番に出てきます。このように料理を順番に出す形式は、これはロシアが寒冷地のために冷めないように一品ずつ順次出していたことが起源といわれています。

まず、前菜はニシンの塩漬けやピクルスなどの保存食を用いたものやさまざまな種類のサラダです。保存食が料理に多く使われているのは、寒さが長く続くという気候のためではないかと考えられます。

次にスープについてですが、ロシア料理で特に目を引くのはスープの種類の多さです。最も有名なものと言えばスビョークラ(ビーツ)という野菜を使った赤いスープ「ボルシチ」だと思います。その他にも魚を用いた「ウハー」やキャベツをふんだんに使った「シー」、ベーコンとたまねぎを香ばしく炒めたトマトベースの「サリャンカ」などもとても美味しいスープです。こういったスープが発達した背景としても、やはり寒さが長く続くという気候が関係してくるのではないかと思われます。

そして、メイン料理についてです。ロシア料理のメインで有名なのはビーフストロガノフになるかと思います。ストロガノフ家の家伝の一品であったことに由来し、薄切りの牛肉と玉ねぎをスープで煮込んだものです。また、カツレツやロシア風バーベキューで好まれる「シャシリク」という肉の串焼き、ピラフの起源となったと言われる「プロフ」という米料理なども好まれています。

最後に、デザートについてですが、特に好まれるのは「ブリヌイ」と呼ばれるロシア風クレープです。練乳やはちみつをかけただけのシンプルなものから、バナナやチョコレート、チーズなど入れるもの、専門店になれば、鶏肉やトマトなどを入れてしっかりと一食分になるようなブリヌイもあります。その他にもハチミツを練りこんだケーキやアイスクリームも人気があります。


(写真6:ビーツのスープ「ボルシチ」)

(写真7:魚のスープ「ウハー」)

(写真8:トマトとベーコンのスープ「サリャンカ」)

(写真9:夏限定の冷たいスープ「アクローシュカ」)

(写真10:ロシアの焼肉「シャシリク」)

(写真11:ピラフの起源「プロフ」)

(写真12:ロシア風クレープ「ブリヌイ」)

(写真13:ウクライナの水餃子「ヴァレニキ」)

(写真14:ロシアの代表的なパン「黒パン」)

(写真15:人気の前菜「ニシンの塩漬け」)

ロシア料理の特徴として、極寒の土地で生活していた人々の知恵が詰まった料理や、その領土の広大さから多様な地域を起源とする料理が目を引きます。実は、日本ではロシア料理として認識されるボルシチもウクライナが発祥の地です。その他、先ほど述べた肉の串焼きシャシリクやプロフもコーカサス地方が発祥とされており、旧ソ連時代に広まったとされています。こういった背景もあり、ロシア料理を食べるとさまざまな地域の伝統料理に触れることができます。また、ウラジオストクには日本、中国、韓国などの周辺諸国のレストランだけでなく、日本ではなかなか見る機会がない北朝鮮、ジョージア(旧国名「グルジア」)、ウクライナや遊牧民族系の料理店など様々な国や地域のレストランもあります。

6.おわりに


2012年のAPEC開催以降、急速にインフラが整備され、さまざまな観光施設が建設されているウラジオストクですが、街を歩けば日本の面影を見ることができ、当時の日露関係を知ることができます。また、街自体もヨーロッパ風の建築物とソビエト連邦時代の質実な建物、そしてアジアの雰囲気が混ざった独特の街となっており、観光地としての魅力がたくさん詰まっています。そして、当地に赴けば多彩な味わいを持つロシア料理を食べることができ、その美味しさに驚かされることでしょう。

距離的に近くに位置しながらも、あまり旅行先として取り上げられなかったウラジオストクですが、今後、ビザの簡素化や新しい観光施設の建設など、さらに観光地として整備されていくと言われています。どんどん魅力的になっていくウラジオストクを気軽に訪れてみてはどうでしょうか。

とやま経済月報
平成28年11月号